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1.忌み嫌われし存在 

第一章 出生不明

 目覚めたそこは、見知らぬ街のゴミ捨て場だった。冗談ではなく、本当に見知らぬ街だ。街歩く人間どもは俺をじろじろと眺めてくるが、だれも声をかけようとしない。それもそのはずだ。俺の判断が正しければ、街の人間から見た俺は、普段見かけない浮浪者にしか見えないだろう。俺から見ても、こいつらは全員見知らぬ街の人間どもだ。この段階で助け合いは絶たれたと考えていい。
 となれば、まずは状況把握だな。とりあえず冷静に身体を眺めてみよう。どうやら外傷はないようだな。痛めつけられた痕もないし、特別服が汚れているわけでもない。
 ん? そうなると俺は浮浪者には見られていないのではないか。そうなると、この街の人間どもが薄情なだけということになる。本当、人間の助け合い精神とは上っ面でしかないな。
 ……ちがうちがう。俺はそんなことを考えている場合ではないんだ。なぜ、こんな見知らぬ街で倒れているのかという状況把握をしなければならないというのに……。どうやら、俺の頭は困った作りになっているようだな。
 だが、分かったこともある。俺は、意識を失ったり失わされたりしてこんなところで倒れているわけではない。そして、さらに大きな問題が訪れていることに気が付いてしまった。無駄に頭を働かせてみるものだと思ったね。

 まず考える点は、「なぜこんな見知らぬ街のゴミ捨て場で倒れているのか」ということではなく、「俺自身の存在」についてのようだ。よくよく自分のことを考えてみたら、俺は自分の名前すら分からない。さっき、何気なく身体を眺めていたが、こんな身体を俺は知らない。
 さらに不思議なのは、この世界にあふれている物ならばある程度の知識は備わっているというのに、俺に関する情報のみが何もないということ。人生の初めとしては摩訶不思議すぎると思うのだがな。俺は、自分のことを記憶喪失者だと断定していいのだろうか……。
 過去にどうやって育ってきたのか、なぜ今ここに存在できているのか。そして、そんな奇怪な状況に陥っているのに、なぜこの世界の言語を話せ、冷静に思考できているのか……。疑問を挙げればキリがないが、思考を働かせても解決する問題ではなさそうだ。とりあえず、腰を上げて動いてみるか。

「きれいな街じゃないか」
 ほどよい賑わいと空気を循環させてくれそうな美しい自然に囲まれているきれいな街。きれいな街とはいいものだな。街を歩くだけで晴れやかな気持ちになれる。だが、きれいな街と、その街に住む人間どもの人間性は比例しないようだ。
 今、俺の瞳には、このきれいな街に似つかわしくない汚れた情景が飛び込んできている。世の中のすべての出来事は奇跡のような確立の巡り会わせだということが本当によく分かるな。たかがひとつの街のこんな狭い裏道で、数人の人間どもが寄ってたかって一人の人間に暴力を浴びせている。こんな、だれも気付かないほんの小さな場所で、こいつらはこんな大きなことをしでかしている。
 今、俺自身の情報が何もないなかで、初めて俺の身体に情報が書き込まれた。どうやら、俺はこういう現場を見過ごせない気質らしい。別に偽善者になりたいわけでもないし、これをきっかけに有名になって慕われたいわけでもない。ただ、俺は奇跡のような確率でこういう状況に巡り合って、そして、そんな状況が俺にとって大いに不愉快なだけだ。

「さぁ、そこまでだ。人間のなかでも最下級のゴミども」
 ゴミどもが一斉にこちらを向く。ゴミ五つの掃除か。本当、こんなきれいな街だと、ゴミというものは悪い意味で際立ってしまうな。
「なんだお前?」
 いいじゃないか。ゴミに相応しい返しだ。これで、上品に「おや、私たちに歯向かおうというお馬鹿さんはどなたですか?」なんて返されたら少しは臆するところだが、どうやらその心配もないようで安心した。
「それはこっちのセリフだ。普通に考えて、『何をしているんだお前ら!』と言われるのは、お前らのようなゴミどもだと思うが?」
「けっ、よそ者かよ。知らねえなら仕方ねえなぁ!!」
 唐突に笑い出すゴミども。どういう笑いだこれは。どこにおもしろい要素があったというのだ。もしかして、複数人に対して一人で挑みにきたのをバカにされたか……それとも、バカな偽善者だと思われたか……。どちらにしても仕方ないことではあるが、どうやら今回は『よそ者』という言葉がキーワードらしい。よそ者差別はよくないと思うね。本当、こんなきれいな街だというのに、ゴミはそれを霞ませる。
「どういうことだ?」
「知らないなら教えてやるよ。こいつはなぁ、呪われてんだよ。家族もいねえし、身分を証明するデータもねえ。こいつは、ここに生まれた証拠ってのが一切ねえんだ。いわゆる出生不明だな。なんでかこいつはこの世にいやがるんだ。小せえころからこの街に住みつきやがって、気味が悪いったらありゃしねえ。だからこうやって忌み嫌って暴力を振るってやってるのさ。こんな気味の悪いやつはこの街に居てほしくねえっていう、俺たち市民の熱い感情を拳に込めてなぁ。言葉を変えれば、そうだな……ゴミ掃除ってところだ!!」
「……」
「なっ、兄ちゃんも気持ち悪いと思うだろ? ほら、こいつを街から追い出すために手伝ってくれよ。『悪霊退散! 悪霊退散!』って念じながら殴るんだ」
 そうか。ゴミどもからすれば、出生不明の段階で呪われし存在になってしまうのか。そんなことで忌み嫌って、正義を振りかざしている気になって。こんな広い世界でこんな狭い視野を持ち、正義という名の醜い鉄拳を振りかざす。救えない話だな。
「そうだな。ゴミ掃除をしよう。よそ者で、しかも出生不明の身としては、お前らと俺のゴミの感覚はどうやら食い違ってしまったようだがな」

「……」
 またひとつ俺の身体に情報が書き込まれた。どうやら、俺は喧嘩の腕は高いらしい。正直、五人を相手にして返り討ちにできる自信はなかったのだが、自分自身で驚くくらい相手の動きを捉えることができた。もしかすると、俺は格闘技の世界王者だったのかもしれないな。俺にはひとつの傷もないのに、地には傷だらけのゴミどもが倒れている。
 さて、これで少しは醜い正義も落ち着くことだろう。「あいつをいじめたら、謎の格闘技世界王者に殴り倒されるぞ!」なんていう噂が広がってな。本当は、出生不明に似つかわしい、身体が見えないほどにフードを深くかぶっているこの人間に興味があるのだが、俺も人のことに構っていられる状況ではない。ここは何も言わず立ち去ろう。
「待って!」
 うーん……まぁ、そうなるか。そして、ここでまたひとつ大きな発見だ。声質からして、この人間は女性のようだ。
「大丈夫かお嬢さん? 痛めつけられて立てないようなら、目的地までおんぶでもしようか?」
「その必要はないわお兄さん。まずはお礼を言わせて。助けてくれてありがとう」
 フードを脱いで彼女は俺に礼を言う。どうやら、礼儀をわきまえているお嬢さんのようだ。本当、何を基準に呪いなんて称号を与えるのか。人間が怖がるものすべてを呪いにして……臆病にもほどがあるな。
 しかし、何の問題もないかのように立ち上がるとは思わなかった。平静を装ってはいるが、正直驚いている。フードの中身は赤髪ショートの若い女性だった。だが、顔には今までどれだけ悲惨な暴力を受けたのかが一目で分かるほどのアザの数々。顔でこれなのだから、身体もアザだらけに違いない。さっきは冗談で「おんぶしようか?」と尋ねたが、本当におんぶしてあげたくなるほど痛々しい。
「いや、これは俺の自己満足だから気にする必要はない。それにしても、本当に大丈夫か? その傷ではこの場から動けないと思うのだが」
「大丈夫よ。慣れてるから」
 慣れていいものではないだろう。癖になってるなら別だが、そういうわけでもなさそうだしな。
「それより、聞きたいことがあるわ」
「なんだ?」
「あなたも、自分の出生が分からないの?」
 予想できていた範囲の質問だな。そういえば、あのゴミども掃除するときにチラッと口走ったような気がする。ちゃんと人の言葉に耳を傾けていたとは、いい子じゃないか。
「あぁ。俺に関しては、出生はおろか、今、自分がどんな顔なのかも認識できていない。これも何かの縁だし聞いておこう。俺の顔の特徴は?」
「まさか私より情報が少ない人間がいるとは思わなかったわ。これも何かの縁だし、汚くてもよければ鏡でも貸してあげようかしら?」
「いい返しだとは思うが、それはちょっと怖いな。とりあえずお嬢さんの口から聞かせてもらおうか」

 一気に俺の身体に情報が書き込まれたことに喜びを隠せない。どうやら、俺は長身の細身らしい。青色の瞳で、ぼさぼさの金髪と白肌なのに、少し不潔な無精ひげが奇妙にマッチしているというお言葉もいただいた。とりあえず鏡も見せてもらった。自分で言うのも恥ずかしいが、なかなかいけているじゃないか。
 だが、本題はここからだ。どうやら、俺たち二人の出生不明の共通点は、この世に生まれたときの情報がひとつもないということ。だれから生まれたのかも分からないし、身分を証明するデータもない。ここまでは共通の不明だ。
 だが、ここでひとつ食い違いが生まれる。このお嬢さんには、最低でも十五年の時をこの街で過ごしてきたという証がある。新年を迎える際に行われる『新年祭』を十五回経験しているというのだから間違いない情報だ。そして、初めて物心という意識を持ったのは子どものころだというのは間違いないようで、まだ若い女性だということも判明している。つまり、出生不明とはいえど、ほとんどの時間をこの世と意識を共有しながら過ごしてきたということ。どうやって物心がつくまで赤子のころを生き抜き、意識を持ったのかは不明に違いないが、明らかにお嬢さんよりも年齢が上な見た目をしている俺よりは情報量が豊富だ。ますます自分という存在が不明確になる。
 これも広い世界で偶然にも出会ってしまった小さな奇跡だ。何かの縁だと思っていろいろと踏み込ませてもらおう。
「唐突だが聞かせてもらおう。お嬢さん、お名前は?」
「あると思う?」
「いや、あるはずがないとは思うが、そろそろ仮名であっても呼んでいい頃合いじゃないかと思ってね」
 雑な言い方をしてしまったとは思ったものの、お嬢さんは理解を示してくれたようだ。引かれたらどうしようかと思ったが、いいお嬢さんのようで本当に安心した。
「そうね。私は自分のことをアオイと呼んでいるわ。理由も単純よ。『赤色の瞳をしているけれど名前はアオイです』って感じの、ちょっとしたシャレでつけたの。忌み嫌われし呪われた存在としてしか認識されてこなかったから、こんな名前の付け方をしたのだけれど、いざ披露するとなると恥ずかしいわね」
 少しはにかみながら頬を赤らめるアオイ。正直、ちょっと可愛いなと思ってしまったのは俺の胸に留めておこう。だが、冗談抜きで良い名ではないか。
「アオイか。認識した。じゃあ、次は俺の名だな。早速ではあるが名づけてもらおうか」
 アオイが「えっ?」といった表情で俺の方を見る。いい顔だ。また俺の身体に情報が書き込まれた。俺は案外無茶振りが好きなようだ。そして、そんな無茶振りに乗っかってくれる人はもっと大好きだ。「何言ってんのこの人」みたいな表情をしながらも、ちゃんと考えてくれている。
 いよいよ俺に名前がつくとなるとワクワクと同時にドキドキするな。案外、自分自身に関する出生が不明というのは悪いものではないのかもしれない。俺にはその気持ちが正確かは分からないが、今の俺は『物心がついたばかりの、すべてが初体験の子ども』のような感覚なのではないだろうか。どんなささいな状況の変化であっても、今の俺にはとても心地良かったり不愉快だったり、感情の変化が大振りだ。
「……レッドよ。あなたの名前はレッド」
「ほぅ。それはまたどうして?」
「申し訳ないけど、今、私は私のボキャブラリーのなさに嘆いているところだわ。原理はアオイとまったく同じ。瞳がアオイからレッド。初めはアカイって付けようとしたけど、それよりかはレッドの方が男らしいでしょ? ブルーよりアオイ。アカイよりレッドよ。それくらいしか思いつかなかったわ」
「いいじゃないか。俺は気に入ったぞ。今日から俺はレッドと名乗ることにしよう。共通意識を共有できる人間と出会え、名前も手に入れることはできるとは、これを一般的に幸先がいいスタートと言うのだろうな」
 そんな俺の言葉に、軽く安堵の表情を見せるアオイ。もしかすると、本当にいい人間と巡り合えたのかもしれないな。これはもうひとつ、今後のために踏み込ませてもらお……。
「ねえレッド。ちょっと無茶な質問を構わないかしら」
 なんだ。先に質問の先約が入ってしまったか。まぁ、構わない。俺ばかり質問するのはフェアではないしな。
「あぁ。こっちは散々無茶な注文をしたからな。遠慮なく質問してくれ」
「……」
 なかなか質問を言い出さない。どうやら、アオイは緊張しているようだ。そんな言いにくいことを俺はこれから言われるのか? もし、これで「さっきから気持ち悪いので消えてください」なんて爆弾を投げかけられたら俺はどう答えればいいのだろうか。それに、気持ち悪いと思われていた人間に付けてもらった名前を使っていくのもおかしな話だ。どうか、悪い方向にことが働くような質問は勘弁していただきたいものだな。
「……もしよかったら手を組まないかしら? 私にとっても、同じような境遇のレッドにならいろいろと話せることも頼れることもあると思うの。何よりも、私もこのまま忌み嫌われて暴力を振るわれ続けていたくはないわ。捉え方によってはあなたを利用するような言い方になってしまったけど、本当にそんな気はなくて……。ただ、私も私のことをもっと知りたい。それはレッドも同じことだと思うから」
「……」
 こういうときに不器用な質問を投げかけてくれるじゃないか。だが、どうやらその質問は、俺にとって何よりも正確に心臓を射抜く質問で、同時にビンゴでもあった。俺も、アオイに同じような質問を投げかけようと思っていた。理由もさほど変わらない。俺も俺のことをもっと知りたいと感じたからだ。そして、アオイとならそれを共有できると思った。 きっと、それも利用の一種なのだろうとは思う。だけど、生物同士の関わり合いなんてそんなものなのではないだろうか。互いが自分のために相手を利用して高め合っていければ、それが一番素晴らしいことなのではないだろうか。
 俺は、あえてそのことはアオイには伏せる。アオイの「そんな気はなくて」という言葉を安易に踏みにじりたくはないからだ。おそらく、ここら辺は理論では到達できない感情なのだと思う。そこに触れるほど、俺も無茶振りが好きではない。
「こちらこそそう願いたいと思っていた。正直、『一人で自分を知っていくのとかどうすればいいんだ』とびくびくしていたところだ。ここは、出生不明という点でも、人生の年長者という点でも先輩のアオイを頼ろうと思う」
「……えっ! あっ、あっ……ありがとう!!」
 その瞬間、アオイの表情がパッと明るくなった。俺は、こんないい表情もできるのかと心が温かくなった。が、それと同時に、これは激しいキャラ崩壊でもあると思った。『身体が見えないほどにフードを深くかぶっている忌み嫌われし女性』にマッチしている、少し恥ずかしがり屋でクールな女性だったというのに、これは明らかに感情型の、少しドジな元気っ子である。
 一体、どれが本当のアオイなのだろう。まぁ、それを今の段階で見極められてしまうというのも面白みのない話か。今後のアオイに期待しよう。
「あぁ……よろしくアオイ」
「……ええっ。こちらこそレッド」
 クールなアオイに戻った。いや、戻したというべきか。これはこれで面白い二面性を垣間見えたな。それも含めて幸先のいいスタートだ。



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2.行動 

「……」
「……」
 幸先のいいスタートを切ったのはいい。それは本当にいいことだ。もしかすると、ずっと孤独な出生不明のままのたれ死んでいたかもしれないし、アオイのように呪われし者として忌み嫌われていたかもしれない。今、こうやって二人で行動できているのは奇跡と呼ぶに相応しい状況だろう。
 だが、しかし……だ。
「仲間の挨拶を済ませたのはいいが、どこへ向かうんだ? アオイが先導してくれないと、何も分からん俺には動く術がないのだが」
「そうね。私もそれを考えていたわ」
「何もないのか!?」
「ええ。家もね」
 これは驚いた。最低でも十五年この街に住んでいるというのに、住居すら確保していないとは。
 正直、そりゃ暴力を受けても仕方ないぞ。十五年も浮浪者のように街をうろうろされたら、いやでも目に付くだろう。当然、だからって暴力を振るっていい理由にはならないが、危機感というものが欠落しているんじゃないか?
 これはいきなり前途多難だな。まさか、仲間になって初めての共同作業が住居探しとは。幸先のいいスタートではあるが、先の思いやられる状況でもあるね。
「今までどうやって日々を過ごしてきたんだ?」
「街のどこかで空を眺めて一日を過ごしていたわ。別にいつも暴力を受けているわけじゃないのよ。大概は気味悪がって近寄ってこないから」
 そう言うと、唐突に空を見るアオイ。自分の世界に入り込みだしたか?
「空ってすごいのよ。私がどんな一日を過ごしていても、空は変わらず青色から橙色になって、最後は黒く沈むの。でも、空はまた青色になるのよね。私、それって強いなって思うわ。人間なんて黒く沈んでしまったらそう簡単に這い上がれないじゃない? なのに、空はそれを毎日繰り返してる。そんなことを考えながら生きていたら、早くも十五年の時が流れていたってわけ」
 これはまた予想以上の解答が返ってきた。だが、今はそういう哲学的状況を語り合っている場合ではない。哲学はおもしろいものではあるが、それを糧に生きられるわけではないからな。
 他にも、食料の集め方とか、身体の手入れをしてなさそうな割に不快な匂いを感じさせませんねだとか、さまざまな話をしたいところではあるが、とりあえず動かなければならない。
「それはまた魅力的な話だな。だが、その魅力的な思想のおかげで、住居探しを始めないとならないな」
「あらっ、あまり興味を持たなかったかしら?」
「いいや。とても興味を持ったね。だが、まずは何よりも安定が欲しいという新たな一面を発見できたところだ。その話は、住居の中でゆっくりと語り合いたいところだな」
「家なんてあるかしら?」
「さぁ? でも、動いてみないと、あるもないも証明できない」

 俺たちは街を歩き回った。初めは観光気分で街の中心部を捜索していた。当然、そんなところに出生不明の人間でも住める放置された空き家があるわけもないのだが、俺も少しはこの街を知っておきたかった。つまり、俺のわがままで案内してもらったというわけだ。だが、すぐに中心部は離れた。いかんせん俺たちは目立ちすぎる。特にアオイだ。おそらく、正体がばれないようにフードを被っているのだろうが、明らかに怪しい。というか、十五年もその姿だと、フードを脱いだ方が正体がばれにくいのではないかと思う。
 でも、俺はあえてそれを指摘しない。フードを被っているアオイは少し強気だからだ。中心部の案内を頼んだとき、アオイは力強く「任せて」と言いながらフードを被った。それでごまかせると思っているのだろう。本当、少し抜けているところがいいな。
 その後は、どんどん街と呼ぶには薄気味悪い場所へ移動していく。まぁ、好条件な立地の空き家なんてあるわけないだろうから予想は十二分にできていたが、廃虚と変わりないなここら辺は。まさか、初めて見た動物同士の触れ合いが、鳥がネズミを捕食しているところだとは思わなかった。せめて、猫同士の喧嘩であるなら微笑ましく見れたというのに、これはあんまりだ。
 だが、当の目的である住居は発見できた。そして、これは本当に喜ばしいことなのだが、電気と水道が通っている! これで当面の生活は心配ない。もし、家の持ち主がいたとして、運悪く帰ってきたとしても力で黙らせれば……いや、それはポリシーに反するな。話し合おう。そういうときのために話し合いというものはあるのだと思う。

 家を確保して、まずしなければならないことは生活だ。住居を手に入れたからには、これは何よりも重要で、いろいろと考えていかなければならない。生活には財源が必要だ。だが、俺たちには金がない。出生不明な上に一文無しじゃ、何かを拾って食べるしかない。正直、ただの空き家ならそれでいいとも考えた。だが、ここには電気も水道も通っている。これを最大限に利用したい。あってしまったのだから使いたい……。
 なので、俺は仕事を始めた。当然、飲食店のような「いらっしゃいませ!!」なんてセリフをさわやかに言うようなところではない。出生不明の人間なんて雇ってくれるはずがないからだ。だが、世の中はうまくできていて、そんな人間でも雇ってくれるような怖い仕事先はあるというものだ。
 そして、さらにうまくできているのは、その怖いというのは『一般人』に適応される言葉だということ。ゴミども五人程度なら軽く捻ることのできる俺からすると、別に怖いなんて思うことはなかった。むしろ、馴染んできていると思う。しかし、そんなうまい話には裏があるというもの。それがまさか、外部からの攻撃とは思わなかったがな。
「どうしたの? いつも仕事に買い物に任せっきりだから、今日は料理をしてみたの。せっかく電気と水道が通っているのだからフル活用しないとと思ってね。もしかして野菜はお嫌いかしら?」
「あっ……あぁ。ありがとう」
 野菜の好き嫌いの問題ではない。もはや、野菜炒めとしての原型を留めていない。こんなの野菜炒めを超えた野菜炒め、超野菜炒めだ。本当、どうして料理をしようと思ったんだ。今まで住居も持たずに拾い食いしていたのだから、料理なんてできるはずないだろう。結局はこのざまだ。「こんな風に調理されるために生まれてきたわけじゃないよ!」と、野菜は泣き叫んでいるはずだ。それほどに酷い。食べていないのにすでに未来が予想できる。
 なのにも関わらず、アオイのこの自信はなんだ。これは、少し抜けていて可愛いなというレベルではないぞ。明らかに頭がおかしい。自分の作った作品には必要以上の愛着が生まれるというが、これは行き過ぎだ。
 ……やばい。どうして食べないのだろうという不安と心配の念がこちらに伝わってくる。俺も男だ。食べよう。きっと、見た目が酷いだけで味はいけているんだ。そう信じよう……。
「……ぬうぅ!?」
 これは本当に料理か? これなら生で野菜をかじった方が絶対に美味い。こんなもの料理に対する冒涜だ。ここで、気を使って「美味しいな」なんて言っては絶対だめだと確信した。正直に言おう。俺はいつの時も正直でいたい。
「アオイ……」
「あらっ、苦しそうな顔ね。もしかしてお口に合わなかった?」
 少しムッとした顔になるアオイ。だが、そんなことは知ったことか。
「そういう問題じゃない。アオイはこの超野菜炒めを食べたのか?」
「食べてないわ。あまりのいい出来に浮かれていてね」
 いつも何を食べて生きてきたんだ。
「こういうことは口で言っても伝わらないことだと思う。黙って食べてみろ」
「ええ。どうやら食という点ではあなたとは分かり合えないみたいね」
 ムスッとした顔で超野菜炒めを口に入れるアオイ。これはどうせお約束のあれだ。不味すぎて、ゲロゲロと口から野菜炒めを垂れ流すパターンだ。そして、俺はそれを願っている。
「……」
「……なによ。美味しいじゃない。我ながら絶品だわ。これがお口に合わないなんて、舌はどうやら欠陥のようね。残念だわ」
 路上生活十五年というものはこれほどまでに強大なものなのか……。これはさすがに驚きを隠せない。
「うそだろ? 我慢するなよ」
「してないわ!」
 怒鳴られた。どうやら本当に美味しいと感じたらしい。完全敗北だ。
「いらないなら食べなくて結構! あぁ、勿体ない勿体ない」
 そう言いながら超野菜炒めをかきこむ。よかったな野菜たちよ。どんな料理も捨てたもんじゃないということが証明されたぞ。
 超野菜炒めを食べ終わったアオイは、そのままの勢いに寝床についてしまった。初めは仕事と買い物お疲れ様という意味の感謝料理祭だったはずなのに、味の問題だけでこんな空気になってしまう。食というのはなかなか奥が深いようだ。
「料理……か」

 朝だ。昨日は夜のように黒く沈んだ空気で幕を閉じたが、空は今日も変わらず、清々しい青色で俺を迎えてくれる。そして、それは俺たちも同じことになるだろう。アオイが起きてくれば俺たちにも青色が戻ってくるのだ。そうに違いない。さぁ、早く起きるがいい。
「……なんだかいい匂いがするわね」
 いいタイミングだ。どうやら俺は料理もできるようだ。こういう素晴らしい情報は、どんどん書き込まれていってほしいものだな。
「あぁ。昨日のお詫びを兼ねて、料理を作ってみたんだ。食という点では分かり合えないという汚名を返上しようと思ってね」
「……あらそう」
 まだ怒っている。どうやら根に持つタイプのようだな。だが、料理からのもつれは料理で解決だ。
「そうさ。俺の舌が欠陥でないことを証明したくてね。これでも、欠陥とは仲良くしたくない気質なんだ」
「へえ。案外根に持つタイプなのねあなた」
 アオイに言われたくはないが、ここは黙っておこう。とりあえず食べてもらわないことには始まらない。
「あぁ。これでも神経質なんでね。とりあえず食べてみてくれるとうれしいのだが。『ここのこんな部分を工夫したから美味しくできました。だから食べてみてください』なんて戯言は聞きたくないだろう?」
「確かに。それは美味しいご飯も不味くなっちゃいそうね。お言葉の通りにとりあえずいただこうかしら。欠陥舌さんがお作りになるお料理なんて、私の絶品舌には合わないと思うけれど」
 なかなか手厳しい口撃で。だが、俺は動じない。むしろ清々しいくらいだ。反感を買う状況からの逆転というのは非常に燃え上がるものがある。
 そして、俺はそうなることを知っている。なにせ、俺はアオイと違って味見を忘れない男。すでに味の質は保証済みだ。まぁ、アオイの舌が驚くほどの欠陥なら別だがな。
「お……美味しいわ……。なにこれ、こんな美味しい料理、食べたことない」
 ほらな。どうやら今回は俺の描いたシナリオ通りに事が運んだようだ。よかったなアオイ。お前は舌が欠陥というわけではない。ただ、美味しいものを食べたことがなかった。それだけだったということだ。
「どうだアオイ? これでも俺の舌は欠陥だろうか?」
 勝ち誇った顔で言ってやった。少し顔をムッとさせたアオイだが、今まで食べたことがないほど味の良い料理を作った俺に突きつけられる武器はない。昨日は完全敗北したが、今日は完全勝利だ。
「欠陥舌と料理の腕は比例しないってことが今日わかったわ。確かにこの料理は私の料理よりも美味しいのは認めましょう。でも、私の料理も美味しいわ。あなたの欠陥舌は受け付けないようだけど」
 ふっ。精一杯の強がりも今の俺には心地いい。
「そうだな。それで手を打とう。だが、料理を作る権利は俺がいただくよ。俺の料理は両方の舌に合うようだからな」
「仕事して買い物して料理もして、働き者なのねあなた。なんだか、何もしていない私が申し訳なく感じてくるわ」
「これでも働くのは嫌いじゃないみたいなんだ。体力もあるみたいだしな。本当、出生不明で自分のことが何も分からないとはいえ、ハイスペックな身体だということは実感している」
「それは大助かりだわ。レッドと出会えて本当に良かったとでもいって持ち上げておこうかしら」
「そいつは光栄だな。さらに働く気力が高まるよ」
「……」
「……」
 いつの間にか黒く沈んだ空気は消え去って、朝に相応しい青色のような空気に変わる。やはりこういう他愛もない会話は楽しいな。ずっと続けばいいと思えるくらいに楽しい。
 だが、そんな楽しい時間はすぐに過ぎる。これもまた、いつの間にか仕事に行かなければならない時間だ。別に仕事自体に不満はないが、こういう空気の読めないところは憎いな。金のために時間を売るというのは、まさにこのことを言うのだろう。
「さて、今日もお金を稼ぐ時間だ。仕事終わりまでご飯は我慢してくれよ?」
「ええ。我慢できなくなったら勝手に作るわ。当然、私の分だけだけれど」
「それなら安心だ。これで仕事に集中できる」
「それはよかったわね。名案を思いつけて幸いだわ」
 さて、仕事に向かおう。そして、帰ったら今日も美味しい料理を作って勝ち誇ってやる。



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3.異変 

 今日は目覚めの悪い朝だ。朝起きると、俺の左腕から血が流れていた。今、俺はどういう状況なのか理解が出来ていない。とりあえず、まだ血が止まっていないということは、それほど時間は経っていない傷だということだ。
 ここの家には不審者撃退用の仕掛けがこっそりと仕掛けられていたりするのだろうか。初めは、優良な空き家として人間を誘い込み、少し生活に慣れてきたところでじわじわと身体をいたぶっていく。なんと意地の悪い仕掛けだろう。いや、今はそんな冗談を言っている場合じゃないな。とりあえずアオイに相談してみよう。
「アオイ。俺の左腕から予兆もなく血が流れている。どう思う?」
「なかなかバイオレンスなお目覚めね。とりあえず止血をするべきだと思うわ」
 うむ。ごもっともな意見だ。だが、俺が聞きたいのはそういうことではない。
「あぁ。それも必要なことだろう。だが、俺はこの現象についてどう思うか聞きたい」
「そう言われても分からないわ。血を流して朝に起きてきた人間の血が流れている理由を間髪入れずに答えられたら、間違いなく私が犯人じゃないかしら」
「そうだな。すまない。訳が分からな過ぎて少し気が動転していた」
「それは仕方ないわ。私も生理が酷い日は気が動転しそうになるもの」
 そういう問題ではないと思う。そして、もう少しレディーとして恥じらいを覚えていただきたいものだな。
「でも、冗談はなしにしておかしい状況ね。ちょっと見せてみて。とりあえず止血してあげるわ」
 おっ、なかなか優しいところがあるじゃないか。そうだ。そういうところを俺は見たかった。そして期待していたんだ。血が流れている理由は分からなくても、流れている血を止めることはできるからな。そこに気付いてくれて俺は本当にうれしい。
「えっ……これ……」
 さっきまで余裕の軽口をたたいていたアオイの顔が、険しい色に様変わりする。ちょっと不安になるな。
「なんだ? そんな傷が深いのか?」
 首をゆっくりと横に振るアオイ。よかった。思った以上に重傷ということではないらしい。
「違うわ。怪奇現象であるならば傷も摩訶不思議であるのが道理なはずよ。だけど、これはそうじゃない。言葉よりも見てもらった方が早いわ」
 慌てて鏡を取りに行き、俺に手渡したアオイ。なかなか怖いことを言うじゃないか。これは、自分の顔を見たときの数倍以上は緊張するな。
「……なっ!」
 どういうことだ。アオイの言うとおり、これが怪奇現象であるならば傷も摩訶不思議であることが道理なんだ。そうなれば「この空き家って、やっぱり空き家なだけあってオカルトだね」と笑い話にできた。だが、これはどうだ……。
「驚くでしょ? それは立派な傷よ。怪奇現象でもなんでもなく、人的被害を受けた切り傷ね。しかも、こんな無造作なえぐられ方はひっかき傷と推測するのが妥当だわ」
 どういうことだ。実は、この家の持ち主は俺たちが住んでいることを知っているのか? それでそんな嫌がらせを? いや、そんなはずはない。
 というよりも、どうして俺は気付かなかった。普通、こんな傷ができるまで攻撃を受けたなら目覚めるはずだ。なのに俺は目覚めることなく朝を迎え、今に至っている。本当、怪奇現象であってほしかった。
「一応確認させてくれ。これはアオイの仕業ではないな?」
「残念だけど、レッドを傷つける動機がないわ」
「……そうだな」
 分からない。だが、ここで悩んでいても仕方がないな。とりあえず動こう。
「とりあえず一度落ち着こう。止血を頼む」
「分かったわ。じゃあ、急いで包帯と傷薬を買ってきてくれる?」
 そうきたか……。
「頼まれた。ちょうど買い出しにでようと思っていたところだ。今日は何が食べたい?」
「そうね。ちょっとこの状況に呑まれてしまったのか、それほどお腹はすいていないわ。何か軽めの食べ物を頼もうかしら」
「曖昧だな。まぁ、そこもシェフの献立力の見せどころだ。受け入れよう」
 傷が切り傷だと分かると、途端に痛み始めてきたぞ。それに、左腕を血で染めたまま買い物に行くのは恥ずかしいな。この前、赤色の服を買ってきていてよかった。まさか、お気に入りの服を血のカモフラージュで使うことになるとは思わなかったがな。

 さて、買うものは買えた。さすがに血は固まって、これから治療することに意味はあるのかと疑問は感じるが、もしばい菌が腕に入りまくって切断とかにでもなったら報われないからな。丁寧に治療してもらおうではないか。
「……」
 どういう状況だ。俺が家へ帰ると軽口をたたきながらアオイが出迎えてくれる。いつもはそんな流れだ。だが、今、俺の目の前では息を乱して苦しんでいるアオイがいる。どうしたというのだ。まさか生理でも始まったか? それなら気が動転して苦しんでいるのもよく分かる。さっき自分でそう言っていたからな。
 そんな考えを頭に張り巡らせてみたものの、どうやらそんな様子ではない。世界中の女性が生理の度にこれだけ苦しんでいたら、いまごろ世界中で大問題になっているだろう。そうなっていないということは、やはりこの家に異変があるのか。それとも……。
「どうしたアオイ。体調が優れないのか?」
 俺がそう声をかけると、アオイが弱弱しそうにこちらを見た。その瞬間、何に異変があるか俺は気付いてしまった。もしかすると、俺の傷も、今の状況も、すべてアオイが関係しているのかもしれない。いや、アオイかどうかも怪しい何かが……。
「アオイ。いや、アオイだよな? 名前と瞳が一致してしまっていて、シャレになっていないぞ? お前の瞳は赤色のはずだ。だが、そこにいるアオイは青色の瞳をしている。これはどういう現象だ?」
 もう、傷の痛みなど忘れてしまった。それほどに状況が呑み込めない。冷や汗もかいてきたな。傷が汗で染みるが、それすら気にならない。
「わから……ない。だけど、これだけは言えるわ……逃げ……」
 その言葉を最後に、アオイの目つきが変わる。目の色から目つきまで、すべてが変わってしまうとはなんということだ。
「なっ!」
 そんなことを考えていると、唐突にアオイが襲いかかってきた。それにしてもなんという機動力だ。これだけの機動力があれば、あのゴミども五人なんて簡単にミンチにできただろう。俺ですらかわすのに少し苦労した。
 とりあえず外に出よう。これじゃあ、せっかくの家が壊れてしまう。最終的にはきれいな形で家の持ち主に家は返品したいところだしな。
「さぁ、これはどういうことだ。さすがに一度考えるのを止めたいところだな」
 アオイの攻撃をかわしながら外に出たのはいいが、どうすればいい。本当に廃虚のようなこの場所に相応しい状況にあるな。バイオレンスはどちらかというと好みではないのだが……。
「血……血、欲しい。お前の血……欲しい」
「まさか血フェチだとは知らなかったな。そうなら買い出しに行く前に告げてくれれば助かったのだが。あいにく、もう血は固まってしまっていてね。料理に混ぜる血も切れているところだ」
 血が欲しいだと? 間違いない。今のアオイは厳密にはアオイではない。俺にはアオイがここでそんな告白をするとは思えないからだ。これこそまさに怪奇現象ではないだろうか。何かに憑かれているとしか俺には思えない。
「血……欲しい!!」
「おっと、俺の血は希少なんだ。そう簡単にはやれないな」
 また襲い掛かってきた。だが、なんとか目が慣れてきたな。確かに驚異的な機動力だが、捉えられない機動力ではない。
「なんで避ける? 僕、血欲しいのに!」
「やれないね」
 よし、これなら相手の攻撃の終了と同時に、俺の拳でカウンターが狙える。だが、ひとつ問題が発生した。これは大きな問題だ。
「殴れる……わけないだろう!!」
 今目の前にいるアオイが何かに憑りつかれた別のアオイだとしても、姿はどう見てもアオイだ。これでもアオイと過ごしてきた日々は楽しかったと感じている。そんなアオイを殴れるほど、俺は強くできていないようだ。
 そして、さらに問題の発生だ。さっき躊躇したせいで、少し右腕の皮膚を持っていかれてしまった。つまり、アオイに多少の血が指に付着したということ。さらにはこれはひっかき傷。どうやら、つながったようだな。
「血……美味しい。これないと、僕、生きていけないと思うほどに」
「そいつは光栄だな。俺の血で商売でも始めるかね」
 俺の血が付いた指を、舌でいやらしく舐め取るアオイ。そういうプレイだとすれば興奮する光景かもしれないが、今は止めてほしいものだな。
「でも、これじゃまだ足りない。もっと、もっと欲しい」
「……」
 さすがにまずいな。この変貌はあまりに狂気過ぎる。

「……いよいよ始まりましたねえ。世界を終わらせる変革が」
「!?」
 後ろから声をかけられたと思ったら、そこにいたのは金色の瞳をした若い男だった。だが、怪しすぎるな。俺はこいつの存在に気付くことができなかった。
「今、俺はお取込み中なのだが。用があるなら後にしてもらいたいものだな」
「お気づきになられないようでしたのでこちらから声をかけさせていただきました。そして、僕は今あなたに用があるので、その要件は聞き入れられませんね」
 まったくわけが分からないこいつの存在が気になるところではある。だが、今はそれどころではない。こっちに気を取られていると、アオイに襲い掛かられる。難儀なものだ。
「おっと。不意打ちは美しくないぞ?」
 危ない。ぎりぎりでかわせた。だが、どうやらアオイの標的は俺一人らしい。こいつには目も向けない。
「おやっ、かわすだけですか。あなたならば、今の彼女の攻撃くらいは見えていると思うのですが」
「どうしてそんなことが分かる? 俺は必死かもしれないだろう」
「分かりますよ。今はまだ目覚めたばかり。まだまだ完全ではありません」
「ほぅ。それは何かいろいろと知ってそうな回答だな。怪しさが漏れ始めてきたぞ?」
「ええ。時は満ちました。しかし、このままでは満足に会話することもできませんね。なので!」
 襲い掛かってくるアオイの腹に思いっきり蹴りを入れやがった。しかし、なんて蹴りだ。こいつはまさか、本当に格闘技世界王者だったりするのか? あれだけ血気盛んだったアオイが、地に倒れ込んでしまった。
 だが、今はそんなことどうでもいい。こいつはやっちゃいけないことをやった。いくら何か事情があり気とはいえ、アオイを蹴ったという事実は許せたものじゃない。
「おい。アオイに何をする?」
 思わず、荒々しく胸ぐらをつかむ。俺らしくないな。
「落ち着いてください。僕はただ話し合いをしやすい環境を作っただけです。それに、ほとんど彼女にダメージはないでしょう。ここで僕とあなたで喧嘩をしても、彼女が起き上がってまた面倒事になるだけですよ」
「ちっ」
 確かに効率を考えればそうなるだろう。だが、こいつの今の行動は許せそうにない。しかし、今はこいつに従い話を聞くのが先決だ。じゃないと解決しそうにないからな。こいつとは一生利害の関係でしか分かり合えそうにない。俺の嫌いなタイプだ。

「まず、あなたはこの状況をどんな風にお考えで?」
 なんでクイズ形式なんだ。俺はお前と番組を作りたいわけじゃない。
「わけが分からないな。だから早く説明してくれるとうれしいのだが? アオイが起き上がると面倒なのだろう?」
「つれないなぁ。まぁ、いいです。あなた方は自らの出生について探求している。そこを紐解いてあげましょう。結論を言うと、彼女は世界の癌。そして、あなたはその中和剤です」
「……」
 わけが分からないを通り越して、何を言っているんだこいつ状態だ。俺とアオイの出生の正体が『世界の癌と中和剤』だと? 俺自身の存在がそんなもののためにあってたまるか。アオイもそうだ。世界の癌と言われていい気がするはずがない。何を根拠にそんなことを言っているのか。
「意味が分からないと思いますが、これは真実です。ですが、あなたが真実に到達できないのも当然の話。あなたはまず、『ヴェル』という存在を理解しなければなりません」
「ヴェル?」
 聞いたこともない言葉だ。こいつは、何か知っているとかそういう類ではないのかもしれない。もしかすると俺の、いや、俺たちの出生にまで関係しているのかもしれないな。くそったれめ。雲行きが怪しくなってきたぞ。
「そう。それが彼女の中にいるのですよ。そして、とうとうヴェルが目覚めた。血を求めて破壊衝動を繰り返す怪物がね」
「ファンタジーのような話だな。どうしてお前がそんなことを知っている?」
「その質問に答える義理はありません。とにかく、目覚めたばかりでこの力です。彼女の中でヴェルが成長するということはどういうことだかわかりますね?」
 自分に都合の悪い質問はすべてシャットアウトするつもりか。ファンタジーとしては優秀だが、ここはリアルだぞ。世界が危機にさらされるかもしれないそんな状態のなか、こいつのこの余裕はどういうことだ?
「世界の終わりということか……」
「ええ。物分かりがいいようで助かります。そう、ヴェルとは世界を変革させる存在。生物ピラミッドを変化させ、そして世界を終わらせるでしょう」
「お前はなぜそんなに余裕なんだ? 世界終末信者か何かか?」
「おもしろいじゃないですか。このまま人間なんて無能な生物が牛耳っていくような世界ならば、終わらせてしまった方がいい」
「いかれてるな……」
「どうでしょう。大きい目でみれば、果たして僕はいかれているのでしょうかね?」
「……」
 こんな恐ろしい言葉を不気味な笑みでつぶやきやがった。どうやら、話の通じる相手ではないようだな。だが、とりあえずヴェルという存在は分かった。破壊衝動で動く怪物か。しかも成長型のようだ。つまり、このまま野放しにしておくと、本当に世界を破壊してしまうような怪物になってしまうということ。こいつの言葉をそのまま鵜呑みにするのはまずいとは思うが、アオイがあんな状態になっている以上、うそだとは考えにくい。
 これはまたバイオレンスな状況になってきたな。どうせなら、もっと軽い出生であってほしかった。お互いが笑いあえて済むような、そんな出生であってほしかったと心から思う。
 しかし、それがどうしてアオイのなかに……。おそらく、こいつはその理由を知っている。だが、それを聞いても聞きだすことはできないだろう。力づくで聞き出そうとも考えたが、さっきの蹴りを見る限り甘い相手ではない。こいつの言うとおりヴェルがまた目覚め、そしてまた傷つけるだろう。それは避けたい。本当、ややこしくなってきたな。
「それはもういい。次は俺の『中和剤』という役割についてだ」
 とりあえず話を変える。得られる情報は多ければ多いだけいい。
「僕の質問にも答えてはくれないようで。まぁ、いいでしょう。それはお互いさまです。では、あなたの出生の役割について……」
「おい。勝手に出生の役割を決めるな。俺は中和剤の役割を聞いているんだ。出生は関係ない。アオイは別に世界を終わらせるために生まれたわけじゃない。そして俺も、それを中和するために生まれたわけじゃない。俺もアオイもひとつの個だ。出生の役割などはない」
 思わず口をはさんでしまった。俺は、こいつの何もかもを見透かしている感が大嫌いなようだ。そして、出生の役割を決め打ちされるのはさらに嫌いだ。とりあえず、俺はこいつの思い通りになど生きてはやらん。何があってもな。
「失礼。中和剤というのはあなたの血のことです。ヴェルを抑えられるのはあなたの血のみ。あなたの血を飲んだときのみ、ヴェルの破壊衝動は落ち着きます。満足するまで飲めば、また彼女の人格に戻ることでしょうね」
 そうか。だからヴェルは俺の血を欲しがった。俺の血に何が含まれているのかはしらないが、これで俺とアオイの出会いは必然ということが分かった。もしかすると、出会わされたのかもしれない。そうは思いたくないが、今は明らかにこいつの手の上で踊らされている。それぐらいは分かる。
「もし、俺とアオイが出会わなければどうなっていたんだ?」
「詳細は話せませんが、ヴェルは生まれなかったでしょうね。おそらく、あなたは『ヴェルは自分の血が弱点』だと考えているのでしょうが、それは違います。むしろ、ヴェルはあなたの血を好んでいます。あなたの血を追い求めて破壊衝動を繰り返すと考えていいでしょう。そして、あなたの血の匂いを感じ取って、ヴェルは目覚めてしまった。つまり、世界変革のスイッチを押したのは紛れもなくあなたです」
「……俺たちは出会ったのか? それとも出会わされたのか?」
「どうでしょう。必然だとすれば、その方は立派な魔術使いなのでしょうね。完璧に思い通りになるシナリオなんてこの世には存在しないと僕は思いますが」
 真意は分からないが、とにかく出会わせたのではないと言いたいようだな。だが、もし出会ってしまったのだとすると、時間を戻したい気持ちになるな。俺とアオイが出会わなければ、アオイはこんな運命を背負わされることはなかった。もしかしたら、何かほかのきっかけがあって忌み嫌われし呪われし者から抜け出せたかもしれないのに、俺と出会ってしまったばっかりに、本当に呪われし者を背負ってしまった。

「さて、あまりにも大きな事実を知ったあなたに、ここで最後の問いかけです」
「……」
「これはとても単純な二択。ご覧のとおり、今のヴェルならば私の力でも倒すことができます。すなわち、あなたの力をもってすれば殺すことなど造作もないでしょう。ならば後は簡単なこと。ここであなたが彼女を殺し、ヴェルごと闇に葬ってしまうか。それとも、ヴェルにあなたの血を飲ませながら、世界の癌との共存を選ぶか。世界的に考えると、英雄になるか悪魔になるかの二択です。さぁ、お選び下さい」
「……ヴェルを消滅させる方法は他にないのか?」
「お答えする義理はありませんね」
「お前は他に何を知っている?」
「それもお答えする義理はありません」
「ならば最後に聞こう。お前の名前は?」
「ウキョウです。以後、お見知りおきを」
「このままお前の手の上で踊らされたままだと思うなよウキョウ」
「ええ。そうなることを期待していますよ」
「……」
 アオイか。お前と出会って、まだそれほどの時間を共有していないが、俺はお前のことを随分と気に入っている。俺の軽口にも軽口で返してくれるし、俺の料理を美味しそうに食べてくれる。そして何よりも、こんなどこのだれかも分からない俺と一緒に居てくれた。「私も分からないのだから一緒よ」と言われてしまったらそれで終わりなのだが、やはりそれはうれしいことだ。
 それが、こんな形で終わりを迎えてしまうとはな。俺とお前は出会わない方がよかったのかもしれない……それが今だ。だが、それはしょせん今であって未来ではない。出会ってよかったと感じた過去はあった。だからこそ、俺はまだ未来という希望の夢を見られるのかもしれない。
 もしかすると、これは間違った決断なのかもしれない。俺にとってもアオイにとっても、これからの未来を青色に染められるかどうかは確証がない。だが、少しだけわがままをさせてくれ。俺は、諦めるのが嫌いな気質なんだ。
「ウキョウ。刃物を持っていないか?」
「護身用のナイフでよければ」
「それで構わない」
 どこを切ろう。まだ傷の浅い右腕でいいか。
「つっ……」
 俺の肩から赤色の血が流れる。痛みは感じるが、それがアオイの生命線だと感じると愛おしくも感じる。赤というのはどうしてこうも生を感じさせてくれるのだろう。死人が流すものではなく、生きるために流れるものだと今は感じる。アオイがアオイとして生きることができるのならば、俺は重ねて同じ血を流し続けよう。
「ヴェル。さぁ、飲め」
「血!!」
 血の匂いに反応したのか、ウキョウの蹴りで地に倒れていたヴェルが起き上がり、俺の右肩を凝視する。そして、極上の料理を食べるときのようなうっとりとした顔で、俺の肩から流れる血をすすり始めた。
 なんとも言えない奇妙な感覚に襲われる。まさか、自分の血をだれかに飲ませる日がくるとは思わなかった。いつか貧血で死なないように気を付けよう。
「血……美味しい」
 俺の血に満足したのか、ヴェルの瞳が青色から赤色に戻る。また次いつ現れるかは分かったものではないが、できるならば一生満足しておいてほしいものだ。
「レッ……ド?」
「やぁ。お目覚めかアオイ」
「私、どうしちゃったの? 気分が悪くなったと思ったら意識がなくなっちゃって」
「いろいろあったのさ。俺の腕が傷だらけなのも仕方ないくらいにな」
「あらそう……何か分からないけど迷惑かけちゃったみたいね。ごめんねレッド」
「あぁ。時にはバイオレンスも必要だろう。これからもっとバイオレンスな事実をお伝えしなきゃならないがな」
「うん……ごめん、また眠く……」
 そう言うと、アオイはまた眠りについた。言ってみればアオイはヴェルの母体のようなもの。疲れも激しいのだろう。俺は、そっとアオイを抱きかかえ、家へ戻ることにした。
 後ろを振り返ると、もうすでにウキョウはその場から姿を消していた。結局、何者なのかすら分からなかったな。
 今回のことで、とても危険な状況におかれているということは分かった。だが、厳密には俺は何も知っちゃいない。疑問は数えきれないほどある。
 俺はまだウキョウの手の上で踊らされていることは間違いない。だが、このままで終わるつもりなどはない。俺は諦めが悪いんだ。アオイ、そしてヴェルと共存して生きていくと決めた以上、アオイからヴェルを取り除いて真のハッピーエンドを迎えてやる。黒く沈んでもまた青くなる空のように。



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4.変革 

 アオイを家へ運んだ俺は、傷に薬を塗って包帯を巻いた後、とりあえず料理を作っている。やはり、こんな重たい話である以上、飯を食べながら話すことで少しは気を紛らわせるのではないかという気休め。そして、何かしていないと俺が落ち着かないからだ。
 どうしてだろう。こんな日に限って料理が美味しくできている気がする。何かしら集中しているからなのだろうか。火事場のくそ力という言葉があるが、窮地にたたされると、どんなことも必要以上の力がでてしまうようだな。
 それにしても相当な疲れだったようだ。もう数時間は経つが、まったく起きる気配がない。一体、アオイのヴェル化はどれくらいの頻度で起きるのだろうか。もし、毎日だったりしたら俺の身体もアオイの身体ももたないだろう。
 それは考えづらいか。そうだとしたら、ウキョウがあんなに楽しめているはずがない。寿命が見えた操り人形ほどつまらないものはないからな。
 おそらく、ウキョウは今のこの状況の全容をほぼ把握している。だが、そうだとすれば、俺たちにもまだ希望があるということだ。ウキョウが考えているシナリオのひとつでもこちら側が打破すれば、まだ未来は変えられる。変える方法がなければ、ウキョウもわざわざこんなまどろっこしいことはしないだろうからな。楽しまれているという状況は好機だと捉えよう。
「……レッド」
 そうこうしている内にアオイのお目覚めだ。よかった。もう少しで美味しくできた料理が冷めてしまうところだった。
「おはようアオイ。目覚めはどうだ?」
「とても悪いわ。だって、私の知らない間にいろいろあったみたいだもの。置いていかれてるっていうのが特に気持ち悪いわ」
「……そうだな。本当ならば隠すのが正解なのかもしれないが、今から本当のことを話す。飯でも食べながら聞いてもらおうじゃないか」
「ええ。そうさせてもらうわ。さすがに今日の料理は美味しく食べられそうにはないけどね」
「あぁ。そういう日もある」
 俺は包み隠さずにアオイに話した。アオイの中にはヴェルという名の怪物が潜んでいるということ。俺の両腕を傷だらけにしたのはだれでもなくアオイの中に潜むヴェルだということ。そして、ウキョウのこともだ。当然、俺が最高にかっこつけたヴェルとの共存の選択のことまで、すべてな。
 話している間にいつの間にか夜も更けて、今のこの状況に相応しい色になってしまった。飯もいつの間にかなくなって……味わう時間すらなかった。これこそ料理が泣くというやつだな。味を気にせず食べられた料理ほど悲しいものはない。
 そんな料理の気持ちに共鳴するように、アオイの表情も悲しみに包まれる。そりゃそうだ。こんな事実を聞かされて余裕で居られるはずがない。それに、アオイは何も悪くないんだ。それがもっと悲しみを飛躍させるだろう。俺だったらこの世を恨んでぐれている。
「ねえレッド」
「なんだ?」
「私ってこのまま生きていていいのかしら? 私が死ねば、そのヴェルも消えるのでしょう? それなら、私の命ひとつくらい安いものだと思うわ」
「……そうだな」
「でも、レッドは私と共存する道を選んだ。どうしてなの?」
「確かに大きな目で見れば、俺はお前を殺すべきだったんだと思う。だけど、俺はそれができなかった。ウキョウというやつは実に嫌なやつで、少しの希望を残して去った。一定以上の情報を開示しないという手を使ってな。俺はその手にまんまと騙されて、希望の船に乗ってしまったというわけだ」
「だけど、まだ間に合うわよ? まだ希望の船は出航していないわ」
「死にたいのか?」
「分からない。だけど、このまま生きているべきではないような気がして」
「分からないならあがいてみようとは思わないか? お前は空の話のなかで『人間なんて黒く沈んでしまったらそう簡単に這い上がれない。なのに、空はそれを毎日繰り返してる』と言った。今がまさにその状況だ。簡単に這い上がれない状況を、空は毎回あがいて青くしている。青くなれる希望が残されているなら、それに賭けてみるのも悪くないと思うのだが」
 仕方がない話だが、どうにも調子が上がらない。どうも言い方にトゲがでてしまう。こんな状況のなか明るく振舞えるはずがないのは分かっているし、アオイが弱気になるのも分かる。だが、そう簡単に諦められてしまうのは俺が嫌だ。
「ごめんなさい。今はなんとも言えないわ。だけど、ひとつ疑問に思ったことがあるの……。私たちって、果たして人間と呼べるのかしら?」
 人間かどうかか。確かに考えてみれば疑問なところではある。俺たちは出生不明でありながら運命共同体だ。もしかすると、この世界終末のシナリオのために作られた怪物兵器なのかもしれない。だが、今はそんなことどうでもいい。俺たちが人間であろうがなかろうが……。
「さあな。だが、俺たちは生きている。こうやって生きるためにあがいている。それだけで生物の証明にはなるだろう」
「……そうね。ごめんなさい」
「構わんさ。こんな話はどっと疲れるだろ? 今日はもう休もう。休息も大事なものだ」
「……ええ」
 世界を滅ぼすような、世界の癌とまで呼ばれる怪物を身に潜めるのは、相当な気苦労なのだろう。なんとか和らげてやりたいとは思うが、残念ながら俺にはその器量は持ち合わせていない。今日はとにかく休もう。俺も今日の一日はさすがにハードすぎた。

 朝が来た。まだ空気は重苦しく、いつものような軽口はない。もしかしたら、俺の料理が美味かったわけじゃないのかもしれないな。料理の最大のエッセンスは環境と空気なのかもしれない。その証拠に、今日の朝飯はあまり美味しく感じない。ほんと、食材にとても申し訳ない気持ちだ。かといって、環境と空気がよければアオイの料理を美味しく食べられるかと言われればそれは違うと答えるがね。いくら環境と空気が大事とはいえ、最低限のクオリティは必要だ。
 心の中で軽口を存分につぶやきながら俺は仕事場に向かう。だが、今日は仕事に集中できそうもないな。俺が仕事に行っている間にアオイがヴェル化しないとも限らない。まぁ、それはないだろうという判断で仕事場に向かっているのだが。これ以上、ファミリーに迷惑をかけることはできない。
 相変わらず仕事場はドス暗い空気に包まれている。なにせ、ここは金貸しの裏稼業だ。俺たちによって泣くやつもいれば笑うやつもいる。大半が泣くやつだがね。本当、俺ほどの身体能力がなかったら泣いて帰っているところだよ……と言いたいが、実際のところは金貸し稼業なのに笑顔になるやつで絶えないアットホームな仕事場だ。俺のような新入りに、いつもファミリーたちは気さくに挨拶してくれるし、俺の事情も深くは聞いてこようとしない。
 本当にいいやつらなのだが、なぜだか今日は俺に対して気まずそうだ。「おはよう」の挨拶ですら躊躇しているようだし、来る場所を間違えたのかという錯覚にすら陥る。
「レッド。ちょっとこっちに来い」
 そんなことを考えていたらボスに呼ばれた。普通、仕事場のボスなんかに呼ばれたら緊張するものなんだろうと思うが、ここは別だ。大した用がなくてもドスの効いたクールなボイスでファミリーたちを呼ぶ。正直、紛らわしいからもっと気さくに呼んでほしい。
「はいはい。今行きます」
 ボスの部屋へ行くと、いつものように大型の黒サングラスで目を覆い、それに負けないほどのダンディーオーラを醸し出すボスがいた。たまに、こういうオーラを出しながらも別に大したことない会話をしてくるから怖い。とりあえず、そのダンディーなちょび髭は剃るべきだと思う。
 少し前も、その風貌と声から「今日、店に可愛いぬいぐるみがあって、思わず買ってしまったんだがどう思う?」と、似合わぬ質問をされ、ぬいぐるみを見せられたことがあった。正直、どう答えを返せばいいか分からない。さすがに相手がボスとはいえど「お似合いですよ」と言うのは俺のプライドが許さなかった。
「何かご用でしょうかボス?」
「何かご用でしょうかではない。むしろ、『何が起こっているのか把握していないのですかレッド?』と返したいところだ。今日はボスじゃなく、ロンドとレッドの仲で構わん。敬語も使わなくていい。むしろ使うな」
 今日は何か深刻な雰囲気だな。
「どういうことだ?」
「早速敬語を止めてくるか。それでこそレッドだ」
「冗談はいい」
「強気になったな……。しかし、そうか、知らないのか。俺が用意周到な人間でよかったなレッド。少し待て」
 ボスがそう言うと、何やらビデオデッキを用意している様子だ。どうやら、俺は今から何かしらの映像を見せられるらしい。正直、嫌な予感がする。大体何が映るか予想はできてしまった。
「これは、今朝早くから流れた映像だ。今、この世界はこの話題で持ちきりだろうな」
 そう前置きをしながら映像を流す準備をするボス。
「俺はレッドが出勤してくる前にすでにここにいる。そこで何をしているかと言われたら、テレビを見たりしてゆっくりとしているとしか言いようがない。これは、そんなときに偶然見たテレビの映像だ。俺は焦って録画したよ。途中からではあるが見た方が早いな」

「……」
 そこで流れていた映像は、ウキョウが全世界へ向けて俺とアオイの状況をばらまくような内容だった。いつ撮ったのか分からないが、その時の映像や、俺たちの顔写真まである。本当、隙がない。
 そして、ここでもウキョウは俺たちに情報を開示するつもりはないようで、俺に告げた事実を大げさに訴えかけている。どうやら、賞金や英雄の栄誉などの報酬もでるようだ。これはまずいな。報酬という名の欲望。そして、そこから生まれる正義感により、俺とアオイを討伐するような流れになることは間違いない。
 やってくれる。正直、この事実を告げられただけでもかなり精神がまいっているんだ。それに加えて、この追い打ちはいい状況とは到底言えない。ウキョウの野郎、俺たちの希望すら潰す気か? それとも、これでもまだ潰れないと考えているのか? 俺たちを買い被りすぎだぜくそったれ。
「率直に聞こう。本気か?」
「それはどういう意味でだ? 『本気で救えると思っているのか?』という意味なのか、『正気かお前?』という意味なのか」
「前者だ」
「それなら本気だ。冗談でそんな選択ができるはずがないだろう。世界を敵に回してでも、結果的にハッピーエンドで終わることができるのならば、その可能性が潰えるまで俺は諦めない」
「……」
 ボスがそこで会話を止め、ジッと俺の方を見てくる。おそらく、本気かどうか確かめているのだろう。確かめ方が古いし、サングラスのせいで目線が確認できないぞとは思ったが、俺も冗談を言っているつもりはない。
 相手がボスだとは認識してはいるが思いっきり睨み返そう。 こうなってしまっては、ボスの言うとおり、ボスとファミリーの関係ではない。今は、ロンドとレッドの関係だ。
「……本気のようだな。だが、ウキョウは底が見えないぞ?」
「!?」
 ボスの名前からサラッとウキョウという名が出た。いや、名前は全世界に配信されてはいたが、なんだこの知っている口ぶりは。ウキョウがウキョウならボスも何者だ?
「ウキョウを知っているのか!?」
「あぁ。この世界では科学者として相当な権威だ。裏では危ない研究をしているという噂も絶えないがな」
「他に何か知っていることは? どんなことでもいい!」
「……いや、特に詳しいことは知らん」
「そうか……」
 ウキョウはこの世界の有名人だったのか。それだけでも有益な情報だな。くそっ、どうして電気も水道も通っているのにテレビはなかったんだ。テレビを見ていれば、もっと早くにウキョウの正体に気付き、対策を練れていたかもしれないというのに。
 だが、こうなった以上、これからアオイの下へ帰るだけでも襲われたりするかもしれない。それならまだいいが、映像で俺たちの居場所はすでにばれているんだ。アオイが襲われていてもおかしくない。今すぐに戻らなければ……。
「すまん。今日でここを辞めなければならなくなった。本当に感謝している。ファミリーにもよろしく頼む」
「あぁ。それは分かっているが、もう少しだけ待ってくれ。文字通り救いの船を出してやる。これまで想像以上の成果を残し続けてくれたからな。俺はお前の味方だ。それくらいはさせてくれ。いまさら、このロンドを疑うこともないだろう?」
「……」
 救いの船? ボスに何ができるというのだ。それよりも俺は早く帰らなければならない。味方だと言ってくれるボスの言葉は本当にうれしいが、俺には今、時間がない。ファミリーたちに挨拶している時間もないんだ。分かってほしいところだな。
「俺はもう行く。本当に世話になった」
「だから、ちょっと待て。今から電話する時間をくれ」
「電話?」
「あぁ。電話だ。俺の娘の家に住まわせてくれるように頼む。心配するな。娘の居場所は俺たち以外だれも知らん。地図にも載っていないからな。引きこもり志望の娘を持つと、住居にも気を使うってものだ」
「……都合がよくないか? どうして、他人の俺にそこまでしてくれる。俺はそこまでの成果を挙げたか?」
「そうだな。今はとりあえず、本気の気持ちが伝わったからだと言っておこう。ここでどれだけ言葉を並べても真意は分からんものだ。俺の真意は、これからの人生の流れが示してくれるだろう」
「……すまない」
「気にするな。時間がないのだろう?」
「あぁ……」
 ボスが出してくれた救いの船。これは、俺の予想以上に温かい。そして、ボスが予想以上に温かい。ファミリーたちしか知らない場所ということは、ファミリーも俺の味方だということだ。本当に、俺はいい仕事場で働けていた。
「パパだ……今日は無理を頼みたい……あぁ、そうだ……嫌だと!? そこをなんとかパパの顔を立てると思って……あぁ、あぁ、遊んでくれるとも。いくらでも遊んでくれるぞ……よし、分かってくれたかパパは本当にうれしいぞ」
 いろいろと聞きたくない単語を聞いた気がするが、話をつけてくれたようだ。それにしても、まさかボスに娘がいるとは。そして、親バカだったとは。本当にボスは風貌と中身が一致していないと思う。男の俺が言うのもなんだが、可愛い要素が多分にある。
「了承はとれた」
 そう言うと、ボスが紙に文字と簡単な地図を書き入れる。どうやら、その場所への行き方のようだ。
「これを持っていけ。絶対に落としたりするなよ? それは、俺にとってどんな機密事項よりも大切なものだ」
「恩に着る」
「あぁ。生き抜けよレッド。どんな困難にぶち当たっても生き抜け。生きる力さえあれば、どれだけ希望の炎が小さかったとしても消えることはない」
「……肝に銘じておく」
 何度でも言おう。本当に俺はいい仕事場で働けていた。ここが裏稼業だろうとなんだろうと、最高の仕事場だった。まだ短い俺の人生の軌跡ではあるが、俺にとって忘れることのできない時間となった。これからどんなことがあっても、この職場での思い出を、きっと俺はしつこく思い出す。

 俺は仕事場を出て、一目散へアオイの下へ走った。走る途中、さまざまな暴言雑言が聞こえた気がするが、今はそんなもの関係ない。なにか街の人間どもがいつもよりも少ないようにも感じてしまう。勘違いだといいが、不安はぬぐえない。
 だが、ファミリーたちのおかげで少し気が楽になった。見たかウキョウ。すべてがお前の思い通りになるわけじゃない。お前は「完璧に思い通りになるシナリオなんてこの世には存在しない」と言ったが、本当にそのとおりだ。すべての人間がお前の操り人形なんかじゃない。俺はこの小さな希望を全力で使わせてもらう。地図にも載っていない家。つまり、お前も知る由のない場所だと考えていい。いや、そう考える。
 俺は諦めない。どれだけお前が追い込んできたとしても、俺は諦めてなどやらん。全力で生き抜きあがいてやる。ちょうど、ボスにありがたいお言葉をいただいたところだ。何度でも言おう。ウキョウ。俺は諦めない。



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5.宿命という名の鎖 

第二章 呪われし宿命を背負って

「よぉ。遅かったな準主役のナイト様。ナイト様がお姫様から離れちゃいけねえぜ? お姫様ってのは常にだれかから狙われてる不遇な存在だ」
 アオイの下へ走って帰ってきてみれば、案の定アオイは狙われていた。それもかなりの大人数だったらしいことも伺える。
 だが、今の段階で俺の敵となるのは初対面で妙な軽口をたたいてきたあの妙な男だけだ。あいつ以外の人間どもはみんな地に沈んでいるからな。おそらく、他の大多数のアオイを狙う人間どもを、あいつ一人で片付けたのだろう。
 そうなると、この状況はかなりまずい。アオイの首元にナイフを突きつけながら、必死で走ってきた俺をにたにたとした表情で見つめる、このくそったれ野郎の対処法が見つからない。時間でも止めることができればこの状況も打破できるのだろうが、俺にはそんな能力は備わっていない。ヴェルを静める血なんてものを持ち合わせているのだから、それぐらい持ち合わせとけよくそったれめ。
「それはナイトとして油断していたな。それで、お前が代わりにお姫様を守ってくれていたってわけか? そんな光景に見えなくもないが」
「そうさ。その代金として、このお姫様にかかった賞金でもいただこうと考えているところ。いい賃金だと思うが、どうかなナイト様?」
「ナイトとしては、先にお姫様に了承をとってほしいものだな。ナイフを突きつけられているお姫様はどう思う?」
「そうね。本当に勘弁してほしいところだけど、捕らわれている以上、何も言えないわね」
 相変わらずにたにたと余裕そうな表情をしているな。俺と同じ青い瞳ってのがさらにいらいらするところだが、有利なのは明らかにあいつだ。そうなるのも致し方ない。だが、アオイを不安そうな顔にさせているのは気に食わない。
 だが、アオイが捕らわれている以上、うかつには動けない。かといって、このまま睨み合っていても状況はよくならないだろう。これは不利な状況過ぎるな。力任せな馬鹿が相手じゃなさそうな分、助かったのかさらに状況が悪くなったのか……頭を回せ、切り抜けなければ先はない。
「だそうだ。交渉決裂だな。早いところお姫様を解放してくれるとうれしいのだが?」
「そうはいかねえな。これでも正体は賞金稼ぎでね。転がってる賞金を逃すほどの余裕はないのさ」
「なんだ。ナイトじゃなかったのか」
「残念ながら、俺はしょせん悪役ってところだ。でも、悪は悪でもダークヒーローがいいな。そうすれば俺は報われる」
「残念だったな。自分のことを悪などと称する時点で、お前は悪役にもヒーローにもなれん」
「確かに。さて、喋るのにも飽きてきたところだ。そろそろ動きますか」
「!?」
 わけが分からない。動くと言った途端にアオイを離しただと。一体何を考えているんだ。だが、どれだけの余裕があるかは知らないが、これはうれしい誤算だな。こいつは、俺たちを明らかに舐めている。
 当然、アオイは一目散に俺の方へ向かって走る。これで、状況は五分五分。もう、何を恐れる必要もない。ただ、目の先にいるあいつと対峙するのみだ。
 だが、問題はあいつの実力のほどだ。これだけの人間どもを一人で片付けたであろう男だ。俺が勝てるとは限らない。だが、アオイが逃げる時間くらいは作れる自信はある。さっきより状況が悪いということは間違いなくない。
「とは思ったものの、ここはあまりにも障害物が転がりすぎている。俺は無意味な殺生は嫌いでね。こっちもお姫様を手放したんだ。ちょっと場所を変えさせてもらおうか」
「……いいだろう」
 ここで従うのもどうかと躊躇はしたものの、こいつは罠にはめて陥れるタイプではないと判断した。それに、こいつの言うことも理にはかなっているしな。確かに余計な巻き添えはだしたくない。
 アオイもそれは感じ取ってくれたようで、首を縦に振って了承する。何を考えているかは分からないが、ここは従うべきだろう。被害が大きくならないならそれに越したことはない。

 着いて行った先は人気のない岩場であった。また殺風景な場所だが、人が転がっていないだけ安心だ。まぁ、もっとも俺たちが安心である保証はないがな。気を利かせたとはいえ、目の先にいるあいつは敵に違いはない。
「さて、実は、用があるのはナイト様だったりするんだ。お姫様は危ないからちょっと離れていてもらおうか」
「捕らわれていたとはいえ、あなたに指図される筋合いはないわよ? 除け者扱いは勘弁だわ」
「おいおい。俺はお姫様を傷つける趣味はないぜ。ヴェルに変身しないと戦えはしないだろう?」
「そもそも、あなたの目的は何? レッドと戦っても賞金は手に入らないわよ? レッドがやられそうになったらみっともなく逃げ回ってやろうかしら」
「別に大した意味なんてないさ。ただ、ナイト様の実力のほどを確かめておきたくてね!」
「!!」
「離れていろ、そして目を伏せていろアオイ! こいつは賞金稼ぎというより殺し屋の類かもしれん!」
 唐突に拳銃を取り出すとはクレイジーなやつだ。それも早撃ちか。アオイには見えていないだろうが、俺にははっきりと見えた。だが、いきなり撃ってくるとは予想できていなかったな。アオイをかばってかわしたおかげで、頬に銃弾がかすってしまった。
 ということは血がでるということ。もしかするとヴェルを誘発してしまうかもしれない。アオイもそれを理解したのか、俺の側を大きく離れて目を伏せる。
 しかし、この男は行動一つ一つに関連性がないな。わざとだとすれば相当に意地の悪い男だ。だが、捉えられないことはない。もう、こいつの攻撃は食らわん。
「よくかばえたな。じゃあ、いくぜ?」
 どうやら戦闘は回避できないようだな。しかし、こいつはデフォルトの表情がにたにたなのか? こんなときでも、にたにたとした余裕そうな表情を忘れない。それも、別に戦闘に酔っている戦闘狂のような狂った感じでもなく、ただ単ににたにたとしている。別の意味で怖いとは思うが、さっきの拳銃が主力だとするならば問題ない。まぁ、そんなに甘くないという考えは捨てることができないが。
 何にしても、俺はこんなところで止まっているわけにはいかない。この男がだれでどんなやつということすら知らん。だが、俺は全力でここを切り抜けないとならない。傷ついてでも、傷をつけてでも、俺たちは生き抜く。

 さっきと同じく、銃弾を俺に向けて撃ってくる。だが、俺にかわせないことはない。どれだけ拳銃を撃つのが早くても、銃弾のスピード自体には限界がある。俺の目はそれくらいなら捉えられるようで、かわすのはもちろんのこと、つかむこともできるかもしれない。これなら、間合いを詰められる。
「おっ、ただ銃弾をぶっ放すだけじゃ無理そうじゃねえか」
「!」
 剣か。間合いを離されたら拳銃。間合いを詰めたら剣と、器用な男のようだな。
 それも、かなりの腕のようだ。間合いを詰めたのはいいものの、俺もかわすのが精一杯で反撃にうつることができない。これじゃあ埒が明かないな。やはり簡単な相手ではなかった。だが、どうにかならない相手でもない。理想以上予想以下というところだ。
 だが、埒が明かないと感じているときに光は見えるものだ。隙がない戦闘はないというが、それは本当だな。ちゃんと洞察しながら戦えば隙は見える。
「おっ?」
 少しの大振りだ。それだけで戦局は大きく変わる。俺は剣をはじいてこいつをのけ反らせた。これを俺は待っていた。
「なっ!」
 俺の拳はこいつのボディーを捉えた……そのはずなのに、手応えがない。やはり、普段から人を殴り慣れていないと手応えの感覚がつかめないだけなのか。それとも……
「ぐっ……」
「惜しかったなナイト。後一歩だ頑張りな」
 気付けば俺の肩にナイフが刺さっていた。これで分かった。俺は誘導されていたということか。まさか、後ろに飛んでダメージを殺し、その隙にナイフを投げてくるとはな。こいつは相当なやり手のようだ。
 だが、だからといって降参するわけにもいかない。お姫様を放って諦めるナイトなどに、俺はなるつもりはないのでな。
「おっ?」
 ナイトならば、力の差を感じても迷わず駆けよう。足が動くならば進むのみだ。そして、拳に力を込め、振りかざすのみだ。
 一撃で倒そうだなんて贅沢なことは言わない。ただ、この男を引かせる程度の力を俺にくれ。俺は倒したいわけじゃない。ただ、アオイを守りたいだけだ!
「……やるじゃねえかナイト。完敗だ。俺の武器は折れた」
 俺の拳は男の持つ剣にとどき、そして砕いた。これで、こいつの持つ武器は拳銃しか残されていない。
「勝負あったな。油断でもしたか?」
「そんなことねえよ。でも、まだ勝負は終わってねえみたいだぜ? 大ボスがおいでなすった」
「!?」

「なんだ……少し、同じ匂いする……」
「……ヴェル……」
 俺に聞こえてきたその声は、俺を焦らせるには十分だった。まさか、ヴェルがでてきてしまうとは。おそらく、このナイフが刺さった肩から流れ落ちる血が決定打だったのだろう。とりあえず、今分かる事実は、この状況は本当に危機だということ。そして、ヴェルは俺の血に誘われてでてきてしまうということが確定した。
 そして、そんな状況になっても、こいつはにたにたを止めない。むしろ、ようやくこの状況になってくれたかという安堵な表情にすら見える。もしかすると、こいつの本当の目的は俺でもアオイでもなくヴェルだったのかもしれないな。
「これか。こいつが死神の……こいつがねえ」
 死神? まぁ、世界の癌と呼ばれているのだから、そう呼ばれてもおかしくないか。だが、本当に興味深そうに見るな。分かりやすいやつだ。
「お目当てがでたか?」
「どうだろうなぁ。俺はナイトが目当てだったんだが、こいつはうれしい誤算ってところかな」
「傷つけさせんぞ? こいつはヴェルだがアオイだ」
「さすがナイト様。だが、まずはあれをどうにかしないといけねえだろ」
「大丈夫だ。ヴェルは俺の血が目当てだ。偶然にもお前に傷つけられた傷があるからな。そこから血を飲ますことができる。いい循環だと感じたね」
「それは傷つけた甲斐があるってもんだ。でも、そううまくいくかな?」
「!?」
 そんな会話をしている内に、ヴェルが襲い掛かってきた。だが、妙なのは今回のターゲットは俺ではなくこの男だ。ヴェルは俺の血に誘われているんじゃないのか?
「因果だねえ。振り回されて生きるってのもつらいよな。宿命って鎖はどれだけ強くなっても切れないのかと思うと涙がでてくるね」
 わけの分からないことをつぶやきながら、ヴェルの攻撃をかわす。ヴェルの成長は早いようで、昨日の今日だというのに、少し機動力が上がっている。この成長スピードだとすれば、本当に時間は残されていないのではないだろうか。
「お前……じゃない……けど、死んで……死んで……死んで……お前から……少し懐かしい匂いもする……」
 その言葉で、初めてこいつの顔からにたにたが消えた。一気に物悲しい表情に変わり、ヴェルを見つめる。
 おそらく、この男も何らかの形でヴェルと関係があるのだろう。やはりこの男の目当てはヴェルだと考えるべきだ。この男は俺が目当てだと言ったが、おそらく俺のことは眼中にない。眼中にはなかったからこそにたにたしていたのだろう。いけ好かない話ではあるが、不思議と憎み切ることはできないな。
「残念ながら死ねねえな。死なんて俺たちには複雑すぎるだろ?」
「死んで……死んでよ!!」
 ヴェルが襲い掛かる。だが、複雑な顔つきでかわす。ちくしょう。完全に置いていかれた。
「お前が俺を殺せたらな。それは勘弁願いたいが、今のお前の相手は俺じゃない。早く血を飲んでおとなしくしてな」
 そう言うと、俺へ向けて目配せする。早く飲ませてくれという合図だろう。俺としたことが雰囲気に呑まれてしまっていた。今、しなければならない最善のことを忘れていた。

「ヴェル! お前の目当ては俺の血だろう!! 来い、飲ませてやる」
 俺はできる限りの大声でヴェルの注意を引く。少しピクッとしたヴェルは我に返ったように興味を俺の方へ変えた。
「血……そう、僕、血が飲みたい。血を、血をちょうだい!」
 一目散に俺の方へ向かってくるヴェル。だが、俺は今日のことでひとつのことが分かった。あいつと対峙しているときのヴェルと、俺の血を欲しがっているときのヴェルの表情は違う。あいつと対峙しているときのヴェルは、何かに苦しんで、何かを考えているように見えた。世界の癌とまで呼ばれるヴェルに生を感じてしまった。だが、俺の血を欲しがるヴェルは違う。血に生かされているような、血に縛られて生きているような、そんな、生を失ったような表情をしている。
 ヴェルはアオイの中に巣くう怪物で、俺はそれを取り除きたいと考えている。なのに、俺は今日のことで少しヴェルに情を持ってしまったのかもしれない。これは、いけないことなのだろうか、いや、いけないことだろう。俺はアオイを救いたいんだ。
「血……美味しい……血……」
 一心不乱に俺の血をすするヴェル。この前は奇妙な感覚を感じただけで気持ち悪かったが、今回はそれほどそんな気もしない。どちらかというと心地いいというか、安心した気持ちになる。俺も何かに毒されてしまったか? 俺らしくもない馬鹿な考えだ。ヴェルは取り除かなければならない存在だ。ヴェルまで含めて救おうと考えられるほど、俺は強くないことを知っている。そのはずなのに。
 血を満足するまですすったヴェルは、またアオイの中に身を潜め、そしてアオイが帰ってくる。やはり気のせいだったのだろう。赤い瞳に戻ったアオイを見ると、やはり心の底から安心する。
「なぁナイト」
 安心している俺を見て、あのにたにたとした余裕のある表情ではなく、無表情で語りかけてくる。
「なんだ?」
「俺もお前もアオイもヴェルも、みんな宿命の鎖につながれちまってる。だけど、自由ってなんだろうと考えたら、答えがでない。お前はどう考える?」
「自由なんてしらんな。自由ってなんだろうと考える段階で、それはもう自由ではないのだろう。鎖につながれちまってると考える段階で、それはもう縛られているのだろう」
「自由が見えなければ自由を追い求める。鎖が見えちまっていればつながれちまってると感じちまう。俺はもう侵されちまってるな。お前はいつまでもそうであってほしいもんだ」
「お前は怪しすぎるな。ヴェルについて何か知っているのか?」
「知ってるさ。俺たちは宿命の鎖に巻きつかれちまってるからな。まぁ、それはいいじゃねえか。今の俺は、ただの賞金稼ぎジェインだ。宿命のことなんて思い出したくないね。まっ、今日はただの顔見せだ。また会うことになるだろうぜ、必ずな」
 そう言うと、静かにジェインは去って行った。賞金稼ぎのジェインか。ジェインといいウキョウといい、ヴェルを知る人間は濃い存在が多いようだな。一日一日俺たちの状況が悪くなるじゃないかくそったれめ。また油断できない相手が増えた。これは、確実に喜ばしい状況ではない。
 とりあえず、一度家へ戻って必要な物だけ取ってこよう。そして、アオイの目が覚めたらすぐにボスの娘の家へ向かおう。できるかぎり人気のない深夜に出ていきたいな。残念ながら、大多数の人間どもが俺とアオイを狙っていることは確認できた。
「ボスの娘が俺たちを受け入れてくれるといいな。なぁ、アオイ」
 目覚めないアオイをおぶって、家へと歩く。いつまでも、二人そろって青空を眺めていたいものだ。どちらかが欠けて見る空は、きっと濁っているだろうから。



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6.ボスの娘 

 家へ戻り、アオイを布団へ寝かせる。傷は治療して、包帯を巻いて隠しておこう。また血の匂いに誘発されてヴェルが出てきてしまうかもしれない。そうなればアオイの身体はもちろんのこと、俺の身体も持ちはしないだろう。俺だって毎日戦って血をすすられていては、ミイラになってしまうのは時間の問題だからな。
 とりあえず、こういう暇な時間は料理だ。いつの間にか、料理が趣味になってしまっているな。初めは、欠陥舌だと言われたことを見返してやろうと料理を作ってみたものだが、今となっては料理を作っている時間が本当に平穏の時間のように感じる。美味しそうな匂いが広がっていくこの時間は、俺の心を安らかにさせる。まぁ、これも美味しそうに食べてくれる人がいるからかもしれないがな。
「起きてみれば、今日もいい匂いが広がる家ね」
 アオイが目覚めた。やはり、美味しそうな匂いというものは人を呼ぶ力がある。無理にたたき起こすよりも、側で料理でも作ってみた方が効果的なのだと思う。
「そうだろう? 最後の晩餐だ。家の残り食材すべてを使うから、今日は豪華だぞ」
「最後? どういうこと?」
 そうか。そういえばまだアオイには知らせていなかったな。今起こっている現状と、これからこの家を出て、ボスの娘の家でお世話になるということを。
「アオイは不思議に思わなかったか? たくさんの人間どもがこの家へ押し寄せ、そして、あのジェインという謎の男に捕らわれていたという事実に」
「不思議すぎて考えないようにしていたくらいね。だけど、さすがの私でも大体の予想はつくわ。なんらかの形で私がヴェルを抱えていることがばれている。当然、この場所もね。そして、あの男が賞金稼ぎだということは、私に賞金がかかっているということ。とにかく、相当まずい状態だということね」
「あぁ。そういうことだ。呑み込みが早くて助かる」
「ええ。早く現状を理解して、私も美味しい料理を美味しく食べたいもの。冷めさせちゃうのは勿体ないわ」
「同感だ。話を始める前に美味しく食べてしまおう」
「そうねと言いたいところだけど、話しながら食べましょう。黙々と食べるのは寂しいと感じる派なの」
「なら、明るい話でもしようか」
「そうね。現実逃避できるくらい明るいやつがいいわ」
 最後の晩餐は、まさに晩餐といえるような楽しい時間だった。今、俺たちが置かれている現状を忘れるような、そんな笑顔を表情に出しながら料理を口に運ぶ。きっと、今日の料理は笑っているだろう。いや、泣いているのだろうか。現実逃避の材料にされた料理たちの気持ちは、俺には想像すらつかない。だが、俺は目の前にある料理たちのおかげで、現実逃避だとしても笑えている。片思いかもしれないが、俺は料理たちに感謝をする。
 そして、そんな楽しい晩餐で腹を満たした後は、考えたくもない現実の時間が帰ってくる。目を背けたくなるような世界に絶望しながら、あの逃避した世界はどこだろうと色眼鏡を探す。だが、もう色眼鏡は割れてしまったのだ。どうしようもないとは思いながらも、やはり色眼鏡を探す。だけど、結局は気付いてしまう。逃避した世界は自分たちの力でつかむしかないのだと。色眼鏡という道具はしょせん幻想でしかないのだと。自分の目で前を向いて、そして逃避した世界をつかむしか道はない。
 俺は、ウキョウが全世界へ向けて、俺たちの存在をおおやけにしたということから、仕事場のボスの娘の家でかくまってくれるということまで、事細かに説明した。アオイはそんな説明を黙って聞いてくれた。どうしてこんな目に合わなければいけないのかと思うこともあるだろう。だが、そんな顔を見せず、いや、見せないように振舞って、アオイはボスの娘の下へ行く準備をする。
「ねえレッド?」
「なんだ?」
 準備をしながら、物悲しそうな表情をするアオイ。やはり、いろいろと思うこともあるのだろう。ぜひ、俺にぶつけてほしいものだ。
「やっぱり私って迷惑な存在じゃないかしら? レッドにも、あなたのボスにも、その娘さんにも、そして世界にも……私は迷惑をかけすぎているわ」
 そっちの心配か。合わなければならないではなく、合わしてしまっていると考えるアオイは、やはりいい子だ。なのに、こんな目に合わなければならないのは酷だな。
「確かにそうかもしれないな。だが、迷惑だと考えるのは個人の自由だ。俺は迷惑だと考えていないし、世界もなんやかんやで、この状況を楽しんでいる。意気揚々と襲ってきたのがいい証拠だ。ボスと娘には迷惑をかけるかもしれないが、協力してくれる本当にいい人たちだと思う。今、それを考えていてもキリがない。迷惑をかけるならとことんかけよう。中途半端は道連れを誘発すると考えるのでな」
「……そうね。ありがとうレッド。さぁ、だれにも気付かれないように行きましょう」
 明らかに無理やり納得したような、言いたいことを呑み込んだような表情と間だった。だけど、そこには触れない。自分が迷惑で生きていていいのかという不安を呑み込んでくれた、その気持ちを棒で突くような真似はしたくない。
 こういうとき、俺はどういう風に声をかけてやればいいのだろうか。俺には答えが分からない。とりあえず、軽くにっこりと微笑もう。少しでも不安が取り除かれることを祈って。
「あぁ。家の持ち主が驚くくらいにきれいにしてな」

 家を出て、ボスからもらった地図を頼りに道を歩く。なんとも不思議な感覚だ。普通ならば、ここはなんともない草原だ。むしろ、きれいだとも感じるだろう。だが、俺たちはそれを感じることができない。どこかで今の俺たちを監視しているやつがいるかもしれないし、どこかで俺たちを狙うやつらに遭遇してしまうかもしれない。せっかくの草原だというのに、真っ暗で満足に風景を眺めることもできない。地図を見るのも小さなライトを当てて一苦労だ。平穏というものは、なによりもすばらしい彩取りのエッセンスだと感じる。今の俺たちが世界で一番美しい風景を見ても、素直にきれいだと感じることはできないだろう。
 どれくらい歩いただろうか、いつの間にか日も出てきかけている。早く見つけないといけないとは思うが、ここはすでに怪しげな森のなかだ。果たして、こんなところに家があるのか。
 そして、廃虚のような場所から、今度は薄気味悪い森のなかか。これでは、そういう趣味だと思われてもおかしくない。俺は別に訳あり物件フェチじゃないんだ。本当は、少し高い金を払ってでも安全な家へ住みたいという願望すらある。まぁ、そんなことを言える身分じゃないのだがな。
 さて、そんなことを考えていると、そろそろ目的の場所だと思うのだが何も見当たらないな。ここにきて実は騙されていましたなんてオチはいらないぞ? そうなれば、俺たちはすぐにでも死ねる自信がある。希望の炎も、なくなってしまっては形無しだ。
「レッド。ここで間違いないの?」
 さすがにアオイも疑いだしたのか、俺に確認を取る。
「そのはず……なんだがな」
「ちょっと地図を見せてくれない?」
「あぁ」
 アオイに地図を手渡す。入念にその地図を見渡すアオイだが、やはり場所はここで合っているようだ。
「……ちょっと待って?」
「どうした?」
「ライトをもっと下の方に向けてくれない?」
「何も書かれていない場所にか?」
「ええ。ちょっと一瞬何かが映った気がして」
「任された」
 アオイの言う場所にライトを当てる。
「!」
 すると、そこには小さく薄い字で『パパはサラをだれよりも愛しているぞ』と書かれている。おそらく合言葉だと思うが、どうしてボスはこんな言葉にしたのか。これではただの親バカだ。しかも寒いやつだ。これだけ小さく薄い字で書いたのは恥ずかしかったのだろうか。それとも、他の人間にばれてもいいようにという最終応急処置なのだろうか。後者だとすればうれしいが、前者だと、ただのおっさんの残念恥ずかしがりだ。本当に、可愛いところが多分にあるな。
「……ねえレッド」
 困り、そして呆れているという、そんな表情をしながら俺に語りかけるアオイ。まぁ、大体何を言いたいかの見当はつく。俺も、それは薄々どころか多分に感じている。
「今からこれ、言わなきゃいけないのよね?」
「任せろ。俺が言おう」
「いや、そんな大仕事あなた一人には任せられないわ。お供させてもらおうと思ってね」
「それは心強い。恥ずかしいセリフもみんなで言えば怖くないとはまさにこのことだな」
「そうね。仲間の重要性を感じるわ」
 二人で息を合わせるために一度深呼吸して息を整える。こういう一体感があると、気も紛れるというものだ。
「いくぞ」
「ええ」
『パパはサラをだれよりも愛しているぞ』

「……!」
 俺たちが声をそろえて恥ずかしいセリフをつぶやくと、近くの地面が反応を示し、そして地下への道が開いた。これは驚いたな。機械の発達とは恐ろしいものだ。というか、ボスは本当に何者なのだろうか。娘のためにこんなものを作れるような力が一体どこに……。親バカの本気は恐ろしいな。
「すごい仕掛けね。あんな恥ずかしい言葉がパスワードだなんて、機械に同情するくらいだわ」
「まったくだ。とりあえず入ってみようか」
「そうね。せっかく開いたのだから」
 俺たちは地下へ足を踏み入れる。すると、ご丁寧に地上への入り口が閉ざされた。おそらく、ここから出るときはまたあの言葉を言わないといけないのだろう。何度も辱めを受けるとはまさにこのことだ。
「別に広いわけじゃないようだな」
「そうみたいね。きっと、あの入り口で予算が尽きたんだわ」
 少し進んだ先にあったのは、インターホンのついた扉だった。どうも、他に部屋がありそうなつくりではない。別に、中身が広いという印象は受けなかったのだ。そういえば、娘は引きこもりだといっていたな。だから、そんな広い場所は必要ないという判断なのか。それとも、娘の方がそれほど広い部屋を必要としていないのか。おそらく後者だろうな。あの親バカが娘の要求に対して「必要ない」と言える気がしない。
「とりあえずインターホンを鳴らしましょうか」
「あぁ。それがイベントを進めるイベントのようだからな」
 躊躇なくインターホンを鳴らす。たとえ、居候の身になろうとお願いしに来たとしても、押さない限りはどうしようもない。ここは迷わず押すべきだろう。
「はい」
 すると、インターホンの先から女性の声が聞こえてきた。ボスの娘にしては可愛らしい声をしている。声質からすればアオイの方がボスの娘という感じだな。
「こんにちはサラ。俺はボスにかくまってもらうように頼んでもらったレッドとアオイだ。開けてくれるとうれしい」
「パパの言ってたお兄ちゃんとお姉ちゃん! ちょっと待っててね、今開けるから。たくさん遊んでね?」
「……? あぁ、ありがとうサラ」
 しばらくすると、扉の鍵が解除される音がする。そして、それ以上の反応はない。すなわち、入ってきていいということだろう。
「……」
 入ったそこは、一人で住むにしてはかなり広い場所だった。これなら、俺たちが住んでも場所の広さ的には問題なさそうで少し安心する。これで、一人で住むのにも窮屈なくらいの家だったらどうしようかとも思ったが。
「いらっしゃい! 早速、こっちにきて遊びましょう?」
 サラが俺たちを出迎えてくれる。しかし驚いた。ボスの娘だからどんな女性かと思ったら、まさかの、身長の小さなロリ体型のロリータ服だ。グレーの瞳と長い黒髪が、それをより一層引き立たせている。
 しかもだ。ロリと言えば貧乳が定番のはず。なのに、この子はちょうどいい感じに胸がふくらんでいる。このちょうどよさそうなふくらみは人によっては神と崇めるのではないだろうか。
 心なしかアオイが嫉妬しているように感じる。それも、自分の胸とサラの胸を見比べながらだ。残念だなアオイ。お前は間違いなく貧乳だ。服の上から見てもまな板と分かるほどにな。
「遊ぶって何をするのかしら?」
 胸の恨みは恐ろしいのか、少し挑戦的な声色でサラに語りかけるアオイ。お前はかくまってもらうという意識はないのか。
「簡単なことだよ。とりあえず、私の部屋へ行こうよ」

 サラに連れられて部屋へ入れてもらう。なんとも女性らしくない殺風景な部屋だ。寝場所と機械しかないぞ。そして、これはおそらくパソコンだ。なんかいろいろ改造されていてすごいことになっているが……カスタマイズもここまでやると別物だな。
「ようこそお兄ちゃんお姉ちゃん。じゃあ、さっそくサラと遊んでね」
 にっこりとした笑顔でそう言うサラ。唐突過ぎてついていけないところがあるな。さすがはボスの娘、曲者だ。
「まぁ、一度落ち着こうじゃないか。遊ぶよりも先に聞きたいことはないのか? いきなり、知らない男女が押しかけてきているんだ。何かしらの説明とかがいるんじゃないか?」
 俺がそう言うと、少し勝ち誇ったような気丈な顔つきになるサラ。なぜそうなる。
「心配ないよ。私はすでにお兄ちゃんたちの事情を知っているから」
「どこまで知っているのかしら? ウキョウは知っているとしてもジェインは知らないんじゃない?」
「そうだね。お姉ちゃんたちとジェインの関係は把握していなくても賞金稼ぎジェインのことは知ってるよ。ウキョウもジェインも目立つから、情報が多く転がっているの」
「詳しいことまで分かるの?」
「多分、お姉ちゃんたちが知りたいことは分からないと思うよ。だから、早く遊ぼう? ここにかくまうことを許可した条件は『遊んでもらえること』だよ。契約違反は私嫌いだな」
 少し強張った表情になるサラ。おそらく、早く遊んでくれないことに怒りが込み上げてきているのだろう。なんというかペースを乱される怖さがあるな。
「そんな契約したの?」
 こそこそと耳打ちしてくるので耳打ちで返そう。短い言葉だがな。
「いや、知らん」
 正直、そんな契約がなされているとは思わなかったが、遊ぶだけでかくまってくれるというのは御の字だ。内容にもよるが、ボスの娘だからそんな危惧することもないだろう。
「悪かった。早速遊ぼう。遊びの内容はなんだ?」
 俺の発言でサラの顔がパッと明るくなる。表情の起伏が激しいな。
「うん! 遊ぼう遊ぼう。別に難しい遊びじゃないの。むしろ、みんなが笑顔になれるものばかりだよ!」
 どんな遊びだろうと思ったが、それは本当にみんなが笑顔になれるような遊びばかりだった。サラが要求してきた遊びは、お馬さんごっこやおままごとといった子どもが楽しむ遊び。そんなサラの遊びに俺たちは付き合う。 まさか、あんな強面のボスの娘が望む遊びは、こんな女の子らしい可愛い遊びだとはな。だが、これが存外に楽しかったりもする。世の中は酒と女が最大の娯楽だなんて言うが、案外こういう童心に戻れるような遊びが一番楽しいのかもしれない。まぁ、俺は童心の時期なんて記憶にすらないから、こういった時間を新鮮に感じているだけかもしれないがな。

「お腹すいたねお兄ちゃん、お姉ちゃん!」
 サラのその言葉でふと時間を見てみると、なんだ、もう夕食の時間か。楽しく遊ぶ時間というのは時間の流れが速いな。
 そう言われてみれば腹が減ってきたような気がする。もしかすると、ずっと楽しい時間が続いたら、人間は料理を食べなくても生きられるのかもしれないな。そんなことはないと思うが、そんな気がする。
「そうだな。そろそろ飯にするか」
「うん。今日はいっぱい遊んでくれてありがとう! お礼に、私が晩ご飯を作ってあげる」
 満面の笑みで俺たちにそう言ってくれるサラ。ありがとうと言うのはかくまってもらっている俺たちの方なのに、ボスの娘はとてもいい子のようだ。安心するな。
「ちょっと待って」
 ここぞとばかりに強気な声色を発し、和やかな雰囲気をぶち壊しにくるアオイ。少し口を閉じていてほしいものだな。
「どうしたのお姉ちゃん?」
「私もサラのおかげでめいいっぱい楽しむことができたわ。だから、お礼としてもうひとつ遊びをしましょう」
「どういうこと?」
 まさか……頼む、本当にやめてくれ。サラも興味を示さないでくれ。
「私も料理を作るわ。ねえサラ、料理の味対決で遊ばない?」
 その言葉を聞いた途端、サラの表情がパッと明るくなる。やめてくれ、本当にアオイの料理は危険なんだ。
「面白そう!! やろうよお姉ちゃん。ルールは?」
「ルールは簡単。私たちが作った料理をお互いが食べ合うの。そこのレッドは欠陥舌だから、私の料理は受け付けないのよ。困ったものね」
「あっ、お兄ちゃん好き嫌いとかしちゃうタイプなんだ! いけないなぁもう」
 そういう問題じゃないんだ。まぁ、直に分かるさ。
「だが、それだと判定はどうするんだ? お互いが自分の方が美味しいと言い張ったらそれで終わりだろう」
 ここでまたアオイが自信気な表情をする。何がどうすればそんな自信がでてくるというのだ。
「そこでレッドの登場ね。レッドには私たちの表情を見ておいてもらうわ。こういうのは第三者の目が一番正しいのよ。それも、洞察力の優れてそうなレッドならなおさらね。美味しいものには美味しそうな顔を、不味いものには不味そうな顔をするのが世の常というやつよ」
「ということは、俺は食べなくていいんだな!?」
「……ええ。そんなに私の料理が食べたくないのねあなた」
「あぁ! できれば一生食べたくないな」
 よかった。最悪の状況は無条件で切り抜けられたみたいだ。よし、全力で審査員を務めてやろう。アオイの料理を食べなくてすむなら、とことん公平にやってやるぞ。サラの料理が気にならなくもないがな。これだけ長く一人で暮らしているんだ。料理の腕もいいはずだ。
「失礼ねまったく。まぁ、いいわ。このルールで構わないかしら?」
「いいよ。でも、私も料理得意だよ。私の圧勝だったら、ちょっとお姉ちゃんが可哀想だね」
「心配ご無用。私はそれ以上に得意なのよ。究極の料理というものを魅せてあげるわ」
 よく言うよ。まぁ、究極には変わりないと思うがね。
「うん! 期待してる!」
 そう言うと、二人が持ち場へ行く。どうやら、キッチンをサラに案内してもらっているようだ。それにしても、きれいなキッチンだ。これは良い料理が作れそうだな。俺も使わせてもらおう。
 食材も新鮮そうだ。これは、本当に期待できそうだな。とりあえずサラの料理は食べたいものだ。

「完成したわ!」
「私も!」
 どうやら二人の料理が出来上がったようだ。果たしてどんな出来になっているやら。片方の出来は想像したくもないがな。ほぼ間違いなく食材レイプに違いない。
「まずは私からね。私の料理はハンバーグよ」
「!?」
 なんだこれは。一体、何がハンで何がバーグだというのだ。こんなもの、ただの黒い塊だろう。黒い隕石ですと言われた方が納得するぞ。『中を開けるとジューシーな肉汁が』……とか、そんなことは絶対ない。断言できる。それはない。
 なのに、どうしてそんな自信満々に「先攻で自信を失わせてあげるわ」とでも言いたいような表情ができるというのだ。サラの顔もさすがに引きつっている。当たり前だ。普通の感覚からすればこれは料理ではない。
 きっと、新鮮な肉が使われていたのだろう。だが、結果は黒い隕石だ。切られた動物も報われないな。こんな姿にされた挙げ句に、嫌々食べられようというのだから。
「つ……次は私だよ! 私は豪華にステーキを作ってみました!」
「おぉ!」
 ほぅ。どちらも肉で攻めてきたか。そして、これは見事にステーキだ。香りも飾り付けもいい。肉がいきいきとしているな。
 これは、食べる前から決着がついていると見ていいだろう。美味しそうなステーキ対黒い隕石バーグなんて、そんな不釣り合いな試合はそうそう見られない。これで、黒い隕石バーグが勝ってしまったら、その隕石に賭けた物好きは一生暮らしていけるだけの賞金を手にすることができるだろうな。
 サラはもっと自信あり気な顔をしてもいいはずだ。だが、無理もないか。相手は未知の料理、黒い隕石バーグだ。警戒して緊張するのも分からなくもない。だが安心しろサラ。それは最強に見せかけた最凶だ。お前の勝ちは揺るぎないだろう。これが、『料理でノックアウト選手権』だとしたら話は別だがな。
「これはいい勝負になりそうね。さすが得意と言っていただけあるわ」
 それは本気で言っているのか? 冗談にしても笑えないな。
「そう……だね。じゃあ、早速食べようかお姉ちゃん!」
「ええ。いただきますサラ」
「うん。こちらこそアオイお姉ちゃん」
 両者が互いの料理を口に運ぶ。俺は、サラが死なないことを祈るしかない。すまんサラ。俺はお前を救うことはできなかった……!?
「美味しいじゃない。得意と言っていただけあるわね。相手に不足なしだわ」
 当たり前だ。アオイの方はそうなるだろう。だが、これはどうだ。
「お……美味しい。正直、もの凄く警戒してたけど、すごく美味しいよお姉ちゃん!」
「そうでしょ? サラは分かってるわね。どこぞの欠陥舌さんとは違うわ」
 おいおい。そんなことがあるはずがない。サラはお世辞がうまいなぁ。表情を隠すのもうまい。おだてのプロと呼ぼう。
「サラ。年上だからって我慢しなくていいんだぞ。人は時に、年齢や上下関係なんて気にせずに文句を言っていいときもある」
「あらっ、欠陥舌さんは中立な立場じゃないのかしら? まさか、審査員としても欠陥なのかしらねえ」
「……サラ。正直に言っていいぞ。大丈夫だ。俺は味方だからな」
 今はアオイの言葉を耳に入れている場合ではない。これは非常事態だ。
「えっ、美味しいよお兄ちゃん。多分あれだよ。この前食べた料理が偶然にもお口に合わなかっただけじゃないかな。ほら、食べてみて?」
 そう言って、アオイの黒い隕石バーグを俺に差し出すサラ。女性の食べかけの料理を食べられるなんてラッキーだなんて思っている場合じゃないぞ。これはさらに非常事態だ。だが、せっかくのサラの優しさだ。受け取らないわけにはいかない。
「あぁ……それでは失礼して食べさせてもらうぞ」
「どうぞご勝手に」
 料理は冷たい。アオイも冷たい。まさにピンチだな。さっさと食べてしまおう。裁きは早く食らった方がいい。
「……ぬぐわあぁぁぁぁ!!」
 これは超野菜炒めを超える破壊力だ。まさに黒い隕石の如く、俺の口内を征服しにくる。飲みこみたくないが吐きたくない。俺も男だ。気合いを見せる。
「はぁ……はぁ……」
 どうだ。飲みこんでやったぞ。俺は……俺は黒い隕石バーグに勝ったんだ!
「お兄ちゃん大丈夫? お口に合わなかったんだね。おかしいなぁ。美味しいんだけどなぁ」
「あぁ。どうやら、俺のお口はアオイの料理はシャットアウトらしい」
「本当、大した欠陥舌だこと。分かる人には分かるのにねえ。ねえサラ」
「うん! お姉ちゃんのハンバーグ美味しいよ!」
「ふふっ、いい子ねサラは」
 アオイが笑う。サラも笑う。なのに、どうして俺だけ泣きそうなんだ。そうだ。俺も料理で笑おう。サラの料理を食べればきっと……。
「なぁサラ」
「どうしたの? もう大丈夫?」
「いや、それはない。だが、サラのステーキを食べればきっと大丈夫になるさ。料理のお口直しは料理で済ませってな」
「いいよ! 食べて食べて!」
 そう言って、サラは俺にステーキを差し出す。これは美味しそうだ。お口直しにはぴったりだ。いい香りと良い見た目は、俺の食欲を湧き立たせる。
「じゃあ、いただきますサラ」
「どうぞレッドお兄ちゃん」
 ……。
「……ぬぐわはあぁぁぁぁぁぁ!!!!」
 冗談だろ。黒い隕石バーグとは違って見た目も香りもいい。なのに、なんだこの味の破壊力は。何をどうすればこうなる。というよりも、なぜこれを美味しそうに食べられるんだアオイ。
 この世界の女性の味覚はみんなこんなものなのか? もしかすると、俺の料理も驚くほどに不味いのか? こんなもの新鮮な食材への冒涜だ。絶対に今後は俺が料理を作る。作らさせてたまるものか。これでは食材が報われなさすぎる。これがきっかけで地獄に落とされるくらいのものだ。
 もう駄目だ。意識を失いそうだ。今日はもう飯はいい。明日自分で作ろう。それが一番の道だ。俺はもう、他人の料理なんぞに一切の期待を持たない……。



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7.古代の伝説 

 サラの家に住まわせてもらって、もう数か月が経過している。正直、今のこの暮らしが俺にとって一番楽しい。だれからの恐怖に怯えることもなく笑って暮らせることの幸せを、俺は十二分に実感しているところだ。おそらく、それは幻の平穏で、外に出ればヴェルを探し回っている人間どもがうようよしていることだろう。それを考えれば脱力している暇はないのだろうが、今はとりあえずこの生活を楽しみたいと思う。
 だが、不思議なのはヴェルのことだ。なぜか、この数か月は一度もヴェルが表へ出てきていない。この平穏な生活を楽しむためにはとてもありがたいことだが、それと同時に現れたときの不安も募っている。果たして、数か月の成長を遂げたヴェルを俺は止めることはできるのだろうか。アオイもサラも、俺にとってかけがえのない存在で、ぜひとも傷つけたくはないのだが。
「お兄ちゃん、料理まだー?」
「待ってろ。もう少しでできる」
 なんやかんやでサラも俺の料理の虜になってくれている。おかしい話だ。やはりアオイもサラも欠陥舌ではないのだ。なら、なぜヴェルも倒せそうなほど強烈なお互いの料理に、お互いが美味しいと言いながら食べることができるのか。これはもう、理論では解明できない何かなのだろうな。
「ほら。今日も美味しそうだろう。食べるぞ」
「わーい! 私、お兄ちゃんの料理本当に大好き!」
「そうね。欠陥舌ではあるけど、料理は美味しいわね」
「そこ、一言多い」
 今日も軽口を言い合いながら料理を口に運ぶ。本当に、こういうときの料理というものはいきいきとしているように見えるな。心なしか食べられる料理もうれしそうだ。作る側としても食べられる側としてもがっちりと握手を交わせている証拠だろう。やはり、料理は心が正常な状態に食べるのが一番美味しい。
「そういえば、お兄ちゃんたちって小さいときの記憶がないんだよね?」
「あぁ。出生不明だからな」
「じゃあ、古代の伝説とか知らないんじゃない?」
 古代の伝説? 聞いたこともないな。まぁ、聞いたことある方がおかしいのだが、大体の情報はなぜかすでに頭の中に入っていた。だが、そんな伝説はどれだけ考えてみても分からない。
「アオイは知っているか?」
「知らないわ。今、流行っている本とかかしら?」
「違うよ。私もネットワークの情報でしか知らないのだけど、本当にあったって話だよ」
「どんな話なんだ?」
 古代の伝説か。気にならないと言われればうそになるな。そういう神話染みた話はむしろ好きな方なんでね。飯の後の会話としてはとても魅力的だと感じる。
「ちょっと難しい話になるけどいい?」
「あぁ。俺はこれでも理解力はある方なんでな。なぁアオイ?」
「そうね。情報がなさすぎて脳がたくさん情報を取りこめるんでしょうね。数年したらその理解力も衰えている姿が目に見えるわ」
「そうか? もしかすると大幅な進化を遂げるかもしれないぞ」
「それはまた大層な自信をお持ちで。録音でもしておこうかしら」
「……お兄ちゃん、お姉ちゃん? 聞きたいの? 聞きたくないの?」
 俺とアオイが軽口で会話していると、プクッと頬を膨らませながら俺たちを睨むサラ。どうやら、とても話したいようだな。サラは自分が中心となって事を回すことが好きな子のようだ。それは日々の遊びで分かる。基本的にサラが楽しめるような遊びにしか乗り気になってくれないもんな。まぁ、それもサラの笑顔で帳消しになるのだが。
「あら、ごめんなさい。ちゃんと聞くわ。どっちの話が重要かなんて考えるまでもないもの」
「同感だ。そういう神話のような話は俺は興味があるんだ。それこそ、サラの話を録音してもらいたいものだな」
「そうね。録音機材もありそうだし、録音しようかしら?」
「……古代の伝説っていうのはとても昔の話なの。それこそ、まだこの世界が生まれて文明が発達したころくらいの」
 また、俺とアオイの軽口合戦が始まると思ったのか、俺たちの会話を遮って話し始めたサラ。なかなか強い心をお持ちのようだ。さすがはボスの娘というところだな。
 さて、俺も真剣に聞こうかな。これ以上サラの機嫌を損ねたくはないのでな。



 文明発達途上の世界で一度、今でいうヴェルのような怪物が現れたの。その怪物は人の血を好む怪物で、世界を荒らして回った。まさに、ヴェルと似通った状況だね。その怪物はとても強力で、古代の人間はだれも怪物に敵いはしなかった。
 そんなとき、怪物に立ち向かおうという金色の目をした男が現れた。その男に対して、古代人たちの知り合いはだれもいなくて、男の境遇は分からない。だけど、男は驚くくらい強かったの。唯一、怪物とも互角以上に戦える人間で、世界の運命は男の命運に託されたも同然だった。
 その激闘を古代人たちは見守った。そして、遂に男は怪物を撃退したの。その後、古代人たちは男を救世主と崇めた。世界という大きな規模を救ったのだから、当然といえば当然だね。
「伝説というには、なかなかありきたりだな」
「そうだね。でも、伝説はここから。ここまでは序章だね」
 怪物を倒して救世主となった男だけど、不思議なことにどれだけの時が流れても歳をとらなかった。これは、数少ない目撃証言から伝えられたもので、信憑性はない。だけど、古代人たちはそれを大いに不思議がった。
 そうすると、古代の考古学者がある文献を発表した。ここがこの古代の伝説で一番重要なところなんだ。それは『禁術』といって、古代よりもさらに古代の人間が生成したという魔術なの。魔術は、古代時代ですら封じられていた文化で、過去の文献すらまったくない。つまり、これが初めて発見された文献だったってことだね。
 どこかで生まれて、そして禁じられたことによって語り継がれた禁術。それは主に『不死』『束縛』『調律』の三術といわれていて、男はそのなかの不死を使用していると噂された。
 それからの男への扱いはひどいもの。あれだけ救世主だと崇めた古代人たちは、手のひらを返したように男を避けだした。呪いだなんて言いだす人もいたようだね。そうなってきたら、後は話が飛躍するだけ。救世主だと言われた男は呪われし禁術者だとののしられ、挙げ句の果てには怪物を倒した死神だと賞金までかけられた。死神に戦いなんて挑めないと、古代人たちのなかではジョークのような扱いだったらしいけど。
 いつしか男は姿を消し、表舞台には現れないようになった。その後、男の姿を見たものはいないみたいだよ。世界を脅かす悪い怪物を倒した救世主は、不明確なものでしかない禁術という疑惑で新たな怪物だと認識された。そんな扱いを受けても世界を恨まずに姿を消した救世主と、それに対する古代人の醜さを表した伝説だね。



「神話にしては現実的で悲しい話だな」
「うん。人間って本当に弱い生物だなって思う」
「どうしてサラは私たちにこの話をしようと思ったの? 何か理由があるのかしら?」
「ちょっと、二人と境遇が似ていると思って。出生不明のお兄ちゃんとお兄ちゃんの血を好むヴェルを体内に潜めているお姉ちゃん。男と怪物に被るような気がしたの」
 境遇か。確かに似通っているところはあると思う。だが、俺にその覚えはない。記憶喪失という訳でもないだろう。
 もしかすると、ウキョウはこの伝説を再現したいのかもしれないな。血を好む怪物と救世主の男。だが、この伝説と俺たちの境遇と違うところは、俺はヴェルに対抗する力はないということだ。呪われし者と呼ばれるくらい強ければ何か被るところもでてくるかもしれないが、俺はそこまで強くはない。それは、この前のジェインとの対峙で明らかになっている。武器を壊したとはいえ、あのまま戦闘していれば、俺はジェインに敗北していたかもしれない。そんな俺がヴェルを止め切れるとは思えない。
 そうなると、禁術というものがキーワードとなるか。今回の伝説では不死のみがピックアップされていたが、他の二術も気になるところではある。調律はよく分からないが、束縛はすごく強そうな匂いがする。
「禁術は今の時代では伝えられていないのか?」
「うーん。話し始めた本人ではあるけど分からないな。禁術はまだ存在するとも言われているし、もう歴史からは消えたとも言われているね。都市伝説みたいなものだよ今では」
「気になるところではあるわね。いかにもウキョウが好きそうな言葉じゃないかしら、禁術なんて」
「そうだな。悪趣味そうなあいつにはどんな極上な料理よりも魅力的に見えていそうだな」
 今の時代では伝えられていないとされる禁術。だからこそ怪しいともいえる。伝説にもなっている禁術が今のこの時代に伝えられていないということは、だれかが意図的に情報の開示を伏せているともとれる。それがウキョウとは限らないが、一番怪しい人物ではあるな。世界的にも有名のようだしな。
「それにしてもサラは物知りね。前から思っていたけど」
「情報をつかむのは大好きだからね。そういう意味でもパソコンは唯一無二の相棒だよー」
 カスタマイズされたパソコンに頬ずりするサラ。やはり、長年引きこもりをしていると物を相棒だと思えることもできるのか。さすがベテラン引きこもりだな。
「といっても、お兄ちゃんやお姉ちゃんに必要そうな情報はあまり流れてこないけどね。私が分かることなんて、未だにお兄ちゃんやお姉ちゃんを世界は探し回っているってことだけだよ。悲しい話だよね。その人を見極めないで、お金と名誉のために、無条件で傷つけようとしているんだもの。いつのときも人間って弱い生物だと思っちゃうよ」
 そんなことまで調べてくれていたんだな。本当にボスはいい娘を持ったな……娘? そういえば、サラはボスの娘だったな。今までの騒動でそこまで頭が回っていなかったが、よく考えてみればおかしいぞ。
 まず、ボスはダンディーなオーラと大型のサングラスをかけてごまかしているのかもしれないが、明らかに肌が若く、おじさんとは言い難い。なのに、サラはもう十八の女性だ。一体ボスはいつサラを産んだんだ? まぁ、ボスが異常に若く見えるだけなのかもしれないが……。
 そういえばボスは謎だらけの男だな。ボスの奥さんの存在も不明確だし、どういう育児の仕組みになっているのかもわからない。聞いていいのかは分からないが、気になるところではあるな。

「失礼な話だが、ボスとサラの関係ってどうなっているんだ? 例えば、奥さんの存在とか」
「レッド。それは野暮な質問よ。もっと質問は考えてした方がいいんじゃない?」
 ごもっとも。だが、一度聞いてみたかったことではある。ボスには謎がたくさんあるからな。
「構わないよ。ママは私が生まれてすぐに病気で亡くなった。でも、ママに会えなかったのは悲しいけど、それを恨んではいないよ。私には素敵なパパがいるもん。ママに会いたいだなんてわがままを言う歳でもないしね」
「サラは強くていい子ね。レッドの無粋な質問にもちゃんと答えて、しかもちゃんと家族を大切にしてる。私が母親だったら自慢の娘になっているわね」
 すぐに亡くなっていたのか。それは悪い質問をしたな。だが、サラはそれを乗り越えて生きているようだ。本当にサラは強い。ボスもこんな娘がもてて鼻が高いだろう。正直、過保護になってしまう気持ちもよく分かる。俺も、サラのような娘ができたら過保護になってしまう自信がある。今なら、あの恥ずかしい合言葉も素直な気持ちで叫べそうなくらいだ。
 正直、生まれたころからの記憶のあるサラは羨ましくもある。これは、初めて出生不明の人間以外と深く関わっているからだとは思うが、少し考えてしまうな。
 俺には果たして家族というものが存在していたのか。小さいころはどんな子どもだったのか。それとも、そんな過去は存在しなかったのか。俺が俺以前だったころの俺はどんな俺だったのか。今になって気になってきたところではあるな。
「なぁ、アオイ」
「そんなしんみりした表情でどうしたのレッド。ようやく、自分の質問が失礼だったということに気付いたかしら?」
「それもあるね。だが、それ以上に気になるのは俺たちの出生のことだ」
「今さらね。私はそれどころじゃないから、随分の間気にしていないわ」
「そうだな。だが、俺たちの家族がいるとすれば、その家族は今、どんな顔をして生きているんだろうな」
「どうでしょうね。だけど、今さらどんな顔をして近寄ってきても、私には受け入れる器量はないわ。サラのように家族に大切にされてもいないししてもいないもの。私は、どれだけ温かく手を差し出されても、それ以上に冷たく手をひっぱたくわ」
「そうだな。俺もきっとそうなるだろう」
「でしょ。なら、考えない方がいいわ。結局冷たくあしらうんですもの。変な情を持つだけ無駄よ」
「大人だねー。子どもの私には入る隙間もなかったよ」
「サラはこうはなっちゃだめよ。もしこれが大人なら、一生大人なんかにはならないでほしいわね。サラにはいつまでも温かい子で居てほしいわ」
 アオイの言うとおりだな。どうせ冷たくあしらってしまうなら、いっそのこと家族のことなど考えない方がいい。どうせ出生不明なら、何も考えずに出生不明の方がいいのかもしれないな。俺には過去がなくても現在を生きて未来を作ることができる。俺が今できることはアオイの中和剤となること。そして、ヴェルをアオイから取り除くことだ。今は、そのことを第一に考えよう。



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8.親子 

「パパの話をしたら、なんだかパパに会いたくなっちゃった」
 この言葉でボスをサラの家に招くことが決定した。仕事が忙しいのではないかと思ったが、サラ曰く、もっとも重要視する事項はサラのようで、どんな大仕事があってもサラの下へ来るらしい。なんというか、大した親バカの鏡だな。よくファミリーの反感を買わなかったものだ。
 そういえば、ボスに会うのも久しぶりだな。元気でやっているといいが。人を笑顔にしているとはいえ、金貸しのボスだ。町でも評判はよくなかったな。さらに、ヴェル討伐に参加していないとなると、ますます日当たりは悪いのではないだろうか。まぁ、そんなことに負けるボスではないということは俺もよく知っているがな。だから、それほど心配はしていないのだが、当事者側としては頭が上がることはないな。
「そういえば、私はまだサラのお父さんに会ったことはないのよね」
 ふと気が付いたようにそう言うアオイ。そういえば、ボスとのプライベートの付き合いはなかったから、一度も家などには招いたことはなかったな。ボスと初対面か。初めは有り余るオーラに驚くことだろう。だが、話を進めていくうちに「なんだこのおっさん」となることだろう。それがボスであり、ボスの魅力でもある。
「パパは本当に素敵なんだ。優しくてかっこよくて。だから、お姉ちゃんもパパのことが好きになるよ」
「それは楽しみね。サラのお墨付きだなんて、どんな保証よりも信用できるわ」
「私は、どんなことがあってもパパを愛し続けるの。パパは私の最後の家族で、とても大好きだから。失いたくないものは自分から歩み寄らなきゃいけないって、私はそう思うんだよね」
「そうね。サラはお父さんのお姫様ね。お姫様側としてはナイトがいるといないとでは大きな違いだと思うわ。それは、私も常に感じているもの」
 ボスとサラには家族としての大きな絆がある。そこにひとつの世界が存在していて、そこはサラの家族以外、だれも踏み入れてはならない聖域だ。これは、とても素晴らしいもので、サラの家族以外のだれもがその関係を馬鹿にすることはできない。
 つまり、だれにも侵されない天国のような場所だと俺は思う。これ以上の平和がどこにあるというのだろうか。少なくとも、禁術を用いて強くなるとか世界を終わらせるとか、そういう物騒な類じゃないことだけは確かだな。
 そうなると、俺とアオイはどういう絆から成り立っているのだろうか。俺とアオイは家族というわけではない。どちらも出生不明という点で結ばれている偶然出会った個体同士だ。表向きには世界の癌と中和剤だと公表されているが、いつかこの領域を抜け出して、ひとつの聖域を作り出したいと思う。
 別にアオイとどうかなりたいわけじゃない。ただ、そこに個体同士で存在して、笑顔で手をつなげるような、そんな聖域に俺も足を踏み入れたい。
「なぁアオイ。俺の剣は錆びついていないか? お姫様を守るには屈強な剣が必要だと考えるのだが」
「ええ。いつもいつも透き通ったように光っていると思うわよ。欠かさず剣を磨いてくれている証拠じゃないかしら?」
「それは光栄なお言葉だなお姫様。だが、俺はもっと立派なナイトにならないといけないな」
 俺はもっと自信を持たなくてはならないな。心の奥底ではいつも不安に悩まされている。俺の力で、果たしてヴェルを抑えることはできるのか。生まれたばかりのころですでにそれほどの力の差はなかったんだ。数か月を経た今、もう一度ヴェルが出てきたら、俺はナイトとしてアオイを守ることはできるのか。そんなことを考えてはいけないと思ってはいるが、本能が何か危険を伝えているのか拭えそうにない。
 早くヴェルを取り除きたいものだ。俺のためにもアオイのためにも。そして、だれにも迷惑をかけずにハッピーエンドを迎えるためにも。俺の小さな希望の炎は消えそうで消えない。まさにボスの言うとおりだな。希望の炎は消えない。

「あっ!」
 部屋にチャイムの音が鳴り響く。ボスのお出ましだ。
「出てくるね!」
 サラの顔が笑顔であふれる。本当にボスのことが好きなんだなと確信できるような表情だ。これは、俺もアオイも自然と笑顔がこぼれてくるな。
「よぉ。元気にしてるかレッド……これはまずいな」
 ボスが俺たちの前に姿を現した瞬間、アオイの様子がおかしくなる。まさか、こんなときにヴェルが前へ出てくるというのか。
「にげ……抑えられそうに……」
 それを最後にアオイの赤い瞳は青色に変化を遂げる。こんなときにかよくそったれ! ヴェルもなかなかの悪趣味野郎のようだな。
「さぁ、血をすすれヴェル。今日という日を壊されたくはない」
 即座に肩を差し出す。だが、まただ。ジェインのときのように、標的は俺ではない。その瞳の先には……
「……懐かしい匂い……許さない!!」
「ボス!!」
 ボスに向けて間を詰めているはずのヴェル。正直、前までの比ではない機動力だ。俺では目で追うことすらできない。とてもではないが俺では止められそうもない。どうする。俺が止められなければどうしようもない。このままではボスとサラを傷つけてしまう。
 それだけはしてはならない。俺はもうこれ以上、だれにも迷惑をかけたくない。それも、俺が大好きだと感じている人たちは、ほかのだれよりもそう強く願っている。踏み入れてはいけない聖域に土足で踏み入れようとしている今の現状を、黙って見てなどいられるか!
「やめろヴェル。お前の相手は俺だ。ボスとサラは関係ない!」
 今はアオイの身体を気にしている場合じゃない。ボスの目の前へ近づきながら、横から思いっきり打撃を入れる。だが、当てずっぽうで当たるはずもなかった。届かない。このままでは、ボスが……サラが……。
「俺に人間らしい生活なんて、どこかで限界がくるのは分かっていた。それがここだというのなら、俺は喜んで受け入れよう。ここには最愛の娘がいるんだ。傷ひとつつけさせてたまるか」
「!?」
 どういうことだ。目で追うことすらできなかったヴェルの手をつかんで攻撃を阻止している。
「ボス……これは一体?」
「パパ……?」
「詳しい話は後だ。今は何も考えず外に向かって走れ。サラの家を汚されるのは困る」
 そう言うと、つかんでいる手を振って、全力でヴェルを投げ飛ばす。そして、その間にボスの合図とともに俺がサラを背におぶり、外へ向けて駆ける。ボスは、そんな俺たちを警護する形で後に続く。
 当然、ヴェルの標的はボスなので、外へ向けて追う。ヴェルはすぐにボスの目の前へ追いつき、打撃を繰り出す。だが、ボスはそれをぎりぎりで受け流す。
「すまんな。俺はお前を見捨てて逃げてしまっていた」
「……許さない」
 ボスとヴェルの攻防を見ている暇はない。だが、見なくても俺では輪にも入ることができないことは分かる。
 これはどういうレベルの戦いだ? 確かにボスは謎が多すぎる男ではあったが、ボスもヴェル騒動に関係していると断定できる。それも深くかかわっていそうだ。まったく、俺の周りは怪しい存在しかいないな。
 そう考えると、俺は一体何をしてきたのだろうか。ヴェルからアオイを守るということにばかり気をとられて、平穏な生活を楽しみながら何もせずに今を迎えてしまっている。こんな怪しい存在に囲まれて生きているんだ。もっと危機感を持てたはずなのにな。
 世界の癌と呼ばれるヴェルの力に対し、俺はもう完全に置いていかれてしまった。俺が役に立てることなんてヴェルに血を飲ませ落ち着かせる中和剤でしかない。
 これでは本当に俺はただの中和剤だな。ウキョウのシナリオ通りに動いてしまっている操り人形に過ぎない。だが、俺には仲間がいる。あのヴェルの力にも対応できるボスがいる。俺が今すべきことは、背におぶるサラを守りきることだ。決して、真っ暗な夜に呑まれることじゃない。
『パパはサラをだれよりも愛しているぞ!』

 無事に外に出ることができた。だが、依然として状況が良くなったわけではない。ヴェルは一向に俺に目を向ける素振りがない。
「これで場は広くなったな。離れていろレッド。サラを頼んだぞ」
「ボスは一体何者なんだ?」
「ただの死神さ。何者と胸を張れるものでもない」
 そう言うと、ボスは俺たちから大きく離れてヴェルと対峙する。できるかぎり俺たちに危害が及ばないような立ち回りをしてくれているのが、ボスはボスに変わりないということを知らせてくれる。
 俺もボスの邪魔になってはいけない。ボスの安否は心配だが、俺とサラが近くにいるとかえって邪魔になるだろう。そんな状況が悔しいが、今は離れることに全力を尽くそう。
「死神……」
 俺がその場を離れ始めると同時に、サラが何かに気付いたようにつぶやく。
「偶然だと思っていたけど本当だったんだ」
「どうしたサラ?」
「お兄ちゃん。パパの瞳って見たことある?」
「……いや、ないな」
 そういえば、いつもサングラスをかけているから違和感がなかったが、俺は一度もボスの目を見たことがなかったな。ん? 目……ヴェルと渡り合う強い男。金色の瞳……
「まさか!」
「うん。パパの瞳は金色。もう偶然とは思えない。パパは、私の憧れた金色の瞳をした……」
 ボスが古代の伝説の死神だと? あれはもう数千年前以上の話のはずだ。ボスがいるはずがない……いや、ひとつ可能性があるな。古代の伝説には禁術が伝えられていた。そのなかに、不死になる術があった。まさかとは思うが、それしか考え……!?
「ぐっ!?」
「お兄ちゃん!」

「そこまでだ。油断はいけねえぜナイト。ナイトってのは、守る対象が変わっても全力を尽くすもんだ」
「……かはっ」
 やられた。こいつの気配に気付くことができなかった。ジェイン……こんなところで現れるとは。まずいな。この場にはボスはいない。いたとしてもヴェルの相手で精一杯だろう。
 俺が守らなくちゃいけないな。こんなところで倒れている暇はない。ボスに頼まれたんだ。ファミリーの俺が諦めるわけにはいかない。
「離して!」
「それはできないね。お前を離したら、あそこのナイト様にやられちまうかもしれねえ。人質は人質らしくおとなしくしてな」
「ジェイン。これはどういうことだ? お前がなぜここにいる」
 といってもまずいな。またアオイの時と同じ状況だ。守らなければならないサラは、すでにジェインが捕らえている。しかも、今回は簡単に離してはくれなさそうだなくそったれめ。
「ようやく尻尾を掴めたんでね。宿命の決着までの下準備ってやつだ」
「わけが分からないな。俺はお前の宿命の決着よりも、サラの解放に期待しているんだが?」
「なら、俺に立ち向かうしかないな。俺が人質を傷つけないと信じて突っ込んでこいよ」
 サラの首に突きつけるナイフをさらに近づけて脅しにかかるジェイン。どうする。今回はジェインに、にたにたとした雰囲気はない。つまり、本気だ。
 無闇に突っ込んでサラを傷つけないという保証はない。俺に力があればこの状況もたやすく切り抜けることができるのだろうか。金色の目をした男……ボスのような強さがあれば俺も。
「私のことなんて気にしちゃだめだよお兄ちゃん!! 私のことは気にしないでこいつを倒して」
 必死の形相で俺にそう告げるサラ。くそったれめ。サラにこんな思いをさせるこいつは許さんぞ。
「だまってろって。そのうるさい舌を切っちゃうぜ?」
「切ればいいよ。そうすればお兄ちゃんは自由に動ける。そして、あんたなんてやられちゃえ」
「強気な発言は結構だけどよ、相手は選んだ方がいいぜ?」
「!?」
 サラの頬から少量の血が流れる。脅し程度だとは思うが、ジェインはサラの頬を切った。俺の拳も怒りで血が滲みそうだ。
 ジェイン、お前はやっちゃいけないことをやったぞ。サラを……これほど俺を救ってくれているサラを傷つけて、ただで帰ることができると思うな。だが、この行動は俺が何もできないことを分かっていての行動だ。つまり、サラを傷つけたのは俺だ。無力な俺のせいだ。
「睨むのはやめてくれよ。ほら、もう少し怖がるとかあるだろ? 頬が切れてんだぜ? 力のない嬢ちゃんに何ができる。俺を睨んでも状況は変わらねえ。ならせめて怖がれよ。俺に命乞いでもしてみろよ。そうすりゃ情が動くかもしれねえじゃねえか」
「私はあんたみたいなやつに屈したくないんだ。パパは言ってたの。本当に強い武っていうのは、『だれも傷つけない武』だって。そんな風に無闇に人を傷つけるあんたなんかに、絶対屈してなんてやらない。刺しなよ。それでお兄ちゃんが戦えるなら早く私を刺せばいい!!」
「……大したもんだ。やっぱり親が親なら子も子だな。羨ましいぜ」
 今、俺もサラも自分の無力さに嘆いている。強さがいらないものだなんて、それはうそだ。だれかを守る強さがないと、行動することすらできない。そこに生存することが許されなくなるほどに無力になる。俺の剣は、ただ透き通ったように光っているだけだ。磨くだけで使おうとしない、赤に塗れない錆びた剣だ。傍から見ればきれいな物かもしれないが、蓋を開ければ、ただのガラクタにすぎない。
 だからこそ使わなければならない。どれだけ立ちすくんでいても状況は変わらない。サラは自分の強さを見せて、俺の後押しをしてくれている。なら、俺もそれに答えよう。信じろ。サラを救える俺を信じろ!
「サラ、今助けるぞ!!」
「お兄ちゃん! いけえぇぇぇぇ!!」
 人質になっているというのに、サラは俺の行動を後押ししてくれる。サラは強い。俺なんかよりもずっとな。だからその力を俺に少し分けてくれ。サラを救える力を俺に。
「へっ。俺の方もなかなかやるじゃねえか」
 俺の拳はジェインに受け止められた。だが、目的のサラは解放された。サラを捕らえていたジェインの腕は今、俺の拳を受けるために使用されている。
「気を付けてお兄ちゃん! そいつ、強いみたい」
「あぁ。だが、サラは救えたぞ」
「ありがとうお兄ちゃん。かっこいいよ」
「そいつは最高の後押しだ」
 これでひとまず一安心というところだが、安堵している余裕はない。今、俺の拳はジェインの手の中にある。
「お勤めご苦労だなナイト」
「黙れ。お前は俺が倒す」
「そりゃそうだ。お姫様を守りきるまでがナイトの仕事だからな。でもよ、人生のなかに、たまに負けイベントってのがあるんだよ。どれだけ意気があってもどうしようもならないときってのがな。そしてだ。それが今だ」
「ぐがっ!!」
 俺の拳を掴んでいる手とは逆の手で俺の腹に拳をぶつける。しかし、なんだこの威力は……意識が飛びそうなほどに効いた。武器を持ったときとはけた違いだ。まさか、あれは手加減だったというのか。本当は素手が一番の武器だとでも。
 そう感じてしまうほどの威力だ。現に、俺は今、地に膝をついている。あれだけの後押しをもらったというのに、どういうことだこれは。
「立てよナイト。俺を倒すんだろ? 立たねえと嬢ちゃんを守れねえぞ。お姫様を守れないナイトなんて無意味だ。ほら、立ちな!!」
「がっ!」
 顎を蹴りあげられて宙に舞う。異次元だ。俺は、こんな怪物を倒そうとしていたのか?
「止めろ! これ以上お兄ちゃんを傷つけたら許さないんだから!」
「おいおい、何の力もねえ嬢ちゃんがどうするってんだ。お姫様が粋がるとろくなことはないぜ?」
「お兄ちゃんの体力が回復したらあんたなんて敵じゃないんだ。だから、私はお兄ちゃんの体力が回復するまでの時間稼ぎになる。そしたら、今度はあんたがやられる番なんだから」
「ナイトは強くてかっこいいヒーローじゃねえんだ。そんな小さな望みに自分の命を託すなよ」
「うるさい。きなよ怪物! 私が相手だ!!」
「やっぱ似てるわ。どうよナイト。お前は半端者で終わっちまうか?」
「……」
 これほど無力が嫌だったことはない。立て。立っても敵わないと分かっていても飛び込め俺の身体。死ぬことを嫌がって、動かなくて助かった命に何の意味がある。俺の諦めないという心は生き残ることだったのか? 違うだろ。ハッピーエンドを迎えるんだ。最後はだれも悲しまずに笑顔で終われるような、そんな結果にするために俺は世界の癌と共存することを選んだんじゃないのか?
 なのに、今さら動けないとは何事だ。俺は半端な覚悟で選択してしまったということなのか? 未来という希望の船を他人に任せて、俺は地に倒れて何をしている。俺はサラに何をさせている……。
 確かにだれかを背負いきれるほど俺は強くない。だが、俺は選んでしまった。世界と対をなす存在と共存する選択を、俺は半端な気持ちでしてしまった。ここで諦めるな。立って火を灯せ。希望の炎は消えない。そして、消さない。
「よく立ったなナイト。やっぱりお前は俺より強いわ」

『お前は何をしている。俺の娘に、俺のファミリーにお前は何をしている!!』

 聞こえるはずがない声が聞こえる。今はヴェルと対峙しているはずの頼もしい声が。確実に聞き覚えのある声が。
 なんだ、その声が聞こえたら意識が遠く……ボス、後は任せたぞ。



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9.呪われし宿命 

 帰ってきてしまった。俺はもう、宿命からは目を背けて逃げたはずだった。だが、俺はその宿命をまた背負う。もしかすると、これも含めて宿命なのかもしれないとも考えてしまう。
 それが娘やファミリーのためだと思うと後悔はしていない。むしろ遅すぎたと後悔しているくらいだ。最愛の娘が傷ついている。俺が気に入った男が地に倒れている。レッドは立派にサラを守ってくれたに違いない。そんな情景が俺の頭に浮かぶ。
 こんな姿を見て、俺だけ逃げるわけにいくか。後悔なんてしていない。ここには守らなきゃいけないものが多すぎる。
「おかえりデッド。久しぶりの再会だってのに早速怒鳴ってくれてるけどよ、お前が俺に怒鳴る権利はないね。嬢ちゃんやナイトが傷ついてるのは、お前がヴェルに手間取っていたせいだ。これでも抑えたんだぜ。お前が近くにいると思うと、俺の宿命が疼くからよ。少々荒くなっちまった」
 こいつは相変わらず変わらんな。いつの時も俺を殺すことだけ考えやがって。そのふざけた表情は本当に見飽きたぞ。いくら宿命を背負うとはいえど、こうなっちゃいかんな。こいつは背負うどころか呑まれて潰されている。
「ただいまフェイド。だが、俺はデッドじゃない。その名はもう捨てた。俺はロンド。最愛の娘であるサラの親であり、金貸しのボスだ」
「なら、俺もフェイドじゃねえ。その名は嫌いなんだよ。俺は賞金稼ぎのジェインだ」
「だが、俺を殺したいんだろ? 娘を、レッドを傷つけてまで俺なんかを」
「あぁ。そういう宿命なんでね。死神殺せなくて、何が死神殺しだって話だろ?」
 死神とはまた懐かしい名だ。俺は神を殺した覚えはないのだがな。事実、俺はだれも殺してなどいない。ヴェルだってそこで元気に……とは言わないが生存しているというのに。
「相変わらず宿命宿命とうるさいやつだ。どれだけ宿命に逃げれば気が済むんだ?」
「宿命を遂げるまでじゃね?」
「弱いな」
「おぅ。お前が強すぎるせいで、よく言われる」
 自信満々に言うところではないだろう。本当、飽きずによくやるやつだ。見かけだけ強くなるというのも空しいものだな。それは、俺もよく分かる。
「……逃げるな。早く僕に殺されろ……」
 怪物ヴェルか。俺たちのなかで一番悲惨な目にあっているのはヴェルだろうな。俺やフェイドは宿命を背負っているだけだが、今のヴェルは中身を操られた傀儡だ。そして、その操られた思念は関係ない女性にまで迷惑をかけている。
「相変わらず求愛されてるねえ。大人気だな死神」
 感傷に浸っているときに挑発されると嫌な気分しかしないな。
「あぁ。だが、お前に言われたらヴェルも怒ると思うぞ」
「そうなの? まぁ、俺はあのころ直接お会いしたことはないわけだから」
 そういう意味じゃない。そんな茶番に付き合っている暇はないんだ。
「だが、どうするんだ? 怪物と死神と死神殺しだ。明らかにお前が一番弱いぞ?」
「舐めてくれなさるねえ。だけど、今のお前は嬢ちゃんを守らないといけねえハンデ付きだ。そして、ヴェルが眠っていた間も、お前が日常を楽しんでた間も、俺は死神を殺すために力を磨き続けた。むしろ、追い抜いてる自信すらあるんだけど」
「なら、ここでやるか?」
「いいねえ。ちょっと遊ぼうか。ヴェルも交えればさらにおもしろくなる」
 空気が変わった。本当、空気を読まずに俺を殺すことに関しては一生懸命なやつだ。俺は直線的なやつは嫌いじゃない。だが、その標的が俺となると、少し嫌気がさしてくるな。
「死神……許さない!!」
 空気の変わり目を読んだのか、ヴェルが吠えだした。切ないから止めてほしいのだが、そういうわけにもいかないということか。これは久しぶりに傷つける覚悟をしなくてはならないのかもしれんな。
「おいおい。俺を無視しないでくれよ怪物!」
 フェイドも剣を取り出した。武器なんてまた現代的なものを。見かけだけは自由に生きているように見せて生きてきた証だな。こいつはこいつで苦労しているようだ。だれ一人幸せになれていない同窓会ほど切ないものはないな。

「止めて!!」
『!?』
「……サラ」
 サラの声が森のなかに響く。まさか、最愛の娘の前で我を忘れてしまうとは。これが死神に戻ったということなのか。俺は、もうサラの親であってはいけないのか。こんなところに入ってきてもいいことはないぞ。俺はもう……サラとは住む場所が違うんだ。
「争っちゃダメだよパパ! パパの武は人を無闇に傷つける武なの?」
 俺はもうパパじゃない。金貸しのロンドはさっき死んだ。ここにいる俺は、ただの呪われた死神だ。死神と呼ばれ、人ではなくなった死神デッドだ。そんな俺が、こんな可愛いサラの親を名乗っていいものか……。
「サラ……パパはもうパパじゃないんだ。パパは呪われた……死神なんだ」
「呪われているかどうかなんて知らない! だけど金色の目をした男は、いや、パパは世界を恨んだりしなかった……そうでしょ?」
「……」
 こんなことを真剣な目つきで言ってくれる娘がいる。なのに俺はどうだ。久々に呪われた宿命を背負った雰囲気に酔って、懐かしい怪物どもと拳を交えることを楽しもうとしてしまっていた。
 俺は親としてではなく、生物としての判断を誤っていた。俺は今、昔を懐かしんでいる場合じゃない。そう。俺はどれだけ死神だ呪いだと罵倒を浴びせられようと、世界を恨んだりなんてしなかった。だれも傷つけずに、俺はひっそりと生きてきた。それは、だれも傷つけないでいられるならば、俺に欲望の矛先が向いていることで世界が上手く回るならば、俺一人が犠牲になろうとそう決めたからだ。
 そのはずなのに、俺は最愛の妻と出会ってしまった。そして、最愛の娘が生まれると同時にその宿命を捨てた。普通の人間である時間も楽しかった。だが、戻ってしまった以上、俺はまた宿命を背負わなければならない。俺がだれかを傷つけてどうする。傷つけるくらいなら守れ。守るために拳を振れ。
「せっかく盛り上がってきたってのに邪魔されるのは嫌いだな。一言で言うと邪魔だ。どけ!!」
 フェイドが剣を振る。サラに向けて剣を振る。俺の最愛の娘に向けて剣を振る……
「俺の最愛の娘に手を出すお前が一番邪魔だ! どいてろ!!」
 触らせるか。宿命に呑まれたお前なんかが触っていい子じゃない。サラは俺の最愛の娘だ。失いたくないものは自分で掴む。俺の拳は傷つける拳じゃなく守る拳だ。サラを守るためならば、俺は死神にも戻ろう。
「ほら、やっぱりパパはパパだよ。私の憧れた金色の目をした男は私の大好きなパパ……素敵だよ」
 こんな俺にサラは微笑んでくれる。古代の伝説は、死神に仕立て上げられた可哀想な救世主だと俺を描いているが、別にそんなことはない。俺は呪われた死神だ。禁術をこの身に宿され、不死となった。文字通り死神なんだ。だが、かといって夜の底に身を沈めてはいない。
 こういうことがあるから希望の炎は消せない。俺は、どれだけの人間に後ろ指を指されようと、娘にさえ微笑んでもらえたらそれでいいと思える。希望の炎なんて、それさえあればいくらでも灯される。
「ありがとうサラ。落ち着いたらたくさん遊ぼう。頭だって好きなだけ撫でてやる」
 そう言いながらも、俺はサラの頭を撫でる。いわゆるフライングだ。そこに最愛の娘の頭があるんだ。撫でずにはいられない。
「うん。約束だよ! ヴェルからお姉ちゃんに戻ったら、いっぱい褒めてね。そして、たくさん遊んでね」
「あぁ。約束だ。だから、その前に落ち着かせなくちゃな」
 俺が頭を撫でると、純粋無垢な顔で俺のなでなでを迎えてくれる。こんな呪われた手だというのに、サラは俺をパパの手として受け入れてくれる。呪いなんて吹っ飛ぶな。
「ヴェル。お前はどうする? その縛られた宿命に心を捨てて、まだ俺に向かってくるか? 俺はそれでも構わんぞ。ただ、娘を守るためだ。手加減はできそうもない。それがどういうことか、お前が一番知っているはずだ」
「……」
「それでいい。お前は宿命に負けるな。不器用な笑みで近づいてくるあいつのようにな」
 宿命は逃れることはできないという。だが、逃れる努力はできるはずだ。逃れるためにあがいて、それでも逃れられないのが宿命だ。だが、あがく時間は無駄じゃない。だが、それをフェイドは無駄だと思っている。諦めることこそが本当の無駄だというのに。
「今のは効いたぜ死神。優しい死神ってのは羨ましいもんだな。やっぱり宿命から逃れてるんじゃねえの?」
「残念ながらそうでもない。俺の身体には、不死の呪いが体中を駆け巡っている」
「元々寿命がない俺には分からない感覚だな。そんなたいそうな呪いかよそれ?」
「あぁ。お前には当たり前かもしれないが、死ぬはずの生物が死ねないというのもつらいものだ。俺は見送る趣味は持ち合わせていない」
「……興ざめだな。まだ、お前が世界征服でも目論んでくれたらやりやすいのによ。俺だって優しい強者を殺す趣味なんてねえよ本当は」
「そうだな……それもこれも……!?」
 なんだ。身体が動かんぞ。かろうじて動く目線を動かしてみると、サラもヴェルも動くことができないようだ。だが、不思議なことにフェイドは平然と動いている。
 いや、どこかで俺はこの違和感を感じたことがある。俺はこれを知っている。ということは、これは……まさか。

「いやぁ、時間稼ぎありがとうございました。とはいえ、やはり禁術はつらいですねえ。慣れている『束縛』とはいえ、これだけの人数を束縛する魔力の消費だけで意識がおかしくなりそうだ」
「エネ……ド……」
 やはりこれは束縛か。しまった。魔力の流れが読めないというものは難儀なものだな……。だが、ここで束縛を使用する意味は何だ。エネドの性格上、ここで一網打尽にすることは考えられない。だが、それ以外にこんな大がかりな束縛を使用する意味はあるのか。
 いや、あるのだろうな。ないのにこれだけ無駄な魔力を消費するはずがない。これだけでも膨大な時間をかけて魔力を溜めていたはずだ。考えろ。そして、動け。俺の拳は守るためにある。
「おや、もう言葉を発することができるとは……さすがですねデッド。しかし、エネドと呼ばれるのは久しぶりだ。僕はこれでもウキョウという名が気に入っているのですが……。まぁ、どれも今日限りで無効になるわけですがね」
 今日限りで無効になる? それが何を指しているのかは分からない。だが、このまま野放しにしておいてはいけないことは分かる。
「こんなところでしゃべっている余裕はあんのかエネド? デッドを舐めちゃいけないってのはお前が一番知っていると思うんだけど」
「これでも懐かしんでいるのですよ。それよりも、勝手な行動は止めていただきたいものですねえ。ここを見つけるのも苦労したというのに、あなたにまで振り回されるのは好ましくありません」
「俺はお前に従っているつもりはないんでね。それに、苦労したのは俺だし。お前は研究室で作業をしていただけだ」
「それはまた手厳しい。僕は必要な仕事をしたまでですよ?」
「全部自分自身のためだけどな。俺に何の関係もない」
「相変わらず僕には冷たいですねえ。デッドが現れて一番喜んでいるのはフェイドだと思うのですが」
「それもお前の都合だ。俺だって、宿命から逃れたいんだよ。本当はな」
「……あなたもわがままだ。身を任せて操られていれば楽だというのに」
「もう一度言うぞ。こんなところでしゃべっている余裕はあんのかエネド?」
「分かりましたよ。本当につれないなぁ。束縛強化!!」
「ぐっ……」
 エネドのかける束縛が強くなる。研究か。動き始めているとは思っていたが、こいつはまた厄介事を起こすつもりか。
 なぜ世界を滅ぼそうとする。何の罪もないヴェルに世界の癌などという宿命を背負わせて、普通に生まれることができたフェイドに俺を殺すなどという宿命を背負わせて……そして今度は、世界の癌と中和剤か。レッドもアオイも、サラとめいいっぱい遊んでくれるいいやつらなんだ。宿命を背負う必要のない人間まで巻き込んで……世界の癌と中和剤? そうか。エネドはもう、だれかに宿命を背負わせることを止めたのか。
 このままエネドのシナリオ通りに進ませてたまるか。ヴェルもフェイドも、すべてこいつのシナリオに操られて……

『最後に悪だけが得をする話なんて、俺だったら見たくない』

「お前の……思い通りにはさせんぞエネド。ヴェルは渡さん」
「なっ。デッドを舐めちゃいけねえんだ。目的までばれてるぞ」
「分かっていますよ。しかし、そのためのフェイドだと思うのですが」
「へいへい。おとなしくしててほしかったぜデッド。手負いのお前を殺したいわけじゃねえんだ」
「……フェイド。どうしてお前はエネドに従う。お前の生みの親だからか?」
「何回も言わせんなよ。宿命だからだ。やっぱり俺は宿命には逆らえない」
「やはり弱いな。お前はどこまでも弱い」
「知ってる。それは俺が一番知ってる」
 いつもそうだ。フェイドは不器用な笑みを表面上は浮かべているが、目はひとつも笑っていない。だれよりも深い闇の底にいるような、そんな暗い目をしている。だが、実際はそんなことはない。フェイドはだれよりも深い闇の底にいるという虚実に逃げて、塞ぎこんでいるだけだ。まだ、あがいたこともないのにあがき切った気でいる弱い生物だ。
 だが、俺にはフェイドを救えない。あがくということはだれかの力でできるものじゃない。俺が今フェイドにしなくてはならないことは、守るために拳を振るわなければならないということだ。できるならばフェイドにも心の底から笑ってほしい。だが、俺はほかの何かを守るために、また別の何かを傷つけなくてはならない。
 俺もしょせん偽善だ。フェイド、俺も弱いな。どこまでも弱い。
「なら、失いたくない者たちを守るのも俺の宿命だ。ここは通さんぞフェイド」
「やっぱりデッドはすごいな。束縛されても、まだ何かを守るなんて形のない偽善めいたもののために拳を握って構えることができるんだ」
「……お前にだってできるはずだ」
「俺はデッドみたいに強い考えは持てない」
「俺も弱い。全力で自己暗示をかけているだけだ」
「……ごめんな。本当は全力のデッドを殺したかった。多分、今のデッドなら殺せるんだと思う。そうすれば俺は宿命から解放されるんだ」
「……」
 悔しそうな顔をしながら、俺に向けてそう言葉を放つフェイド。そうだ。それがあがくということだ。あがくということは、嫌だと感じることと全力で向き合うこと。お前の思考を蝕む宿命と全力で向き合うことだ。向き合わないことで得られる自由などない。まずはそれを知ることだ。そうして最後に笑うことができたなら、それほどいいことはない。
「だけど、俺は殺せないんだと思う。宿命から早く解かれたいのに、俺は今のデッドを殺せない。だから、全力で倒すな」
「……来い。全力で向かい打ち、そして守りきろう」

 ……意識が霞む。俺は、倒れているのか。やはり素手のフェイドを相手にするとなれば一筋縄ではいかないか。俺は守れなかった。あれだけ偽善の正義を志しておきながら、結局はこのざまだ。いくら守ろうと意気込んでも、守ることができなければ、それは守る気がなかったのと同じことだ。
 次はどんな自己暗示が効果的だ。守ることができなかったから全力で取り返すために拳を振ろうとでも意気込もうか。みじめだな。だが、それでも俺はそう思いこもう。生きる力さえあれば、希望の炎は消えない。みじめな自己暗示で炎がまた燃え上がるのなら、俺は何度でも……。
「デッド……」
 ヴェルを抱えたフェイドが俺に語りかける。やはり目的はヴェルか。それも、アオイに戻っていないところを見ると、お目当てはヴェル自身のようだ。これはおそろしい賭けにでるな。時が満ちたということか……。
「俺とエネドはお前のよく知るあの場所にいる。いつでも来い。そのときに俺はお前を殺す」
 あの場所か。確かに最後には相応しい場所だ。俺の不死も、ヴェルの束縛も、すべてはあの場所から始まった。
「余計なことは言っていませんかフェイド? 少し不安定に見えますが」
「言ってねえよ。もう用は済んだだろ? 早く行こうぜ」
「分かりました。まぁ、あなたが何を言っていようが、もう僕には関係のないことだ。僕は最強を手に入れるのだから」
「ほざいてろ」
 行ったか。最強を手に入れると言ったな。だが、お前の思い通りにはさせんぞエネド。お前は見落としている点がある。まだ、終わっていない。希望の炎は消えていない。



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10.愛の代償 

 ボスは金色の目をした死神デッドだった。ジェインは死神を殺すことだけを考えて生きることを余儀なくされた悲しい男、フェイドだった。そしてヴェルも何かわけありのようだ。すべての元凶はウキョウ。いや、エネドだ。結局はみんなあの男に操られて今を迎えている。なんと悲しい現実だろう。ボスにそんな真実を聞いたとき、俺はそう思った。
 そして、それ以上に、俺は俺の無力さが悲しい。ボスは俺たちすべてを守るために拳を振るってくれた。サラも俺を信じて、あんな大きな渦の中に勇敢に向かって行った。なのに、俺と言えばどうだ。あまりの大きな力に打ち勝つことができず、何もできず意識を失ってしまった。
 俺は、ヴェルの好む血を持っている。だが、ヴェルは俺自身に興味を示さなかったからボスを優先したのだろう。どれだけ好む血を持っていても、ボスに惹かれるのは納得だ。
「落ち込んでいるじゃないかレッド。無力というのは辛いか」
「あぁ。今の俺にはどこを見ても暗闇しか見えないな」
「……なら、小さな希望の炎を灯せ。そうすれば少しは明るくなる」
「それは力があるから言えるセリフじゃないのか?」
「そうじゃないと思うよお兄ちゃん」
「サラ……」
 今の俺には希望の炎を灯す力もない。力がないのにどうやって拳を振ればいい。力がないのにどうやって守ればいい。今はもう、諦める諦めないの話ではない。物理的に無理だ。俺は戦闘の渦に置いていかれた。ボスにエネドやフェイドと対抗する力があっても、俺にはそれがないんだ。ヴェルの動きを目ですら追えず、フェイドに軽く意識を飛ばされてしまう俺ではな。
「強くてもエネドのように力に溺れる人もいる。そして、パパのように力を守るために使おうとする人もいる。力にもいろいろな使い方があるんだよ。お兄ちゃんは力を持ったらエネドのようになっちゃう人? 違うでしょ?」
 そうだな。俺が力を得てもボスのような力の使い方をしたいと考えるだろう。だが、それはやはり力がある者の考え方だ。
「それは力のあるやつが選択できるものだ。力のない俺に、それを選択する力はない」
「強さって、戦闘が強いだけじゃないと思うよ。確かに戦闘という意味ではお兄ちゃんは一歩劣っているかもしれない。だけど、お兄ちゃんは前を向けるよ。後ろ向きに生きていたら戦闘が強くなれるわけじゃないもん。自分の持てる最大限の能力を、どうやって前向きに使おうと考えることができるか。それもひとつの強さじゃないかな。私は、お兄ちゃんなら前を向けると思うんだ」
「前……か」
 空もいつもこんな無力を味わっているのだろうか。希望の炎も、こんな無力の風を受けても消えることはないのだろうか。きっと、味わっているし消えることはないのだろうな。空はいつも青くなる。そして、数千年も希望の炎を消さなかった男がいる。これは何よりの証明だ。
 俺もまだ前を向いていいのだろうか。いや、いいのだろうな。空も暗いときがある。希望の炎も消えかけることもある。それが今だ。まだまだ乗り越えられる。こんな力のない俺でも、力を発揮できる場面が……そんな場面があるとサラは言ってくれる。前へ向けと後押ししてくれる仲間がいるというのは、何よりも素晴らしいことだな。
「さすが最愛の娘だ。そういうことだレッド。まだ世界が滅んだわけじゃない。諦めるのはまた今度だ。今は覚悟を決めるときだ。落ち込んでいる暇がないほど大変なことが起こるんだからな」
「あぁ。すまない」

 俺たちは一度サラの家へ戻った。束縛の効力はかなり長引き、すでにもう夜更け前だ。休む時間もほとんどないというのは辛いものだな。みんな手負いだというのに。
 ボスはゆっくり休めというが、いろいろと気になることが多すぎて寝るに寝られない。なので、俺はサラが寝たのを見計らってボスに声をかけた。もしかすると、サラが聞くには辛いこともあるかもしれないという配慮もあっての真夜中だ。ボスからしたら迷惑かもしれんが、俺なりに配慮はできたと思う。
 俺が真夜中にボスの下へ向かうと、ボスはまだ起きていた。ゆっくり休めと言っていた張本人が休んでいないというのはおかしな話だ。
「よぉレッド。明日の朝には敵地へ向かうんだ。休んだ方がいいと思うぞ」
「そういうロンド……いや、デッドはどうなんだ? 俺の瞳には休んでいないデッドの姿が映っているが」
「ロンドで構わんさ。デッドの名は親になったときに捨てた」
 哀愁漂う表情でそう言うボス。正体が不死の死神だと分かっても、中身は何も変わっていないというものは安心するな。瞳の色の変化で人格が変わってしまうという現象を目の当たりにしている身としては切実にそう思う。
「そうか。少し聞いてしまったのだが、奥さんを病気で亡くしたらしいな」
 俺がそう口にした途端にボスの顔つきが変わる。
「……違う。俺が殺したんだ。俺の血は呪われているからな」
「……どういうことだ?」
 深く追及するものではないとは分かっているが、俺は思わず聞いてしまう。そんな行動に移ってしまうほどボスは切なそうだった。もし、俺を言葉のはけ口にしてくれるならば、そうなりたいと思ったのだ。
「そうだな。俺も人に話すのは初めてだが、この事態に乗じて聞いてもらうか。くれぐれもサラには内緒だぞ。サラが悲しむ顔は見たくない」
「あぁ。分かっている」



 俺は人里つかない山の中で暮らしていた。姿形が一生変わることのない人間なんて世界が受け入れてくれるはずがないからな。俺はそんな山に身を潜めていたんだ。かといって、別にそれがつまらなくはなかった。人とのつながりはなくても、自然とのつながりはあったからな。山が時間や時代とともに成長していく姿は胸がときめくものがあった。
 そんなときに俺とララは出会った。あれは約二十年前くらいのころだ。俺はこんな人里つかない山に林檎を拾いに来たララを見つけた。きれいだったな。数千年生きてきた俺でも特別きれいだと思えるほどにきれいだった。
 そして、そんなララが拾った林檎を落としたんだ。いつもなら人と関わることなんてないのだが、気付けば俺は落ちた林檎を拾ってララに声をかけていた。今思えば、あれは一目惚れだったのだと思う。数千年生きてきて初めて、恋はおそろしいものだと本能が実感した瞬間だった。
「林檎……落としたぞ」
 久々過ぎるほどに人と関わった俺は、たどたどしい言葉でそう声をかけた。もう、どんな表情をしていたかも忘れてしまったが、ひどかったと思う。
「あらっ、ごめんなさい」
 ララは慌てた様子で俺が拾った林檎を受け取った。その仕草だけでもきれいだと思えたものだ。
「ありがとう」
 そうしたら、今度は笑顔でお礼を言ってくる。こんなダブルパンチは反則だと俺は思った。第三者から見たら当たり前の光景かもしれないが、俺はそんな風には思えなかった。色眼鏡の世界というのはおもしろい。どんな出来事も思い出の一ページになってしまう。
「あぁ。だが、ここにはもう来ない方がいい。ここには死神がいるという噂がある」
「あらっ、そんないわく付きの山だったのね。だけど、あなたも山に来たのでしょう? なら、大丈夫よ」
「俺がその死神かもしれないぞ?」
「そうだとしたら一応聞いてみるわ。『死神さんは私の命を奪いにきたのですか?』って」
「どうしてそんなことを聞く必要がある」
「だって、そうじゃなければうれしいもの。死神が悪い生き物かだなんて、私の目で確かめないと信じられないわ」
 世界中から死神だと虐げられてきた俺には、その言葉はものすごく温かかった。この瞬間、俺は俺が見てきたどの人間とも違うと感じることができたんだ。こんな少しの関わりしかないのにおかしな話だとは今でも思う。
「死神は殺しもしないし死にもしない。永遠にこの世で生き続ける呪われた存在だ」
「あらっ、それなら安心じゃない。そこに『あなた』は含まれていないわ」
「……」
「また来るわね。私はララ。あなたのお名前は?」
「……来ない方がいい」
「だめか。じゃあ、判明するまでは死神さんと呼ぼうかしら」
「どうして俺を気にかける?」
「だって、寂しそうな目をしているもの。これだけじゃご不満かしら?」
「さあな」
「じゃあ、また来るわね。ちゃんとここにいてよ。出てきてくれないと『死神さん!!』って叫びまくっちゃうんだから」
「……」

 そのときの俺はひとつも素直になれなかった。俺には、『だれも傷つけないでいられるならば、俺に欲望の矛先が向いていることで世界が上手く回るならば、俺一人が犠牲になろう』という信念があったのだが、それを間違った方向へ広げてしまっていたのだ。その使命感に酔っていて、塞ぎこむことが犠牲だと勘違いしていた。まぁ、その誤解を解いてくれたのもララだ。おそらく、これから先もこれ以上の物好きと出会うことはないだろう。
 ララは本当に数週間後には山に現れた。そして、俺を探し始めた。初めは警戒して姿を現さなかった。だが、しばらくしたら「死神さん!」と叫びだすのだ。俺は慌ててララの前に出ていった。諦めて帰るものだと思っていたのに、まさか本当に叫ぶとは思わなかったからな。今思えば、おかしな顔をしてララの前へ出ていったのかもしれないが、そのときの俺はそこまで意識している余裕はなかった。
 そういえば、俺が出ていったときに、ララはクスッと笑ったかもしれない。もしかすると、かなりふざけた表情をしていたのかもな。
 そして、俺と他愛もない会話をしては帰っていくのだ。そして、決まって林檎を持って帰っていく。ここの林檎が相当気に入ったのだろうと思っていた。だが、それは俺の勘違いだった。ララと出会って数か月を経たころ、そして、俺がララと会うのが五回目のころだ。あれはよく覚えている。その日の終わり、俺が初めてララに名前を明かしたときだ。
「ララ」
「どうしたの死神さん?」
「俺の名はデッド。死神デッドだ。別名、金色の目をした男。怪物を倒した死神だと言われ、忌み嫌われてきた」
 俺は何を思ったか、古代の伝説の当事者だということをおもむろに話し始めた。本当はもっと順序を踏んで言っていくものだと思うが、俺はララになら俺の過去を告げてもいいと思えた。そして、そう思った時にはすでに言葉になっていた。俺の過去話は止まらなかった。言うべきこと、言わなくてもいいこと、すべてを盛り込んでララに打ち明けた。
 普通に考えれば馬鹿な話だ。だれも信じることのないおとぎ話のような話を俺は打ち明け続けた。だが、ララは黙ってそれを聞いてくれた。それは俺にとって何よりもうれしいことだった。俺を俺として見てくれることは本当にありがたい。
「みんな見る目がないね。だれもデッドを見ようとしないのに、虚実の欲望から作られたデッドのことは信じるんだもの。みんな見る目がないよ。私の瞳に映るあなたはこんなにも優しいのに。デッドは虚実なんかじゃなくてここにいるのに」
「ララ……」
 俺はララに抱きついた。気付けば涙が流れていて、救われたような気さえした。しょせん俺は弱い生物だ。それは今も変わらない。俺一人が犠牲になろうと意気込みながらも、だれかに俺の存在を確認してもらうことに渇望していたのだ。
 そんな俺をララは抱きしめ返してくれた。温もりとはこんなに幸せなものなのかということを実感した。だが、それはすぐに終わりを迎える。ララが俺を引き離して一言告げた。
「ごめんね。今日で、しばらく会えなくなるの。ううん。もしかしたら一生会えないかもしれない。ごめんね。最後の林檎、心して食べるから」
 俺は意味が分からなかった。なぜそうなるのか。やはり、呪われた死神と一緒にいるのが嫌になったのか。それなら仕方がないが、そうとは思えなかったから納得もできなかった。
 林檎を摘んで俺の前から去ろうとするララの手を俺はつかんでしまった。数千年も生きてきた死神が、涙を流しながら一人の女性の手を掴み「嫌だ」とつぶやく姿など、エネドやフェイドですら見たことがないだろう。
「!?」
 そのとき、俺は手を掴んだことにより、めくれたララの服からのぞく、手に描かられた紋章を見つけてしまった。俺は思わず手を離してしまう。
「ごめんね……ありがとう。楽しかったよデッド。また会えたらいいね」
 そうしてララは俺の前から姿を消した。その日以降、本当にララはこなくなった。どれだけ待ってもララは姿を現さない。もし、何の手がかりもない状態だったとしたら、俺は時間の経過とともに諦めていただろう。
 百年もすれば人はすべて入れ替わる。そうすれば自然と諦めもつくということを俺は知っていたから、待とうと思えた。だが、俺はララの手に描かれた紋章が頭から離れなかった。ファッションにしてはどうにも違和感が残ったのだ。
 ララが姿を消してから半年ほどを経たころ、俺は意を決して山を下りることにした。当然、身を隠すフードをまとってだ。万が一ではあるが、俺が消息を絶ったこと不思議に思っているエネドやフェイドに見つかると怖いからな。そこら辺は慎重に準備をした。

 山を下りた俺は、まずは近くの町で情報収集を開始した。必死で拾い集めた金で紙とペンを買い、頭の中にあった紋章を書き込む。そして、それを見せながら町を歩く。
 フードを被った怪しい人間が怪しい紋章が紙をもって訪ねてくるのだ。相手にしてくれる人などほとんどいない。だが、情報を発信してくれる人というのはたまにいる。その紋章に見覚えがあって、さらには憎しみがあるなら言いたくもなるというものなのかもしれないな。
「その紋章……もしかしてこれじゃないか?」
 情報提供者が写真を一枚取り出す。そこには薄汚い衣服を着て働く軍団と、その軍団すべてに施された紋章が写されていた。それはララに描かれていた紋章と同じものだった。そして、俺の中に嫌な予感が走った。
「その紋章だ! 知っているのか?」
「あぁ。それは、遠くのスレーブという町に居る、支配者ブストスの奴隷がつけさせられる紋章だよ。俺も昔働いていたんだが酷いもんさ。人権を尊重する社会の中で、権力に物を言わせてまだ奴隷制を採用してる。権力に押されてだれも反抗できないことをいいことに、好き放題さ」
 奴隷。これは俺にとって呪いの始まりであり、もっとも嫌いな言葉だ。だれかが救われるためにだれかを犠牲にするなんて間違っている。犠牲にするくらいならすべてを救うくらいでないと割に合わないのに、奴隷は使い捨てられる。だれかを救うために多くの人間を犠牲にするなんてさらにだ。
 それも、ララが奴隷にされているという事実。これは、俺を怒らせるには十分だった。
「ありがとう。感謝する!」
 俺は走った。俺の動きは常人には捉えられない。もしかすると、エネドはこの異変に気づいて動き始めたのかもしれない。今思えば、そんな考えにもいたるが、そのときの俺は志した信念を放棄するほどに、怒りで頭が満たされていた。
 それにしても遠い距離だ。俺からすればそう遠くないが、ララからすれば相当な距離となる。ララは相当な時間をかけて林檎を摘みにきていた。疲れた足を止めず、削られていく精神を放棄せず、ララは俺に笑顔で接してくれていた。なのに、俺ときたらどうだ。ララの身体にも精神にも、どんな異常にも気付いてやれず、ただララと話すことを楽しみにしていた。
 ララは俺を俺として見てくれていた。だが、俺はララをララとしてではなく、俺のような死神と接してくれるいい人だと考えていたのかもしれない。呪われているのは俺の身体ではなく心なのかもしれないと、そのときは心の底から思ったものだ。
「何者だ! ここをブストス様の屋敷だと知ってのことか?」
「知らん。通せ」
「不審者だ! 応援を頼む!」
「黙れ」
「ぐっ」
 軽く拳を振るって見張りを気絶させる。応援がぞろぞろと現れたが、俺からすればどれだけの数が集まろうと問題ではない。そこは死神に違いなかった。俺を呪われた死神だと縛り付けるものは、なによりもこの強い力だ。
 すぐに場は片付き、俺は屋敷を駆けまわる。大体、こういうものは一番大きな部屋にボスがいるというのが相場だ。奴隷などを使おうとする馬鹿は何もかもで一番になりたがる。権力を手に入れて、大きな家を、部屋を手に入れても、自分自身が強くなるわけではないというのに、強くなった気でいる。俺はそういう馬鹿が大嫌いだ。
「……デッ……ド……?」
「な……なんだ! 警備はどうした! 侵入者だ! 侵入者だぞ!!」
「残念だったな。いまごろ見張りどもは夢の中だ」

 扉を開けたそこには、肉塊のような身体をしたブストスと、そんなブストスに奉仕をさせられている女性が数人ほどいた。そして、そのなかにはララの姿もあった。
「これだから奴隷なんてものは嫌いだ。ブストス。お前は、これだけの女性の心を殺して楽しいか? 自分の思い通りになればそれで満足か?」
「な……何を言っておる! これは僕の力の結晶だ。手に入れた力を自由に使って何が悪いという。お前、僕を殺してみろ? 政府が黙っていないぞ?」
「ララ……林檎は美味しかったか?」
「……ごめんなさい……あれは……」
「そうか。林檎はすべてこいつの腹の中だったか。よほどお気に入りだったが飽きてしまったということか。勝手な話だ」
「早く出ていけ! 僕は偉い。本当はお前のようなやつがお目にかかることすらあり得ない話なんだ。僕が奴隷をどう使おうと勝手だろう。こいつらは奴隷なんだぞ。僕に忠誠を誓った下僕なんだ」
 そうやって、人間は強者と弱者を分ける。そこに格差をつけ、自分は偉いとふんぞり返る。それで何を得られる。何を守ることができる。何を志すことができる。
「俺は決して、お前のようなやつを偉くするために死神になったわけじゃない。人間は死ねるんだ。死に場所を選べないものほどつらいことはない。心を殺されるということを身をもって知れ!」
「ひっ……ひぃ……」
「だめ!! だめよデッド!!」
 一糸纏わぬ姿でベッドから飛び出し、俺がブストスを殺めようとするのを止めるララ。このときの俺にはどうして止められているのか分からなかった。ブストスに心をつぶされているのかと思ったくらいだ。
「なぜだララ! お前たちをこんな風にしたブストスには死でつぐなってもらうのが一番だ。こいつは人の心を壊し過ぎた」
「だめだよ。どんな人間でも生きてるんだよ。『生』を奪っちゃだめ。だめだよ……」
「こいつはお前たちの心を壊しているんだぞ? それを許すというのか?」
「許せるわけないじゃん……だけど奪っちゃだめ。ブストスを殺めても私たちの心も時間も返ってこない。これは自業自得。奴隷になっている私たちにも問題はあるんだよ。だから……奪わないで。デッドにも迷惑かけちゃう……」
「……今、ここで奴隷になっている人たちを全員解放しろ。これ以上、だれかを傷つけることは俺が許さない」
「ひぃぃ……」
 今思えば、俺にも問題がある話だった。俺は、自分が犠牲になるということに酔って、世界の欲望の矛先を俺に向けさせることは放棄していた。ただ、人と関わらないようにするだけでは、俺のことを気にかけなくなるのは時間の問題だ。
 時代は巡り、人も変わる。俺のことを死神だと言って欲望のはけ口にしていた時代はとっくの昔に終わっていたのだ。いまや、俺は神話の登場人物となってしまった。俺は、世界との関わりを避けていただけで、何の犠牲にもなっていなかった。こんなことが起こっているとはいざ知らず、ただ塞ぎこんでいただけだった。
「ララ。俺と一緒に行こう」
「えっ?」
「俺と一緒に人生を歩もう。俺は、お前を離したくない」
 そのときの俺は死ぬほど恥ずかしそうだったと思う。どれだけ生きていてもこういうときはドキドキするものだな。
「……はい。やっぱり私の瞳に映るデッドは何よりも優しい……」

 山を下りた俺は、スレーブの町でララと暮らしていた。これは、ブストスがまた権力にものを言わせないか見張るためでもあり、この町の環境自体は嫌いではなかったということもある。
 このときの俺は、自分が呪われた存在だということを意識していなかった。時代は流れ、人は変わるのだ。俺の姿を見ても古代の伝説の金色の目をした男だと言われることもないだろう。
 俺は俺自身を過信していた。そんなに人は俺のことを知らないし見ていない。普通に働いて普通に生活できる。歳を重ねればどこかの町へ引越せばいい。そうすれば歳を取らないという弱点も少しは濁せるだろう。一応、金色の目の対策としてサングラスをかけ始めたのもこのころだ。俺だって人間らしい生活ができるんじゃないかと希望を持っていたものでな。
 だが、その考えは甘かったことをすぐ知ることになる。ララと生活を始めて半年ほど、ララの身体に生命が宿った。俺はそれをとても喜んだが、それと同時にララの身体が病魔に蝕まれたことも知った。原因は不明だったが、俺にはすぐに分かった。人間でありながら人間の身体ではない俺の生命が、純粋に人間であるララに順応するはずがなかったのだ。
 それでもララは笑ってくれた。俺といて幸せだと言ってくれた。サラを産んで死ぬ前も、俺を憎まず笑って包み込んでくれた。
「産まれたね。私たちの子どもだよ。ふふっ、親になれちゃった」
「ララ。よく頑張ったな」
 これが、俺に言えた最大の言葉だった。自責の念で押しつぶされていることをララに悟られるわけにはいかない。ララも頑張ったのだから、俺も頑張らなくてはならない。
「私ね、この子の名前はサラにしたいの。なんだか、どんなことにも負けずに前を向いて歩けるような名前のような気がして、私は気にいっているの」
「サラ。そうだな。いい名前だ」
「決まりね。デッドならいい子に育ててくれると思うわ。私も安心ね」
 その言葉は別れを指す。それは分かっていたが、受け入れるのは未だに難しいな。
「すまない……俺はお前を……」
「こらっ! そこから先は言わないで欲しいな。私はデッドと過ごせて幸せだったのに。デッドが責任を背負う必要なんてどこにもないんだよ。デッドと出会ってなかったら、こうやって笑顔と幸せにまみれて死ねなかったかもしれない。私の死に場所はここでいいの。サラを育てられないのは残念だけど、デッドがいるから安心よ。本当にね」
「……ララ」
「最後にキスして? あなたが呪われていないことを証明するキスを。私が最後に笑えたことを証明するキスを。あなたと過ごせていた時間を思い返せるようなキスを」
 俺が知る限りで、何よりも甘く、そして切ないキスだった。
 そして、ララはこの世を去った。俺は涙を流したが、今思えば失礼な話だったと思う。ララは笑顔でこの世を去ったのだ。俺も笑顔で送りたかった。

 だが、その直後に問題は発生した。俺の血は不死だ。つまり、産まれてきたサラも不死だった。俺はサラにこんな宿命を与えたくはない。俺はサラには人間として生まれ、人間として死んで欲しいと強く思った。
 そんな思いを胸に抱いたとき、新たな魔力の線が姿を現した。その魔力線をたどっていくと、未だに解き明かされていなかった禁術『調律』に結びついた。俺は調律の謎を解いた唯一の怪物だろう。それは今でも変わらない。
 俺は、数千年間溜めてきた魔力のすべてを使ってサラに調律を施し、サラを人間に構築した。サラの瞳が赤からグレーに変わったことがその証拠なのだろうと思う。
 調律は心を魔力に宿して発動する魔術だ。対象への思いと、その覚悟を示すために魔力を生贄に捧げる。エネドには一生かかっても手に入れることができない魔術だということも分かる。あいつが何かのために魔力を棒に振ることはできないだろうからな。
「これでサラは俺のような苦しみを味わうことはない。愛しき俺の娘よ。こんな頼りない死神の俺を選んでくれてありがとう」

 これが俺とララの真実だ。ララは幸せだと言ってくれたが、俺が殺したことに変わりはない。俺に流れる血は呪いだ。決して人間には順応しない血。
 そういう意味ではレッドの血は優しい。少なからずヴェルを落ち着かせることができるんだ。その力を大事にしろ。お前は決して無力じゃない。希望の炎を消すにはまだ早すぎる。



「……そんなことがあったのか」
 ボスの話は、今のボスの強さの根源を証明するのに十分な話だった。強い力とはまた違う力か……。それは、本当にこの世に存在するのかもしれないな。
「俺はロンドが殺したわけじゃないと思うが。それは、俺がどうこう言うよりも、ララの気持ちがすでに証明していることだがな」
「……そうかもしれんな。だが、それをサラに伝えるのは酷だ。これは俺とララの問題だ。サラに背負わせるものではない」
「そうだな。知らなくていいものを知るのは重いな」
「あぁ。だが、少し荷が軽くなった。感謝する」
「俺はロンドにこれ以上の荷を軽くしてもらっている。感謝には及ばないさ」
「それはありがたいな。だが、そろそろ休んでおけ。明日に響くぞ」
「……あぁ。ロンドもな」
「俺は不死だ。寝なくても食べなくても身体に異常は起こらない」
「便利だな。まさに健康体だ」
「大きく見れば意外とそうでもない。死ねないのだからな」
 死ねないという感覚は、死ねない人間にしか分からないのだろう。俺は、不死と聞くとすごく魅力的なものに感じてしまう。だが、実際背負ってみればそんないい話ではないのだろう。
 よくある話だ。中和剤という非日常を背負うだけでつぶれそうな俺が背負えるものではないのだろう。本当にボスは尊敬に値する。
 明日はアオイを取り戻す。俺はもう一人じゃない。ボスとサラという心強い仲間がいる。俺が朽ちても構わない。どんなことがあってもアオイを取り戻して、ヴェルを取り除いて見せる。



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11.宿命の真実 Ⅰ 

第三章 世界の敵

「準備ができました。何か異変があれば頼みますよフェイド」
「……分かってる。御託はいいから早くしろよ。俺は自分が宿命を背負っている分、人が無闇に道具として扱われるのを見ていると助けたくなるんだ。俺にとっちゃ、お姫様は立派に戦った勇敢なお姫様だよ。お前からしたら道具にすぎないとしてもな」
「そうですね。ヒカリには本当に頑張ってもらいました。まさに、僕にとっての希望の光になってくれたわけだ」
「俺だったらそんな光は早々に閉ざすね」
「おや、そんなフェイドも僕からすれば立派な光ですよ」
「けっ。うるせえよ。早くしろ」
「本当、つれませんねえ」
 いよいよ僕が世界を手にする時が来ました。長かったですよ。大気中に存在する魔力もほとんどない今、タイミングはここしかありませんでした。動きを封じるだけの束縛をかけるだけでも数百年を要しましたからね。長い長い計画でした。
 しかし、本当に中和剤はよくやってくれました。ヴェルを封じ込めたヒカリという器の気持ちを不自由なくさせることで、ヴェルの成長は大きく早まった。まさか数か月でヴェルが力を取り戻すところにまで成長させてくれるとは。さすがは僕の血が混ざっているだけあって有能だ。
 僕のシナリオは予定以上の成果をあげている。後は、ヴェルを僕が取り込むだけ。それだけで、僕は世界の王として君臨できる。
「……」
 ヴェルも、動けない状態で科学の力を使われれば眠るのですね。科学を作ったのが僕とはいえ、人間の文化の発達は恐ろしい。僕の作った科学をここまで成長させたわけですからね。
 人間はすでに世の中にあふれる空想劇のキャラクターたちの力に届いている。でも、何よりも恐ろしいのは人間は、それだけの力を持ち合わせているということに気付いていないこと。今の技術には魔術でも敵わないのかもしれませんね。
 ですが、僕はそれをどちらも利用する。古代が生んだ魔術と僕が生んだ科学。この二つを極めれば僕は世界の王となれると確信した。そして、その集大成が今、完成しようとしている。興奮が止まらないなぁ。僕は、今から最強になるのですから。

「……ここは……!? ウキョウ!!」
「目覚めましたか。おめでとうございます。あなたの身体からヴェルがいなくなりますよ。そこでおとなしくしておいてくれればの話ですけどね」
「……話が見えないわね。それに、動こうと思っても動けない状況下にある私に対して、その言葉は馬鹿にしているとしか思えないわ」
「そんなことはありませんよ。僕はあなたに感謝しているのです。ですから、ここでひとつ昔話をお聞かせしましょう。僕がヴェルを取り込む時間、暇なものでしてね。いろいろと分かることもあると思いますよ」
「昔話? あなたに昔を語るほどの歴史があるとは思えないわね。私とそう年齢も変わらない見た目じゃない」
「そうですね。見た目はそうです。ですが、僕は人生の大先輩ですよ。この現代に生きるだれよりもね」
「……わけがわからない狂言を今から聞かされるというわけね」
「そう思っていただいても結構です。聞いた後に同じ言葉がでるかは別として」
 思い出すなぁ。もう数千年以上も前のことになりますか。デッドにヴェルにフェイド。本当にいい時代でした。だけど、ヒカリはそれを知らない。ロンドがデッドだという事実も、ヒカリとヴェルが別物だという事実も、ジェインがフェイドだという事実も、レッドがただの中和剤だという存在でしかないということも……そして、自分の本名がヒカリということも知らない。何も知らないというのは傍から見るとなんておもしろいんでしょう。
 そして、有り余った事実を一気に伝えるというのはさらにおもしろい。最後の余興としては最高ですねえ。

 始まりはまだ魔術が盛んな時代。あのころはまだ時代を表する言葉もありませんでしたから、最古代時代とでもしておきましょうか。その時代に僕は生まれました。つまり、僕の正体は最古代時代の魔術師です。魔術は便利なものですよ。便利すぎて、今の世には伝えずに情報を最低限に抑えさせていただきました。当然、僕がですけどね。
「エネド。お前は天才だよ。同期のなかでは魔術史始まって以来だというぜ。お前ならその若さでたどり着けるかもな」
「ええ。そのつもりですよ。僕はただの魔術に興味はありませんから。お目当ては魔術師になったときからすでにひとつです」
「さすが、俺たちとは違うなお前は」
 魔術のなかでも特別とされている魔術……禁術。これは僕を震えさせるのには十分なものでした。僕が魔術師を志したときから、それしか見ていなかったほどにね。僕はそのために覚える必要のない魔術をたくさん覚えましたよ。当然、今ではそのほとんどを使うことはありません。大気に存在する残り少ない魔力の無駄ですからね。今思えば、無能な魔術師たちは本当に魔力の無駄遣いをしてくれました。僕がどうにかしていなければ今ごろ魔力は完全に枯れていただろうなぁ。
 まずは禁術の説明からしましょうか。禁術には三種の魔術があり、それを『不死』『束縛』『調律』と言います。
 不死は意味そのままに不死身になり、身体の成長も全盛期の状態で止まります。といっても、身体が再起不能になれば死にますけどね。不死身といっても、全盛期以上に歳を取ることがなくなるだけ。単純な話、血が変わるのですよ。人間とは別の血にね。デッドはこの血を呪いだと言いますが、僕は素晴らしいものだと思うのですがね。人間を超えた新たな生物の基礎となり得るものだというのに、彼は本当に贅沢なお人だ。
 束縛は、僕がもっとも得意としている禁術です。この禁術がなければ僕は今ごろここでこんなことを企んではいなかったでしょうね。束縛はいろいろな用途があります。名の通り相手をその場から動けなくしたり、宿命の鎖を縛り付けたりね。まぁ、そこは後で詳しくお話しますよ。嫌というほどでてくる禁術ですからね。
 そして、最後の調律。これは正直、僕も扱えない禁術です。条件は満たしているはずなんですよ。しかし、使えない。この世で調律を使えた魔術師はいないでしょうね。もはや理論のみ可能という、おとぎ話よりも不思議な魔術です。どのような能力か気にはなりますが、一生分かることはないと考えています。
 ここまでが魔術の正体。そして、ここからが本番の昔話です。僕は禁術を完成させるために実験台を用意しろという命を受けました。そのときに見つけたんですよ。デッドとヴェルをね……。



「不死の実験台ですか。それは、適当な人間では成立しないのですか?」
「そうだ。数多くの人間を使ってきたが、みな血に適応できずに死んでいった。つまり、血に適応できる特別な人間が必要なのだ。それをお前に探してきてもらいたい」
「分かりました。確かめ方などはおありなのですか?」
「それが分かっていれば苦労はしていない。お前の判断に任せよう」
「……承知のままに」
 これだから無能は困りますねえ。部下に命令するにせよ、最低限の情報を確立させてからにすべきでしょう。これで失敗したら、責められるのは僕だ。まぁ、構いませんがね。上が無能だと分かっているというのは僕としては安心だ。難易度はできるかぎり簡単な方がいいに決まっていますからね。
 しかし、どうしましょうか。特別な人間と言われても、何が特別なのかも分からないと動きようがない。とりあえず世界を回って、何か特別な力を感じる人間を探すしかないか。無能の尻拭いというものは悲しい仕事ですね。まぁ、魔力の無駄遣いを止めようと考えただけでも大きな進歩でしょうか。

「また来る! ばれないように気をつけろ!」
「……」
 これは不思議な匂いだ。これも何かのお導きなのかもしれませんね。偶然、本当に偶然入った森のなかで、僕と同い年ぐらいの青年が「ばれないように気をつけろ!」なんて言葉を使ってだれかとお別れをしている。
 これはおかしいですねえ。こんな森のなかで……ふふっ。これは早くもお目当てを見つけたかもしれません。少し取り入ってみますか。
「お待ちくださいそこの青年」
「!?」
 えらく驚いていますね。これはやはり何かあると考えていいでしょう。
「このような場所でどうしたのですか? だれかと会話をしていたようですが」
「……何もない。どこのだれかは知らないが、関係のないことだ」
「それは冷たいお言葉ですねえ。確かこっちの方から声がしたような気がするなぁ」
「待て! お前は一体何者だ。ちょっと怪しすぎるぞ」
「それはお互い様じゃないですか。この状況で、どちらが怪しいかは明白だと思いますがねえ」
「……何が目的かは知らないが、別におもしろいものは何もない」
「こんな場所でこっそりとだれかと会っているのがおもしろくないと?」
「そうだ。さぁ、一緒に森を出よう。それで終わりだ」
 いいですねえ。頑なに譲らないところが、さらに何かあるのだろうという欲を誘う。僕にこの状況を見られた時点で勝負はついているんだ。無視するか暴力で解決すれば早い話なのに、優しい青年ですねえ。それがさらにいい。僕は決めましたよ。実験台のターゲットはこの優しい青年と、森のなかにいる人には会わせられない『何か』。おもしろい組み合わせだ。
 しかし、そろそろ展開が動いて欲しいものですね。そうだ。ちょっと遊んでみましょう。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!!」
「何を!」
 さて、この青年と強い信頼関係が結ばれているのなら、何らかの反応があるはずです。
「デッドどうした!!」
「出てくるなヴェル!」
 くくく……ほらね。思わず僕の顔が笑顔で緩んでしまいますよ。いけないなぁ。本当に怪しい人だと思われてしまうじゃないか。それにしても……。
「ふふっ……くくく……」
 なんだ。僕は会わせられない何かを見て興奮を覚えてしまっている。どうやらその何かは女性のようだ。かといって、別に女性に興奮しているわけではありません。僕も、まだ成熟していない少女に興奮する趣味はないですからねえ。
 しかし、これはもう気が合うとか性の対象だとかそういう問題の話ではない。僕は今、人間ではない何かを見ている。こんな無能な種族よりも、もっと強大でもっと崇高な、そんな存在だ。もったいないですね。こんなところで終わらせるには本当にもったいない。僕のエサとしては最大級だ。
「お前何者だ。お前の目的は何だ!」
 おやおや、いきなり敵意剥き出しですね。
「簡単なことですよ。あなたたちをいただきます」
「帰れ。お前のような意味の分からんやつに構いたくはない」
「それは聞けない要求です」
 いいです。いいですよ。そういう強気な姿勢は僕は嫌いじゃない。しかし、これを見て同じことが言えますかねえ。特に、この青年は強気とはいえ見たところ普通の人間。いつまで強気な姿勢を保ってくれるか楽しみなところです。
「マジックブリット!」
「ぐっ……魔術?」
「どうしました? 立たないと僕にいただかれてしまいますよ。それとも、この程度の魔術も防げませんか?」
「どうして魔術師がこんなところに……」
「こちらにもいろいろあるのですよ。まぁ、それも……!?」
 なんだこの威圧感は。僕が冷や汗など、らしくもない。味わったこともない感触ですね。もしかすると、これは……そうだとすれば最高だ。僕は最高の体験をしている。
「デッドいじめるな……デッドは僕の大切な友だち!!」
「ぐがっ!!」
 早い。僕が目で追えなかった。なんという戦闘力でしょう。最高の体験どころか、これ以上にない体験だ。僕は今、一撃を食らい地に倒れている。この僕が、魔術師で最高の魔術師と呼ばれているこの僕が。それも、力の揺れがぶれている。ということはまだ成長途中だということ。
 これが意味することはとても大きい。もしかすると、僕は最強になれるかもしれませんねえ。それがいつになるかは分からない。しかし、すべてがうまくいけば僕はきっと最強になれる。完璧に思い通りになるシナリオを作ろうじゃありませんか。ないならば作ればいい。そうすれば僕は最強だ。
「エナジーブレード。僕は自然形態を司る魔力のすべてを扱えます。そして、それをいきなりすべて扱うとはどういうことか……僕は本気だということです。僕のために、あなたたちの人生をいただきます」

 ……しょせん僕は人間だということですね。本気を出して成長途中の怪物を倒すので精一杯。ですが、それでいい。僕のこの体はしょせん傀儡だ。倒せたというこの結果が何よりも大事なのです。さぁ、いきましょう。こんなに早く動けるとは思っていませんでしたが、これで僕の計画は始まる。
「ただいま戻りました」
「早かったなエネド。成果は? と言っても、その傷つき具合からして期待はできるな」
「ええ。上々も上々です」
「……俺には普通の青年と少女に見えるが」
 やっぱり無能ですねえ。青年はまだしも少女は特別だ。
「実はお願いが」
「なんだ?」
「この二人に禁術を施すのを僕に任せてくれませんか?」
「ついにやる気になってくれたか!! お前はもっとも信頼できる魔術師だ。早速部屋を用意しようじゃないか」
「ありがとうございます」
 よし、これでもうこの二人は僕の思いのままだ。なんだか怖いなぁ。上手く行き過ぎて怖いですよ。
「……」
「お目覚めですか青年。いや、デッドと呼んだ方がよろしいですかね」
「ここはどこだ……ヴェルに何をした!」
「少々痛めつけただけじゃないですか。別にそれ以外に何もしていないですよ。いや、動けないように魔力をこめた手枷と足枷はつけていますけどね。ちなみにデッドの手枷足枷は魔力を使っていないですよ。魔力の無駄遣いは好まないので」
「……何が目的だ。俺たちがお前に何かしたか?」
「そこは問題じゃないんですよねえ。ただ、あなた方が僕の目に留まってしまったというだけですよ。それだけで人生なんて大きく変わってしまうものです。だから正直にお答えください。ヴェルとはいったい何者ですか?」
「……それで答えると思うか?」
「マジックブリット!」
「ぐっ!」
「さぁ、正直にお答えください。ヴェルとはいったい何者ですか?」
「……暴力でしか解決できないか? 芸がないな……」
「マジックブリット!!」
「……」
 強いお人だ。結局、気絶するまで魔術を使用してしまう羽目になった。意地になるのはよくありませんね。これこそ魔力の無駄遣いだ。僕も無能にはなりたくないので強く反省しなければ。
 さて、お次はヴェル本人に聞いてみましょう。おそらく答えないと思いますがね。まぁ、それはそれでいいのですが。こんなものはただの余興でしかありませんからねえ。
「お前!! デッドに何した!!」
 あらあら、手枷と足枷を大きく鳴らしながらお目覚めですか。なんと元気のいい。これはどうやら相当な信頼をお持ちのようですね。さらに都合がいい。
「率直に聞きましょう。答えないとこの場でデッドを殺します」
「殺すだめ! どうしてそんなことする」
「ヴェルのせいですよ。あなたの強大な力は時に周りに迷惑もかける。それだけですよ。さぁ、次は僕の番です。あなたはいったい何者ですか?」
「分からない。僕は何者分からない。だけど、デッドは受け入れてくれた。こんな僕に言葉教えてくれた。優しくしてくれた。だからデッドいじめるな!」
 何者か分からないですか。普通ならば冗談だと捉えて拷問してでも吐き出させるのが定石なのでしょうが、僕はそんなことはしない。
 ヴェルがうそを言っていないことが僕には伝わりましたからね。拷問はするだけ無駄のようです。となれば、話は早い。手っ取り早く計画を進めましょう。それには魔力がたくさん必要だ。この程度の魔力量で禁術を二種類試すとなると、使い終えたころには気を失っているでしょう。それはいけない。力を与えてコントロールできなければ意味がありませんからね。
 さて、動きますか。ヴェルにやられた傷も気にならなくなってきましたしね。
「分かりました。今日のところは何もしないでおきましょう。では、ごゆっくりお休みください」

「どうしたエネド。禁術はもう試したのか?」
「今から試すところですよ。ですので、ちょっと魔力をいただきますね」
「何をするエネド! ……反乱か? ここは魔術師の本拠地だぞ。いくらお前とはいえ早まり過ぎではないか? 今なら見逃してやらんこともないぞ?」
「ご忠告どうも。しかし、僕は無能に命令されることが何よりも嫌いなんだ。つまり、あなたが早まり過ぎだというのなら、それは今がそういう時期だということ。こうなるのも運命だったんですねえ」
「な……何をわけの分からんことを!」
「この世界に生存する生物なんて、少数の有能がいればいい。無能は正直、世界のゴミなのですよ。子どものころ『ゴミ掃除はしっかりしなさい』って言われましたよね? 僕は今からその言葉通りにゴミを掃除するだけです」
「くっ……。言わせておけば。ただではすまんぞエネド!!」
 うるさいサイレンだ。これだから無能は困ります。数を集めて囲えばそれで済むと考えている。それで済むなら生きるのに苦労はしませんよ。無能が無能同士固まりあって偉そうにしておけばいいのですから。絶対数は無能の方が多いですからね。
「教科書通りにしか魔術を学ぼうとしなかった無能どもが何人集まろうと同じことです。あなた方が禁術の無駄な実験をしていたときに、僕は魔術を磨いていた。利益のない動きなんて無駄なんですよ。本当に、無駄な魔力が使用されました」
 こんなやつらが牛耳る世界だから、僕みたいな有能な存在はこの世界で生きるのに困る。
「どうせあなたたち無能は、魔力が無限に湧いてきているとでも思っているのでしょうが、そんなことはありません。魔力には限りがあります。これは、魔力への探求を怠って、魔力の流れを読もうともしなかった証拠だ。そんな無能どもが、僕に強気で対抗? ふざけていますね。淘汰せねばなりません。ゴミはこの世から淘汰せねば!」
 本当、ここで消費される魔力ですら勿体ない。
「エナジーブレード。せめて、魔力となって貢献なさい」

「……」
 場は血まみれ。今の僕の魔力量なら、禁術の数回くらいはこなせますね。そう。これが正しい形なんだ。無能は有能の養分になるべきで、彼らは十分に役目を果たした。
 これで準備は整いました。後は僕の自由だ。僕がしくじれば僕の力不足。僕が成功すれば僕がそれだけ有能だったということ。これが一番楽でいい。だれかの上や下について、だれかに評価を下し、下されて生きていくなど、僕には耐えられない。僕と共存できるのはつまるところ僕しかいないんだ。だれの人生が幸せであろうと不幸であろうと僕は知らない。だから、デッドとヴェルに容赦はしません。 しかし、今日のところは休ませてあげましょう。僕は僕でやることがありますからね。
「ふう」
 自分の部屋に帰ってくるのもいつ振りでしょう。本当、無能たちに奪われた時間はとてつもないものです。一秒だって渡したくはないというのに、人間という生物は平等すぎる。どうして初めから無能を軽く陥れるほどの力の差を身に付けさせてはくれなかったのでしょう。同じ生物でも、個体の格によって身体能力を変化させても罰は当たらなかったはずです。
 人間を作った者は意地悪だなぁ。平等になんてしてしまうから、部屋を片付ける程度のゴミを掃除するだけでも疲れてしまう。本当、不便なものです。
 ですが、それも今日で終わりです。僕は今日で人間を止める。歳を重ねるごとに古く寂れていく血なんて僕にはいりません。不死の血こそ僕に相応しい……いや、僕の血は人間としての血としても貴重なものですね。有能な血はいくらあっても足りないものだ。
「そうだ。記念に人間としての僕の血を残しておきましょう。僕の血は有能ですからね。どこかで使う機会があるかもしれない」
 かなり気分が悪くなるかもしれませんが、これも必要な行動です。
「テイク。対象は僕自身、認証完了。僕の身体から血を取り出しなさい」
 やっぱり僕の血はきれいだ。血を見るだけでも僕は有能だということが分かる。この血がなくなってしまうというのも悲しい話ですねえ。無能な血は世界中にあふれているというのに、本当に人間を作った者は効率が悪い生み方をしたものだ。
 しかし、ただ失くしはしませんよ。有能な血が少ないというのなら僕が伝え続けてあげましょう。
「ストレジ。僕の血を保存せよ」
 おっと、気分が少し……僕としたことが、少し血を抜きすぎてしまった。ですが、これで準備は整いました。後は人間を止めるだけです。本当、楽しみですねえ。
「不死の血よ、僕に馴染みなさい。禁術、不死!!」
 これが禁術ですか……。血が変わっていくのが分かる。僕は今、人間を捨てている。順応しないはずがない。有能なこの僕が、不死の血に見放されるはずがないんだ。
「……ふふっ、ははは。僕は今、人間を止めた。もう、僕は無能と同じ立ち位置にいない」

 愉快だ。本当に愉快な一日でした。僕は睡眠もとる必要がなくなった。そういえばお腹も減らないな。生きるために生物を消費し、一日の多くを活動停止で過ごす人間など、どれだけ欠陥な生物であったかが一夜で分かりましたよ。本当に愉快な気分です。
 さて、愉快な気分のまま計画を進めるとしましょうか。デッドとヴェルは人間としての最後の一日をどのように過ごしたのでしょう。まぁ、ヴェルに関しては人間かどうかも定かではありませんが。
 でも、どちらも気が気ではないでしょうねえ。僕が見る限り彼らは無能ではない。だからこそ、あの無能どものように簡単にはこの世を去らせませんよ。精一杯動いてもらいます。僕の道具としてね。
「いかがお過ごしですか……あら」
 僕がデッドとヴェルを捕らえている部屋のドアを開けると、なんと彼らは眠りについていました。おそらく励まし合ったのでしょう。
 彼らの信頼関係は本当にすごいのですね。お互いのことを信頼し合って、ない希望を抱いて。僕だったら考えられない発想ですねえ。ですが、彼らは今からその信頼関係に悩まされることを知らない。おもしろいなぁ。今から事を起こす側としては、起こされる側が何も知らないという状況は本当におもしろい。
「起きてくださいヴェル。幸せの時間のおしまいです」
 僕はヴェルを思いっきり蹴る。そうすると、鈍い声とともにヴェルは目を覚ます。初めは寝ぼけており、その顔は少し安心味を帯びている。ですが、徐々に意識がはっきりしてくると僕の方を見る。そして、その顔は憎しみの顔になってギッと僕を睨むんだ。
 いいですねえ。その強気の姿勢は本当にいい。デッドも同じような反応を示すんでしょうねえ。試してみましょう。
「起きてくださいデッド。幸せの時間のおしまいです」
「やめろ! デッドに何する!」
 ほら、やはりそうだ。本当に僕好みですよあなたたちは。
「今からあなた方には実験台になってもらいます。もしかすると悲惨な人生になるでしょう。ですが、それで開ける人生もあるかもしれない。どちらにせよ、僕は楽しめますがね」
「実験台? 何をふざけたことを言っている。俺たちは何があっても屈しんぞ。最後は俺たちが笑ってやる」
「そうだぞ。デッドいる! 僕安心! だから負けない!!」
「本当、僕好みですよ。では、いきます」
 まずは魔力の開放。普通の束縛も使ったことがないのに、いきなり変異的な束縛を使う状況になってしまうとは厄介なものです。ここで失敗すれば僕はただの笑いものだ。それこそデッドが最後に笑うことになるでしょう。
 ですが、僕は失敗しない。ここで失敗するようなら僕も無能と変わらないですからね。僕は有能だ。だから失敗しない。不死の禁術だって練れたのです。束縛が練れないことはない。
「束縛。対象ヴェル。『ヴェルは人間の血を飲まないと極度の興奮状態になってしまう』ロック!」
「……なんだ。頭痛い。デッド。頭痛いよ……」
「ヴェル! お前、ヴェルに何をした。何をしたんだ!!」
「……黙ってください。僕は今、集中しているのです」
「痛い……助けてデッド。僕、僕じゃなくなる」
「……黙っていられるか。ヴェルが苦しんでいる。なのに俺が何もできない? そんなことあってたまるか。ヴェルが助けてと言っている。俺はそれに全力で答える。お前の思い通りになどさせん!」
「……なっ!」
「ヴェルに何をした。俺はお前を許さん!」
「ぐっ!!」
 いい拳ですね……まさか、手枷と足枷を破ってくるとは。これは、デッドを舐めていたのかもしれません。意識がもうろうとしますよ。
 ですが、少しばかり力を出し切るのが遅かったようですね。もう、僕の束縛は完了している。本当、少しの差ですよ。もう少し拳が届くのが早ければ、僕はここで朽ちていたかもしれない。これですよ。この刺激が僕は欲しかった。無能とでは味わえないこの刺激をねえ!

「デッド……」
「大丈夫かヴェル。今手枷と足枷を……ヴェル?」
 あらあら、まさか自分で手枷と足枷を外せてしまうとは。デッドのとは違い、僕の魔力を授けた手枷と足枷をね。これは思わぬ収穫です。本能を解放したヴェルの力は僕の比ではない。僕が手を加えることもなく完成していたのですね。世界を震撼させるほどの怪物が今、僕の目の前にいる。
「僕、どうしたんだろう。デッド無事でうれしい。僕、逃げられるうれしい。だけど、おかしい。僕、僕じゃなくなる」
「どうしたヴェル。お前……ヴェルに何をした?」
「ちょっとした制約をつけさせていただきました。言葉を変えれば宿命を背負わせました。簡単な制約ではありますが、呪われたように重たい宿命をね」
 さて、この強烈な信頼関係が崩れるとき、デッドはどのように動くのでしょうか。気になりますねえ。
「宿命……!?」
「どうしたんだろ。血が……血が欲しいんだ。デッド。僕、デッドの血が欲しくてたまらないんだ」
「なっ! ヴェル。どうして!」
「これが宿命ですよデッド。初めての獲物なので少々手荒くされるかもしれませんが、我慢して飲まれてください。もう、仲良しこよしの関係は終わったのです。あなたはもうヴェルの獲物。いや、敵になるかもしれませんねえ」
「血が……やめろ僕。どうしてデッド傷つける! こんなに優しくしてくれるデッドどうして傷つける!」
 それでもヴェルはデッドを攻撃するのを止めない。本当にすごい効き目ですね。さすが禁術と呼ばれるほどの魔術だ。
 これは僕好みの魔術ですね。たった少しの制約で信頼関係なんてたやすく崩れる。くくく……なんとおもしろいのでしょう。
 いつまでデッドは持つでしょうか。これでデッドがヴェルを攻撃すれば僕としては残念な展開になりますが、そんなことはないでしょう。まだ状況も飲みこめていないなか、涙を流してもがきながら苦しむヴェルに攻撃できるほど、デッドは弱くないとみました。
「……ヴェル。俺の血を飲め。それでお前が救われるなら、俺は構わん」
「血……血!」
 やはりそうなりましたか。いい光景だ。どちらかに制約がつけられたとしても、その信頼関係は崩れない。自らを省みず他人の命を尊重できる人間。僕は嫌いじゃないですよ。理解はできそうもないですけどね。
 それにしても、ヴェルはうれしそうに血をすする。元々、あまり知能が発達していなかったのでしょう。こんなにすぐに染まってくれるとは思ってもいませんでした。このとき、デッドとヴェルはどのような心境なのでしょう。考えただけでもぞくぞくしますね。しかし、これで終わらせはしません。
「落ち着いたかヴェル?」
「デッド……ごめん……僕、デッドにひどいことした」
「気にするな。これはお前の意志じゃない。すべてはあいつがしでかしたことだ。少しの希望でも残されているなら、俺はお前を見捨てん。だから安心しろ。最後は笑うんだ」
「うん……ヴェル笑う……デッドも笑う……」
「そうだ。ほら、笑ってみろ」
「うん。ヴェル笑う」
「いい笑顔だ。その笑顔を忘れるな。最後はその笑顔で笑い合うんだ」
「うん。ありがとうデッド。僕、安心したらなんだか眠たく……」
 美しい光景ですね。小さな希望に寄りすがりながら精一杯の空元気で励まし合う。今日もあんなに安心して寝ていたわけです。デッドには生物を安心させるほどの強さがあるのでしょう。
 そして、新たな発見だ。ヴェルは血を満足するまで飲めば睡眠に入ってしまう。これは不都合ですね。うまく使える方法を考えておかなければ……。やはり僕に都合のいいことばかりは起こってくれませんか。
 さて、仕上げはデッドですね。先ほどはいい拳をもらいましたが、ヴェルにやられて傷だらけのデッドならば心配はないでしょう。
「いやぁ、美しい光景でした」
「黙れ。お前は俺にとって許されないことをしすぎた。言葉を交わすのも腹立たしい」
「それは残念です。僕はあなたのことを気に入っているのですが」
「俺は、生まれて初めてこれだけ何かを憎めたぞ」
「それはまた残念です。とりあえず、名前だけでも憶えていただきたい。僕はエネド。残念ながらあなたの敵です」
「憶えたくもないが嫌でも頭に残ってしまうな」
「もしかして、実は気に入ってくれました?」
「黙れ」
「そうですね。そろそろ本題に参りましょう。人間を止める気はありませんか?」
「……わけが分からないな」
「そうでしょうね。要は、こういうことですよ。禁術、不死!」
 さすがに禁術を連続で使うのは、魔力量が十分に溜まっているとはいえ身に堪えますね……しかし、今はその苦しみなど気にもなりません。
「な……何を!」
「人間を止めるのです。不死となって血を呪うのです。そうすれば、ヴェルはあなたの血をすすることを止めますよ。同時に、興味もなくすかもしれませんが」
「どういう……血が……変わって」
「そうです。これで、あなたも僕と同じ立ち位置です。これでいい。これで世界はおもしろくなります」
「待て……ヴェルを連れてどこへ行く!」
「ヴェルにはもっと血の虜になってもらわなくてはならないのですよ。自我が崩壊するほどにね」
 僕は興奮を隠せない。僕はもう、戻れない。これから後悔するも笑みをこぼすも僕の自業自得となる。わざわざデッドを不死にして自分を追いこんで、そして最後は僕が笑うんだ。生きていく上で信頼関係なんてものはまったく必要ないですが、敵は必要なのですよ。僕の刺激という渇きを潤してくれる敵がね。
 それがあなただデッド。あなたは何があってもヴェルを見捨てないでしょう。だからこそ僕の敵に値する。
 絶対に諦めないで下さいよ。僕を幻滅させるような行動をとらないことを期待しています。

 さて、次は血の掃除ですね。禁術を連続で使用した身としては、これ以上の行動は気分が悪くなるだけなのですが、仕方ないことです。
 しかし、大量の血ですね。なのに、世界から見ればちっぽけな無能たちが少し消えただけ。不思議な話ですね。僕が大量だと思っているこの血の量は、世界からすれば極少量。世界の広大さを感じますよ。
「ストレジ!」
 とりあえず、血は魔術で収納しておきましょう。後で部屋を赤一色にしなければいけませんからね。血は生命の源です。簡単に用済みにしてしまうには少々勿体ない。
 さて、鼻歌でも歌いながらヴェルの目覚めと血の飢えを待ちましょう。次にヴェルが血に飢えたとき、ヴェルの自我は崩壊する。そうなる前にデッドは僕の前に現れることはできるでしょうか。無理やり友人を血に飢えた怪物に変えられて、なおかつ自分も人間を止めさせられて……この絶対的に不利な状況から立ち上がったならば、彼は本当に素晴らしい。
「ヴェル。あなたはいい人に見つけられましたね。ただ、そこで運を使い果たしてしまった。きっと、それだけのことです」

「……ここ、どこだ……! お前、デッドどうした。デッドに何した!」
 ようやく目覚めましたか。どうやら、これは予想以上に長い睡眠時間を要するようだ。正直、デッドが現れるのではないかと少しひやひやしていましたよ。僕の力では、僕に拳を浴びせたときのデッドに勝てないでしょうからね。あの力を冷静にコントロールされなどしたらたまったものじゃない。それは、食らった僕が一番よく感じています。
 僕もこれ以上魔力の無駄遣いはしたくないので、束縛は使いたくない。いや、彼を束縛で屈服させるのが嫌なんでしょうね。それは僕のプライドが許さない。まぁ、まだ立ち向かってこれるような体力と思考には至っていないようなので一安心というところでしょうか。
「見て分かりませんか。赤い部屋です。何よりも生命を感じる色に囲まれた素敵なお部屋」
「……デッドどうした!!」
「デッドはきっと助けに来てくれますよ。あなたがそれを受け入れるかどうかは別ですが」
「何言ってる……血?」
「そう、血です。あなたの大好きな人間の血ですよ! 好きなだけお飲みなさい。あなたを壊してしまうほどの生命を身に宿して、怪物になってしまいなさい」
 血は生命の色。僕はすごく素敵な色だと思います。ですが、生命もあふれると毒になる。神秘的ですねえ。薬にも毒にもなる血という存在は本当に奥が深い。だからこそ、どんな生物も血には抗えない。動物も、人間も、そして人間を止めた僕でさえも。当然それは、未確認生物であるヴェルにも言えること。血は強大です。生物を狂わせるほどにね。
「血……また、僕、僕じゃなくなる。どうしてだろう。うれしい。心はうれしくないはずなのに、うれしい」
「……」
「この血、僕の物?」
「ええ。あなたのものです。どうぞご自由に」
「これ、僕の血……だれにも渡さない。これ、僕の血」
「ええ。そうですよ。あなたの血です。破滅に導く濃い赤ですよ」
 始まりましたか。意外と早かったですね。おそらく、知能があまり発達していないことが原因でしょう。それにしても、いい表情をなさいますねえ。まさに憑りつかれた怪物のような顔だ。何かを欲し、その欲した物のためだけに人生をささげる。それも強大な力を持っています。これを怪物と呼ばずして何と呼ぶのでしょう。欲求のためだけに動く生物というものは何よりも恐ろしい。
 この調子ですと自我の崩壊も間近ですねえ。これだけうまくいきすぎるのもおもしろくないところではありますが、仕方ないでしょう。だれも血には抗えない。

「……ル!」
 遠くの方から声が聞こえる。あらあら、ようやく体力が回復し、動く決心をしたようですね。
「ヴェル! 無事か!」
「遅かったじゃないですかデッド」
「エネド……ヴェルはどうした?」
「おや、名前を憶えてくださったようで」
「黙れ。ヴェルはどうした?」
「……そこにいらっしゃいますよ」

『血……渡さない。僕、血……渡さない。お前の血、好みじゃない……お前、僕の邪魔する?』

「ヴェル……だよな?」
 遅かった。あなたは遅かったのですよ。もう、希望は潰えました。ヴェルの自我は崩壊し、今はもう血を欲する怪物と化している。今のヴェルにあなたの声が届くことはないでしょう。
「血、まだたくさんある。僕、満足しない。邪魔するな」
「ヴェル。俺だ、デッドだ! 目を覚ませヴェル!」
「邪魔するな! 僕、血飲む。それが生きる喜び」
「……エネド、まさかお前、さらに束縛を……」
「いいえ。僕はただ血を提供しただけです。部屋一面を埋め尽くす量の血をね」
「……ヴェル! 俺の血を飲め! 満足するまで飲んでいいぞ。俺は大丈夫だ。大丈夫だから……そんな苦しそうな顔をするな。俺がついてる」
 デッド。あなたはまだ笑うのですね。ヴェルがあなたを見失っても、あなたはヴェルを離さない。しかし、無駄なのですよ。ヴェルが欲しているのは人間の血であって僕たち不死の血ではありません。そういう意味では呪いと呼んでもいいのかもしれませんねえ。人間にとって、もう僕たちは人間の傀儡を身にまとった別の生物です。
 こうやって、怪物を作ってみると実感しますよ。人間を超えることができたという事実をね。
 ですが、あなたは諦めないのでしょう。無理だと分かっても、まだ何か希望を宿して笑うのでしょう。本当、僕とは対照的だ。ある意味世界でもっとも気が合わないかもしれません。だからこそ僕はあなたに惹かれてしまっているのかもしれないですけどね。
「……いらない。僕、その血嫌いだ」
「昨日飲んだじゃないか。安心して眠ってくれたじゃないか……負けるなヴェル! 生きる力さえあれば、どれだけ希望の炎が小さかったとしても消えることはない!!」
「お前、僕の邪魔する。許さない!」
 ヴェルはデッドの身体を強靭な力で傷つけ続けました。望んでいない戦いを仕組むというのはおもしろいですね。どちらも本意ではないのですから。
 ヴェルは、自我を崩壊させたといっても基軸は僕のかけた束縛によるもの。奥底にヴェル本来のヴェルは潜んでいます。だからでしょうねえ、デッドを傷つけるヴェルの表情は苦しそうだ。対するデッドはヴェルの攻撃をすべて受け入れている。あれだけ傷ついた後だというのに、救えませんね。ですが、ヴェルを安心させようと笑顔をやめない。悲しそうで苦しそうな笑顔ですがね。
 僕は、そんな笑顔を作るくらいならば笑わない方がいいと考えます。本意からの笑顔ではない笑顔など安心するはずがないではないですか。まぁ、彼にそんなことを言っても無駄なのでしょうけど。地に倒れるまでそれを続けた彼にはね。
「どうですか? 変わり果てたヴェルを見た印象は」
「……変わり果てたなどと勝手に決めるな。ヴェルは苦しそうだ。まだ、染まりきってはいない」
「僕にはそんな風には見えませんが……まぁ、いいでしょう。ここでデッドに忠告です」
「……」
「僕は近いうちにヴェルを外へ向けます」
「お前……!!」
「ええ。世界は大混乱でしょう。『なんだこの怪物は!』となること請け合いです」
「ヴェルが何をした。どうしてヴェルが世界の敵になる必要がある。そんな必要どこにもないだろう!」
「ヴェルが強大な力を持ちすぎたのです。血の飢えも含めてね。僕にも血の限界がある。それは外の人間たちに供給してもらわなければならない。当然ですよね。自然の摂理です」
「させんぞ……」
「あなたにヴェルを止める力はない。止めたいならば強くなるしかない。ヴェルよりも強い力を持って、ヴェルを打ち倒すしかないのですよ」
「それはお前の作った道だ」
「そうです。ですが、それしか道はありません。なので、口を動かす前に出直してきなさい」
「俺は諦めんぞ。ヴェルをヴェルに戻して、最後に笑う」
「……」
 そう言って、デッドは僕たちの前から姿を消しました。さて、次は僕が苦しむ番だ。予定通りに血を欲する怪物になってくれたのはありがたいですが、少々扱いに困りますね。ここにある血も、そう長くはもたない。かといって、すぐに外に出してしまうのもおもしろくありません。時間も与えずに押し切ってしまうというのは、僕の流儀に反しますからね。プライドが許してくれそうもない。
 とりあえず、死んでも害がなさそうなはみ出され者たちをエサにでもしますか。ばれないようにこっそりとやるのはなんだかみっともないですが、仕方ありません。
「ひぃぃぃ。やめてくれ。俺が何をしたというんだ!」
「何もしていませんよ。むしろ重要な役目を与えるのです。人間の寿命を延ばすという役割をね。人間全体を考えるならば、少しの犠牲は仕方がない。当然でしょう」
「血……新たな血! いただきます」
 無駄に寿命や餓死で死ぬのならば、世界のために役立てた方が本人も幸せでしょう。ですが、無能なはみ出され者には分からないですよね。無能だから、自分本位の視点でしか物事を捉えることができない。
 ですが、僕のおかげでこの無能なはみ出され者たちは役に立つことができます。人のためなんてそんな小さなものではなく、世界のためという重要なものをね。
 我ながらいい案を思いついたものだ。これで、デッドに時間を与えることができます。両方に利を与える。なんと素晴らしいことでしょう。



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12.宿命の真実 Ⅱ 

 あれからどれくらいの時が流れたのでしょうか。ふふっ、不死になると時間の感覚を忘れてしまいますね。いつの間にか文明は進化し、この世は古代時代と名付けられた。今ごろ、デッドは必死に僕たちを探しているのでしょうか。ですが、そう簡単には見つかりませんよ。定住している場所なんてありませんからね。物を食べる必要も睡眠をとる必要もない。不死というものは本当に便利です。ヴェルも人間の血さえ与えておけばおとなしいですからねえ。
 しかしながら、魔術の文化がなくなって、今の平和ボケした古代人の絶対人数は増加しました。嘆かわしいことです。無能と無能が生命を誕生させても、結局生まれるものは無能だというのに。
 まぁ、そのおかげではみ出され者たちをヴェルに与えながらこっそりと生きていくのは簡単になりました。無能はいつの時も有能の犠牲者です。当然のことですがね。
 ですが、次の段階にはいつ進めるのでしょうか。僕からすれば、まだここでヴェルに満足してもらっては困るのです。このままでは、ヴェルはただの僕の操り人形だ。束縛あっての傀儡では意味がないのですよ。世界を震撼させるような怪物になってもらうには、無能な人間にも怪物だと認識させるような迫力が必要です。このままではそれが足りない。そろそろどうにかしないといけませんね。
「ヴェル」
「血、くれるのか?」
「いいえ。少しお話がしたいのです」
「くれないお前に用ない」
「そう言わずに。あなたは僕が与えている人間の血だけで満足していますか?」
「満足してるぞ。血飲んだら安心して寝れる」
「本当に満足していますか?」
「そう言ってる。まだ話すか? 僕、お前と話したくない」
 これは困りましたねえ。僕は本格的に嫌われているようだ。きっと、本能の奥底にいるヴェルの影響でしょう。まぁ、仕方ないことですね。これで好かれていたらむしろおもしろくない。なので、これはこれでいいのですが、新たなステップに見向きもしてくれないというのはこちらとしても苦しいものがある。能力としては有能なものを持っていても、知能が足りていないとどうもペースを崩されてしまいますね。
 仕方ありません。僕も知能レベルを下げて考えましょう。強行突破です。本当は僕の一番嫌いな手ではありますが、たまにはシナリオを無理やり捻じ曲げてつなげるというのも悪くはないでしょう。ええ。そう思いこみましょう。僕も必死です。
「最後にひとつ質問します。もっとたくさんの人間の血を飲みたくはないですか?」
「!?」
「……悪い話ではないでしょう?」
「そんな人間の血あるのか? お前、あれが限界言った。あれはうそだったのか?」
「見つけたのですよ。もっと多くの血を飲める場所をね。浴びるように飲めますよ。この世界は魔力よりも血にあふれているのです」
「……」
 これは、今まで人間が多くいそうな場所に頑なに行かなかったのが功を奏しましたね。元々、ヴェルは山奥に住んでいたので、人間が数多く存在している事実を知りません。これが大きい。まぁ、僕としては不本意な方法に変わりないのですがね。
「お前、案内できるか?」
「ええ。いくらでも」
 これで世界は血に染まる。初めはそれほどの迫力はないと思いますが、数多くの人間の血をすする内に狂気に満ち溢れることを祈りましょう。そして、そこでようやくデッドが気付くわけです。楽しみだなぁ。強くなっているとうれしいですね。

「ひぃぃぃ! 怪物だぁ!」
「迎え撃て! 退治せよ!」
「血……たくさん。うれしい!」
「……あっという間ですかね。この調子ですと」
 やはりこれだけの数の血を見ると、本能の奥底に眠っているヴェルも完全に眠りにつきますか。これは、愚直目なしにいきいきしていらっしゃる。
 まだ怪物としての迫力はないですが、初めとしては上出来でしょう。この調子ですと、四、五つの町を血の海にすれば怪物になりそうですね。
「どうでした?」
「眠いぞ……だけど、満足。起きたら血、飲めるか?」
「ええ。起きるころには新しい血がたくさんです」
「僕、うれしい」
 ある意味、睡眠に入っているときがどちらでもない中間のヴェルなのかもしれないですね。睡眠に入ればヴェルなど無防備な少女です。しかし、人間では眠っているヴェルですら葬ることはできないでしょうけどね。今のヴェルの力を考えると、僕ですら葬れないでしょう。
 そう考えると、魔術なんてしょせん人間が作った遊び道具でしかなかったということですか。魔力というものを発見して浮かれていた代償ですね。いまや、魔術の価値なんて禁術と数少ない補助魔術くらいでしかない。禁術は本当にありがたいですけどね。まぁ、いまや僕しか使えないというのがもっとも素晴らしい点でしょう。
 人間なんて僕たちのエサでしかない。ですが、この世にはそれを変えられる男がいます。デッド、あなたはいつ現れるのでしょう。早くしないと無駄な血が流れ続けますよ。早く止めてご覧なさい。日々成長するこの怪物をね。
「血……起きたらごちそう!」
 二つ目。
「血……血!!」
 三つ目。
「血……あなたたちの血が欲しい。真っ赤で美味しい血、欲しい。もっと欲しい。足りない! 足りないの!!!!」
 ようやくですか。身体にピリピリと電撃が走るような重圧感。そして、この狂気に満ちた表情。そう、僕はこれを待っていた。
「血……すべてもらう。足りない。僕、血が足りない!」
「ええ。構いませんよ。血なんていくらでもありますから……ね?」
 これまたようやくですか。待ちわびましたよ。

『エネド。ヴェル……いや、血を欲する欲望の怪物。お前たちは無駄な命を消し過ぎた』

「お久しぶりです」
「……お前と話すことなど何もない。お前は無駄な命を奪い過ぎだ」
「あらあら、それはずいぶんな言い様ですね。確かに僕は無能の命はたくさん奪いましたよ。ですが、有能な命を奪った覚えはありませ……!?」
「しゃべるな下種め」
「がはっ!」
 なんという速度でしょう。僕が少しでもかわすのが遅ければ致命傷を負っていたかもしれません。まさか、かするだけでこの威力とは……。
 デッド、どれだけの成長を……。これは民衆の中に紛れてやり過ごしたほうがいいですね。もう、デッドはただの不死ではないということですか。不死なのに怪物を死に至らしめる力を持つ。さしずめ死神というところでしょう……。あなたは僕の予測を超えてくれる唯一の存在だ。僕では役不足ですね。死神には怪物です。
「邪魔する? ねえ? どうして邪魔する? 僕、血飲みたい。足りないの。血が、僕の身体に血が足りないの!!」
「……俺の拳で怪物を消し去ろう。そして、ヴェルを取り戻す。俺たちはもう軽く笑えないのかもしれない。どれだけ笑っても俺たちの笑顔は血塗られているだろうからな。だが、それでも笑おう。後ろ向きに生きていても死者の魂が返ってくるわけでも報われるわけでもない」
 えらく落ち着きましたね。一体、この間に何があったのでしょう。もしかすると時間を与えすぎたのかもしれませんね。悲しみや苦しみは成長の起爆剤とも言います。それをすべて昇華してここに立っているのだとすれば、デッドは僕の計画に支障をきたすほどに脅威だ。
 まさか、束縛も考えなければならないとは。あなたは、この短期間に二度、僕のプライドをずたずたにした。敵としてあっぱれというところでしょうか。
「邪魔する。消す!!」
「来い。全力で拳をぶつけよう。そして、全力でお前の心を救いだす!」
 正直な感想を述べると、ただただ素晴らしい。きっと、今もこれからも、彼らを超える生物など現れないでしょう。もし、新たな生物が生まれたとしても彼らには敵わないと断言できます。僕はものすごいものを生みだしてしまったのですね。さすが有能な僕だ。予想以上のものを作ってしまった。
 しかし、どちらも互角というのが功を奏しましたね……。もし、デッドが圧勝していたならば、今ここに僕はいないでしょう。先ほどの偶然かわせた攻撃といい、互角の今の状況といい、最近の僕は何かに救われすぎている。僕は僕として道を切り開いていきたいというのに、みじめでしょうがない気分だ。ですが、これもすべて僕の非力のせい。そうならば僕の自業自得だと納得できる。
 そうだ。僕が強くならなければならない。シナリオを考えないといけませんね。魔術師としての最強など、この怪物と死神の前では何の役にも立たない飾りだ。
「血……お前の血はいらないのに、なんでだ。僕、お前忘れられない。お前、なんだ!」
「消し飛べ怪物! そいつはヴェルの心だ。俺と一緒に過ごしてきたヴェルの気持ちだ。決してお前のものじゃない!」
「がっ……」
 決まったようですね。さすがですデッド。あなたは怪物を超えた。死神の名にふさわしい。
「……デッ……ド?」
「ヴェル! ヴェルなのか?」
「僕、悪い子……ごめんなさい」
「あぁ。お前は悪い子だ。たくさんの命を奪った悪い子だ」
「ごめん……ごめんね」
「だから、これからはそれを背負って生きよう。その上で笑うんだ。血塗られた笑顔で生きていくんだ。その覚悟がヴェルにはあるか?」
「……ごめん。僕、頭が悪いからよく分からない。でも、デッド言うことちゃんと理解したい。また、ちゃんと教えて、ヴェルに、教えて?」
「あぁ。たくさん教えてやる。俺はお前を見捨てなどしない。だから、生きよう。俺と一緒に、生きよう」
「うん。やっぱり、デッドの笑顔、僕、好き……」
「ヴェル……ヴェル!?」
 気を失いましたか。しかし、この状況で気を失うだけとは大した耐久力ですよ。死神が死神なら怪物は怪物ですね。
 ですが、どうやらデッドは気を失っただけということに気付いておられない様子。これは好機ですね。また僕に運が向きました。冷静さを欠き、致命傷レベルの傷を負っているデッドにならば、僕でも生き延びることができるかもしれません。

「僕の言った通りになりましたね。強大な力にはそれ以上に強大な力で制するしか道はありません」
「……それはお前が決めることじゃない」
 弱弱しい表情だ。あの、何をしても諦めないような強いデッドはどこへいったのでしょう。まぁ、仕方ないですね。今、デッドにとって希望が潰えたのですから。どれだけ強い人も、寸分の希望が無くなってしまうとこんなにもか弱い。
「ですが、結果はこれです。僕が決めたことではなくあなたが決めた道だ。現にあなたはヴェルを救えなかった。そうでしょう?」
「そうだな。俺の弱さゆえだ。俺は……俺たちは笑うことができなかった」
「ですが、あなたは歴史に残る英雄となるでしょう。怪物を打ち倒した救世主として」
「そんなものはいらん。俺は、ただヴェルと笑えればそれでよかったんだ。もう、叶わんことだが」
「……事実上、僕にはもう打つ手がない。敗者は去るとしましょう」
 そう言って僕がヴェルを抱えると、デッドは驚いたような仕草を取る。まだ、完全に折れたわけではないということですか。
「……ヴェルをどうするつもりだ?」
「今の僕に打つ手はありませんが、打つ手を作るために再生の魔術でも研究してみようかと思いまして。まだ諦めたくはないのでね」
「またヴェルをお前の自己満足に使うつもりか! させんぞ。もう二度と……ヴェルにそんな真似はさせん!」
「!?」
 立ち向かってきますか。無意識のうちにそういう風に誘導していたのかもしれませんね。僕も魔がさしているな。正直、立ち上がったデッドを見て、少し興奮を覚えてしまった。
 このためにヴェルとデッドの戦闘中の間に魔力を開放していてよかった。束縛もすでに練っているのですよ。助けたくても助けられない絶望を味わってもらいましょう。
「禁術、束縛!!」
「ぐっ……」
 どうです。どれだけあなたが意気込んでも禁術の前ではすべてが無になる。あなたやヴェルが武の結晶だとすれば、僕は知の結晶だ。あなた方の怪物的な力も、この束縛の手にかかれば問題ないのですよ。そう考えれば、僕はやはり非力などではない。僕はすべての面において有能だ……?
「負けん。俺は、いや、俺たちは、お前の禁術だとかいう腐ったものに負けてきた。こんな、だれも得しないものに負けたままでいられるか!」
「なん……ですと……」
 まさか、束縛状態でなお動いてくるとは……。恐ろしい話ですよ。さっき自信を取り戻したばかりなのに、また僕のプライドが折れそうになる。
 ですが、僕は魔術師最後の生き残りであり、最強の魔術師だ。そのなかの最高傑作である禁術が通じないとなると、僕の存在ごと否定された気になりますね。それはちょっと受け入れられる話じゃありません。決して僕は無能なんかじゃない。生物を手玉に取る最強の有能者だ。デッド、あなたが諦めないように、僕も諦めが悪い方のようです。僕は自分のため、あなたは人のためという大きな違いはありますがね。
 この束縛に、僕が現在温存しているほとんどの魔力をこめましょう。僕が魔術師を淘汰して魔術を衰退させたおかげで、まだ世界にはたくさんの魔力が存在している。僕はまたそれを集めましょう。これは決して無駄な消費などではありません。僕も心置きなく使えますよ。
「お前だけは許さんぞ。俺はお前に慈悲をかけるつもりも笑い合うつもりも一切ない。俺はただ、俺の拳でお前を打ち砕くだけだ」
「そうしてください。本気で憎悪をぶつけられるというのは、存外悪いものではないですから。こちらも本気で回避させていただきます。束縛……強化!!」
「お前……まだ……」
「ええ。僕はこういうセリフを漏らすのは好きではないのですが、言わせていただきます」
「……」
「僕を舐めるな死神!! あなたが僕を本気で打ち砕こうとしているように、僕も本気で生き延びようとしている。僕も必死だ」
 なんとかなりそうですね。しかし、これ以上対峙したくないほどに意識が飛びそうだ。いくら僕といえど、溜めている魔力のほとんどを使い切ってしまうのは自殺行為に近い。 魔力の使用は精神の使用に直結する。そして、精神を大幅に削られると、それは肉体に影響を及ぼします。いくら不死の力があるとはいえど、体力的な肉体ダメージは人間の時と変わらないようですね。気を付けなければ。
「僕を打ち砕きたければ、また僕を見つけてごらんなさい。僕は体制が整うまであなたから逃げ続けましょう。では、またいつかの時代で」
 デッドの目は死んでいない。まぁ、いつ立ち上がるかは知りませんがね。僕もこのままじゃ終わりませんよ。また何か新たなシナリオでも描いて、完璧にあなたの希望をなくしてみせます。
 またいつか会いましょう。そのときこそ、僕とデッド。どちらかが倒れるときかもしれませんね。

 ……ただ気を失っているだけかと思っていましたが、まったく目覚めません。まさか、僕が目測を誤って本当にお亡くなりに? いや、そんなはずはありません。ヴェルが何者か分からないという点はあるにしても、生物なのだから生きる器官はあるはずです。見たところそれは正常に機能しているはず。だとすれば何がおかしいというのでしょう。
「とりあえず今の機会に身体でも調べさせてもらいますか。何かヒントがあるかもしれないですしね」
 しかし、この空になりかけの魔力で使える魔法なんてたかが知れていますね。僕自身ももう少し休みたいところですが、一刻を争う事態だとすれば大変です。ここは僕も多少無理をしましょう。
「インバス!」
 ヴェルの状態を……!? これは、そもそもが人間の形態とは違いますね。いや、すでに文明が進化するほどに時代が流れているのですから当然なのですが、これはすごい構造だ。確かにこれならば永久に生き続けることも可能でしょう。不死いらずとはまさにこのこと。
 そして、こういう構造で生命を産むと、これほどの力が備わるということですか。素晴らしいですね。これはしっかりと僕の脳に刻み込んでおきましょう。無理もしてみるものですね。
 そして、肝心のヴェルの容態ですが……眠っていますね。これは、かなり深い眠りだ。当分起きることはないでしょう。血を欲するヴェルが身体力の怪物だとすれば、本体のヴェルは精神力の怪物というわけですか。さすが、デッドと暮らしてきただけある。まさか、圧倒的に奥に封じ込められていたヴェルの精神と、血を欲したヴェルの精神が異常な混ざり方をして考えるのを止めてしまったとはね。
 さて、どうするものか。とりあえずヴェルは、僕の魔力がある程度まで回復した後に魔術で保存しておくとして、それ以降の僕ですよ。何もしないというのもつまらないですし……そうですねえ。気分転換のために、食事を久しぶりにとってみましょうか。生物を食すのは僕のポリシーに反するので、食草でもいただくとしましょう。デッドから逃げるついでにね。
 そうと決まれば今日はとりあえず休みましょう。予想以上に疲れてしまいました。魔力を取り込む力もありません。

 まさか満足に行動するのに三日も時間を要してしまうとは。正直、ひとつの場所に三日も留まるなんてひやひやものでしたよ。いつ、デッドに見つけられるか分かったものではありませんからね。まぁ、まだ行動できる精神状況ではないとは思いますが、油断はいつのときも命取りですからね。注意しないと。
 さて、低級魔術ならある程度扱えるくらいまでに魔力は取り込めました。そろそろ動き出すとしますかねえ。
「ストレジ!」
 血を保管したときから思っていましたが、動かない物を小さな箱に納めて持ち運びできるようにするストレジは思いのほか便利な魔術ですね。低級魔術なんて何の役にも立たないと思っていましたが、下手な攻撃魔術よりもよっぽど役に立ちます。侮りがたしですね。
 さて、今からは気分転換です。軽い気持ちで食草をいただきましょう。しかしながら、人間はどうして無駄に生物を食そうとするのでしょうね。別に大量に食べなければならない作りにはなっていないはずなのに。一日三食なんてだれが決めたのでしょう。正直、一食で十分生きていけます。それも、生物の肉などではなく食草で十分ね。
 本当、人間の考えることは理解に苦しみますよ。それでありながら万物の王であろうとする。王になりたいならばまずは生き方を正すことを考えることですね。まぁ、無能な人間たちにその脳はないと思いますが。本当、嘆かわしい。
「……美味しいじゃないですか」
 久しぶりの食事というものは恐ろしいものですね。なんと美味しいのでしょうか。もし、肉や魚が食草以上に美味しいのだとしても、火で焼く肉や、さばいて食べる魚を食べる必要もないほどに美味しいじゃないですか。
 これは侮っていましたね。人間のころに食べていた食草よりも進化していると考えていいのでしょうか。もしくは、久しぶりの食事なので新鮮味があるのでしょうか。どちらにしても、定期的にいただいていきたいものです。
「もっと他に食べ方はないものでしょうか……他に?」
 そうですよ。他に食べ方がないのなら、僕自身が模索してみればいい。僕がだれかが作ったものを使うなど人間のときのみのことだ。僕はもう人間を超えたのです。おこぼれをもらうようではいけない。
「凍らせてみましょうか……いや、軽く乾燥させてみるというのも……色素を抜いてみるのもいいですね……」
 僕はいろいろな方法を試しました。そして、見つけたのです。最高の食草の食し方をね。これはもう単純なこと。単純なことが至高だったりもするのですね。これはいい教訓になりました。
「ファイア!」
 ふふっ。食草は軽くあぶるに限ります。この焦げがいい味をだすのですよ。しかし、いちいち魔術を使うのも魔力の無駄ですね。そういえば、古代人は機械という物を用いて料理というものをやっていましたね。機械の力を用いて火や水を使うことができるとか聞いたことがあります。
 恐ろしい話ですね。無能は無能なりに進んでいるということですか。魔術と変わらない力はすでに存在している。僕が魔術を衰退させたらまた新たな一手ですか。まぁ、魔術を生み出したくらいです。それを僕が利用……利用?
 ふむ。魔術はしょせん利用しただけですが、それは人間だったからです。今は無限の時間がある。そうですね。いいことを思いつきました。今度は僕が文化を昇華させてあげましょう。機械をより実用的に利用できるようにね。そうですねえ。これを『科学』と名付けましょう。自然の力を扱うということを無能な人間たちに教えてあげますよ。
 ちょうど僕にはヴェルの身体というサンプルがある。つまり、目的はどうやってヴェルの身体の構造を持った生命体を作り出そうかということに絞られます。そこのみに考えを絞ればいいのですから、方法は思いつくはずです。どれだけの時間を要するかは分かりませんがね。
 そこで一番の問題は、それを作るためには『ひとつの場所に留まらなくてはならない』ということ。これが一番厄介です。そのためには、なんとかしてデッドが動くことができないという状況を作らなければなりません。まずは、これを考えなければなりませんね。人間を超えてよかった。まだ、これだけ考える余地があるほど楽しい出来事がある。とても、人間の寿命なんかでは足りません。不死というものは本当に素晴らしい。

 とりあえず考えはまとまりましたが、少し時間を置かなければいけませんね。少々賭けにはなりますが、魔術文化の禁術のみを文献という形で世界に公表します。こうすることによって、無能な人間たちにあのときの金色の目をした男がおかしいということに気付かせる。そうすれば、デッドも普通に生活することができなくなり、僕を探すような状態ではなくなるはず。
 その代わり、人間の機械文化も発展を遂げるでしょうね。どういう形で発展を遂げるかは分かりませんが、もしかすると仇なすレベルまで昇華するということもありえます。
 しかし、相手は無能な人間だ。僕は、無能な人間のすべてよりもデッドを脅威だと認識している。ですので、頃合いを見計らって公表しましょう。
 人間から見れば、僕たちは人間の形をしている別生物だ。歳を取ることがないですからね。姿形が変わらないというものは人間にとっては恐怖の対象です。デッドにはまた悲劇を味わっていただきましょう。僕もいつまでも逃げているだけというわけにはいきませんのでね。
「……このような資料を私が発表してもよろしいのですか?」
「ええ。構いませんよ」
「あなたは一体?」
「僕ですか? 僕は名も姿もない存在です。つまり、この手柄はすべてあなたのものだ。あまり深く追及なさるとよろしくないことが起こると思うのですが、どうでしょうか? 黙って受け取っていただけるとうれしいのですがねえ」
「……分かりました。私が責任を持って発表させていただきます。あなたのおかげで、人間の歴史がさらに解明され、新たな向上を遂げるでしょう。せめて、お礼だけでも言わせてくだされ」
「お喜びいただけて幸いです。では、僕はこれで」
 こんな無能が人間の最大権力者とは本当に呆れますね。やはり、無能には無能の長がお似合いだ。
 ですが、僕も異常なる数の攻撃の力は認め改めますよ。僕は今から、無能の大軍を使った攻撃に頼るわけですからね。そういう意味では僕もお礼を言わなければならない。僕のシナリオにご協力いただきありがとうございますとね。
「救世主様をたまに見かけるが、どう考えても歳を取っておらん。わしがまだ青年のころにこの世界を救ってくださったんじゃ。こんなことあり得るはずがない!」
「これはあれだよ。救世主様は禁術とかいうやつを使用したんだ。ほら、不死になる禁術があるというじゃないか」
「それじゃあ、救世主様は呪われているということ? あら嫌だ。それじゃあ怪物と変わらないじゃない。死神だわ。救世主様も人間にとって脅威となる存在なのよ。このままにしておいてはいけないんじゃないかしら」
 本当、おもしろいくらいに信じこんでくれますね。そのおかげでもう一息です。世論が動いた以上、権力者が黙っているはずがありません。
 人間が他人を慈悲深く敬う生物だなんて、そんなのは人間をよく見せるためにうそを塗りたくっているにすぎない。結局、どんな大きなことをしても、人間という種族の脅威になりそうならば、簡単に手のひらを返すのですよ。
「その通り。我々はだまされていたのだ。怪物を倒し、救世主となったが、それもすべてはこの世界を手にするためなのだ! 不死という立場を利用して人間を死に陥れようとする救世主など存在せん。あいつはただ強いだけの死神だ。怪物を超えた死神。ただ、それだけにすぎん! だまされちゃならん。今こそ人間の力を合わせ、呪われし禁術者を、死神を退治するときがきたのだ!!」
 こうなってしまうのです。デッド。僕は人間なんて無能な生物は見限ってしまうべきだといつのときも思うのですよ。あなたはどうして見限らないのですか? あなたの力があれば人間なんて力で服従させられるでしょう。これもヴェルのためですか?
 そうじゃないはずです。ヴェルも人間じゃない。もし、ヴェルが正常に復活してあなたの下へ帰ったとしても、人間が牛耳るこの世界で満足に暮らすことはできないでしょう。
 デッド。今のあなたに味方はいない。あなたは世界中の人間から見放されてもまだ笑っていられますか? ヴェルがまたあなたに笑いかけてくれる保証もない。そんな状態で希望にすがれますか? あなたは、僕にまだ楽しみを与えてくれますか?

 さて、これで十分な時間は確保できました。早速いい場所を探して傀儡に生命を吹き込んであげなければ。
 しかし、世界というものは広いところです。時間を気にせず動けば、どこかに自分の望むような場所というものは見つかるものです。程よい広さに見つかりずらそうな人気のない場所。さらには作業できそうな道具までそろっていますよ。
 おそらく、怪物ヴェルの問題があったことで、恐怖に怯えながら逃げ出すように移動したのでしょうね。ここは気兼ねなく使わせていただきましょう。もしだれかが来ても葬ってしまえばいい。これだけの人間がいるなか、一人くらい減ったところでそれほどの騒ぎにはならないでしょうしね。
 まぁ、当分は魔力を溜めながら機械で外観を作る作業になりますね。その後、溜めた魔力を解放して最上級魔術の「ミラー」を使用し、ヴェルの組織をコピーする。それを機械に混ぜることで、ヴェルそっくりの構造をした傀儡が完成。しょせんはコピーですので、少し能力は半端になってしまうのが難点ですが……。
 ですが、これはさすがの僕も手に汗握りますね。ミラーを使用できる対象はひとつの組織につき一度までですから、一度間違えてしまうとシナリオ自体が崩れてしまうということに……それはなんとしてでも避けなければなりません。
 そして、最後は傀儡に生命を吹き込む作業。これが一番厄介ですね。これもまた大量の魔力を消費して魔魂を作らなければならない。さらには束縛を使う魔力も必要となると、どれだけの時間がかかるか想像もつきませんね。
 とりあえず、頭の中で予定の整理は終わりました。後は実行するのみです。僕は魔力を溜めることに専念するとしましょう。

 ……ようやく完成です。予想以上の時間がかかってしまいました。もう、古代時代は終わり、世界は中世という時代に入ってしまった。しかし、今ではデッドとヴェルの戦いが『古代の伝説』なんて呼び方をされて伝わっているのですね。そのおかげで、デッドは死神として忘れられることがない。これからも見放され続けるのでしょう。今ごろ何をしているのかは知りませんが、人間を滅ぼしていないところを見ると諦めてはいないとみていいのでしょうけど。
 それにしても、あそこで僕の魔力のほとんどを使い切ってしまったことが響きましたね。おまけに、僕が魔術師をすべて淘汰したことで、魔術師同士の魔力の供給ができなくなっている現状です。なので、魔力の取り込みがスムーズにいかない。まぁ、空にならないように余分に取っているせいでもあるのですがね。念には念をというやつです。
 さて、それでは生命を吹き込むとしましょうか。僕が科学で作った、死神殺し、フェイドという名の殺人鬼をね。
「ダブル束縛。対象フェイドの魔魂。『死神デッドを殺めたい衝動に駆られる。そして、僕を攻撃することはできない』ロック!!」
 ダブルで束縛をかけるのはさすがにつらいものがありますね。それも、こんな大ごとな束縛ですからなおさらです。ですが、束縛はこれだけの体力と魔力を消耗するのに、精神が束縛の魔力を超えると解かれてしまうという欠点がある。
 今から生まれてくるフェイドは精神が強くないとありがたいですね。解かれてしまうと、僕が殺されてしまうとも限りませんから。
「さぁ、生まれなさいフェイド。そして宿命に悩みながらデッドを殺めるのです。まぁ、できるとは思っていませんが、余興くらいにはなってくれるとありがたい」
「……」
 成功だ。目を開き、きょろきょろとした後起き上がる。魔魂の便利なところはある程度の情報は、さ迷う魔力が記憶しておいてくれることですね。このおかげでこちらが何かを教えたりする必要がなくなる。まぁ、いらないことまで記憶していたらと思うと怖かったりもしますが。
「おはようございますフェイド。僕はエネド。あなたの主人です」
「目を覚ました瞬間意味の分からない状況だな。俺はフェイドという名前なのか? そして、俺はお前の下僕なのか?」
「ええ。前者の質問は『そうです』と答えましょう。そして、後者の質問は『いいえ、そういうわけではありません』と答えます。僕たちは言うなれば仲間ですよ。死神デッドという男を討つためのね」
「……デッド? なんだ、その名前を聞いたら頭が痛むぞ。知らないはずなのに憎悪がわいてきやがる」
「そうでしょう。デッドは本当に憎悪がわくような生物なのです。今から詳しく説明しますよ。フェイドにはぜひデッドのことを詳しく知ってもらいたいですからね」
 僕はフェイドに『古代の伝説』を曲解して説明しました。デッドは世界を滅ぼすような思惑があって、ヴェルはそれの被害者だとね。そして、そんな悲劇のヒロインヴェルと友だちだった僕が、怪物と呼ばれてしまったヴェルの仇討ちのために死神デッドを探していると。
 彼はどうやら単純な思考のようです。これは功を奏しましたね。町を滅ぼして回るような悲劇のヒロインがどこにいるというのでしょう。いくら止むを得ない事情があったとしても、その本人が悲劇を引き起こしてしまっては同罪です。その段階でその人が同情されるはずはない。
 そのはずなのに、こうやって簡単に同情してやる気になってくれる。いやぁ、大成功だ。手の上で操るというものはとてもおもしろいお遊びです。
「俺が行ってやるよ。そんなやつを野放しにはできないもんな」
「いいのですか? 敵は死神ですよ」
「そんなの関係ねえよ。なんか知んねえけど、ものすごくデッドを殺したいんだ。それが頭に残り過ぎて、安心して生きられそうもない」
「しかし、どうやってデッドを?」
「ちょっと人間どもを襲う芝居でもすりゃでてきてくれるだろ。だって、ヒーローごっこしてるんだろ? そんなやつが見過ごすはずがねえ。偽善野郎は思いっきりはりきるからな」
「それは名案ですね」
「そうでもねえよ」
「では、お気をつけて」
「デッドの首を持って帰ってやるよ」
 頼もしいお言葉だ。しかし、無理でしょうね。相手は怪物状態のヴェルを倒した死神です。劣化したヴェルの組織を使った程度の生命体では敵いはしないでしょう。僕はただ、殺されないことを祈るばかりです。
 しかし、デッドはどういう行動を取るのでしょうね。ヴェル以外の強大な生命体を相手に無慈悲に殺してしまうのか。もしくはこのフェイドをも救ってしまうのか。さすがの僕でも予測がつきませんねえ。

 フェイドは見事に血みどろになって帰ってきました。しかし、目つきが尋常じゃないですね。明らかに僕に憎悪を向けていますよ。これは八つ当たりということでしょうか。それとも、また何か別の感情が生まれたのでしょうか。おそらく後者でしょうね。今にも僕に襲い掛かりそうな勢いだ。
「お前、俺にうそをついていたな?」
「なんのことでしょう。落ち着いてくださいフェイド」
「うるせえ。なんだよ。デッドは感じのいいやつだったじゃねえか。話も聞いてきたぜ。無駄に命を弄んでいるのはてめえじゃねえか。デッドもヴェルも絶望から這い上がろうと頑張ってるじゃねえか。ヴェルはお前に縛られてるだけだ。可哀想になぁ。デッドの話を聞いていたらよく分かったぜ。生物同士の出会いは気を付けましょうってな」
 まさか話し合って帰ってきたとは。ただ、これは戦闘終わりに行われたものには違いありませんね。おそらく、フェイドが何か言葉を漏らしたのでしょう。単純な分、いらないことまで言ってしまうタイプのようだ。これはこれで扱いが難しいな。さてさて、どうするものか。
「あなたはうそをつかれているのですよ。死神デッドを信用してはいけません。『偽善野郎は思いっきりはりきる』とあなたは言っていたじゃないですか」
「うるせえ。それはお前の言うデッドの印象だ。説得力が違うんだよ。お前とデッドじゃな。お前は何かを利用する事しか考えてねえ。そんな言葉に重みはねえ。だが、デッドは何かを背負って生きている。重みが違うんだよ。言葉の重みってのは、どんなものよりも納得できる説得力だ」
 説得力ですか。それは考えたことがありませんでしたね。どうやら、これは丸めこめそうもありませんねえ。まぁ、これはこれでおもしろいですが。
「ふふっ」
「何がおかしい?」
「そうですよ。あなたはただ僕に操られていただけだ。いや、これからもそれは変わりませんが」
「……お前、俺の身体にも宿命を刻み込んでやがるのか?」
「察しがいいですね。そうです。あなたは不思議に思いませんか? 今もあなたはデッドを認めながらも殺したい憎悪に駆られているはずだ」
「そういうことか。だから俺はこんなにあいつを……許せねえなぁ。こんなことして何になる? 何もならねえだろうよ」
「いいえ。僕の余興になります。僕が楽しめます。僕のシナリオが進みます。ほら、いくらでもありますよ」
「まずはお前から殺すぜ」
 恐ろしい顔です。いまにも僕を八つ裂きにしてしまいそうなほどにおぞましい。しかし、それは叶わないことですよ。あなたは単純な思考だ。ですが、それはデッドやヴェルほどではない。あなたは中途半端すぎます。そんな生物が束縛を破れるはずがない。どっちつかずは、いつの時も闇に呑み込まれる運命にあるのですよ。
 宿命の重さに潰されなさい。そして、デッドと共存したい心と、束縛によって生まれた殺したい心と戦いながら生きなさい。僕はそれを見て楽しみますよ。
「どういうことだ……どうしてお前を殴れねえ!」
「宿命とは恐ろしいですねえ。苦労したんですよ。本当にたくさんの魔力を使用したのです。宿命がひとつだなんて決まっていませんよ?」
 悔しそうな表情だ。フェイドは表情が豊かですね。見ていておもしろいですよ。あなたは僕から見て無能だ。ですが、楽しい無能です。言うなれば無能代表ですね。無能の希望なって僕を殺し、宿命から逃れられるでしょうか。
「……エネド、お前はいつか殺す」
「期待してしますよ」
「そうしとけ。俺は自由になる。宿命から逃れ、俺は笑いながら平穏に暮らすんだ。最後は笑顔。いい言葉だと思うぜ俺は」
 なんと不器用な笑顔でしょう。おそらく、傍から見て笑顔だとは気付いてもらえないほどですね。まぁ、フェイドが満足しているのなら今のところはいいとしましょう。
 それにしても、いい感じに駒が増えてきましたね。これは次の時代が勝負でしょうか。それまでにたくさんの魔力を溜めておかなければ。



「どうでしたか。これが僕たちの過去です。そして、次は現代になった今の状況ですね」
「ふざけた過去ね。あんたがどうしようもないお花畑野郎ということだけは分かったわ。何が有能と無能よ。今の話だとあんたが一番それを気にしてるじゃない。人間なんて興味がないと言いながら一番気にしてるじゃない」
 これは痛いところをつく。確かにそこは否定できませんね。ただ、人間は無能というのは事実です。その意見を変えるつもりは毛頭ありませんね。
 では、こちらも痛いところをつかせていただきましょうか。
「それはまたひどいお言葉で。親に対してそういう言葉遣いは使うものではありませんよ」
「親? 私がいつあんたの親になったのよ」
「ずっと前からですよ。あなたは僕の娘のヒカリです。紛れもない血のつながった家族です」
「……そんなわけ……」
「あるのですよ。僕は女を一人飼ってヒカリを産ませた! 当然、女は血に適応できずに死にましたけどね。どれだけ僕を憎んでも、僕たちは家族だ。他のだれもが成り変わることのできない正真正銘の家族です。不死の血が流れる家族なのですよ。その赤い瞳が何よりの証拠です。赤色の瞳は不死と人間の混血の証ですからね」
 ヒカリの顔が驚愕と絶望を帯びていく。いい顔です。いつでも思い出せるように僕の頭に焼き付けておきたくなるような素晴らしい表情だ。
「そして、あなたと中和剤が出会ったのは決して偶然ではありません。カラクリは簡単です。物心つかないところまで僕が育て、物心つくころに町に放任。生き続けられるように手回ししながらヒカリの成長を見続けるのは楽しかったなぁ! そして、ヒカリが成熟したころに、僕が作った中和剤を配置すればシナリオの完成だ。彼も、半端者の割には十分頑張ってくれました」
 ふふっ。少し取り乱してしまいました。それにしても、こんなにうまくいくとは思いませんでしたね。
 ヴェルと同じ要領でフェイドの組織から彼を作りだし、そこにあらかじめ保存しておいた有能な僕の血を混ぜる。どうやら、古代と現代では血の作りが多少変化しているようでしてね、苦労しましたよ。ヴェルが目覚めないわけだ。お目当ての血がなかったのですからね。
 しかし、それも彼が補ってくれました。本気で世界の癌を落ち着ける中和剤になった気でいて、それは実はただヴェルの成長を促しているだけ。結果的には僕のためとなる。気分よく敵に塩を送らせるというのは楽しい余興でしたよ。おかげでヴェルは力を取り戻し、僕の養分となるのですから。
「……どうしてヴェルは私の体内にいるの? それも、ふざけた束縛の力かしら?」
「さすが僕の娘。強い精神力をお持ちで。聞きたいことは山ほどあるはずなのに、今必要な情報を聞き出そうなんて僕好みだ」
「娘なんて言わないで! 虫唾が走るわ」
「つれないなぁ。まぁ、ご名答ですよ。ストレジと束縛を組み合わせて細工させていただきました」
「今、私が死んだら困るんじゃない? 死んでやるわ」
「どうぞご自由に。もう、あなたの役割は終わっています。あなたは僕の光になってくれました。本当、親として感謝していますよ」
「私って本当に役立たずだわ。死んで役に立つこともできないなんてね」
「もう一度言いましょう。僕の……」
「しゃべらないで! 私はあんたの言葉なんて耳にもいれたくないわ」
「ふふっ。本当、つれないなぁ」
 さて、いつの間にかいい時間が経過しているじゃないですか。もう少しで僕は世界の王になれます。ヴェルの力と僕の知能。これさえあれば魔術も技術も死神も必要ない。世界唯一の力を持つことができる。シナリオの最後は気分よくハッピーエンドを迎えられそうだ。
 デッドも『最後は笑顔』だと言っていましたね。本当にそのとおりかもしれません。僕は、いますでに笑顔がこぼれそうなのですから。



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13.決戦の地へ 

 俺たちはエネドがいる場へ足を進める。どうやら、その場所はボスが認知しているようで、そこはボスにとって宿命が始まった地のようだ。
 そこは、普通なら信じがたい話ではあるが、数千年前にエネドとボスが出会った場所らしい。といっても、そのままの建物が残っているとは考えづらい。エネドが同じような構造に建て直したのだとボスは言っている。さすがは、現代の権威だな。多少の無茶は目をつぶられるということか。
 しかし、いよいよ大詰めだな。その場所にエネドはいる。捕らわれたアオイもな。だが、ボスの言うことの妙な点は、アオイはもうヴェルに支配されたアオイではなく、普通の女性に戻れたということだ。ボスはヴェルとエネドが合体すると言っているが、それがエネドの最終目標だというのか。
 そうだとすれば、俺は何のために存在しているのだろうか。俺はアオイの中和剤として頑張ろうと心に誓った。だが、もうその必要はなくなってしまう。そうなれば、俺はどんな風にして役に立てばいいのだろうか。中和剤としての力を発揮できない俺など、やはり無力に違いはない。もし、それでアオイを助けられたとしても、俺はみんなと一緒に笑えるだろうか。みんなで頑張った結果だと胸を張れるだろうか。
俺も役に立ちたい。そして、笑顔で軽口を叩き、最後はハッピーエンドで締めくくりたい。
「大勝負にでようというやつがそんな顔でどうする。堂々と行ってやろうじゃないか」
「そうだよ。ここにはパパとお兄ちゃんがいる。これほど心強いものはないよ!」
 そうだ。俺にはこんなことを言ってくれる心強い仲間たちがいる。俺が役に立つとかはこの際関係ない。ただ、アオイを救うことができれば、それが一番だ。

 ここがその決戦の地か。これはまた趣味の悪い外観だ。人気のない森の中なかに大きくたたずむそれは、まさに頂点から人間どもを見渡すような権威に相応しいな。
「遅かったじゃねえかヒーローども。待ちくたびれたぜ」
「まずはお前か」
 そんな決戦の地の前にフェイドはいた。相変わらずにたにたとした顔をして俺たちの前に立ちはだかる。こいつもボスやエネドやヴェルと因縁がある一人のようだが、俺には関係のないことだ。俺の目的はアオイを救いだし、エネドを打ち倒すこと。それをフェイドが邪魔するのならば、フェイドも打ち倒すしか道はないな。
「そんな怖い顔するなよナイト。お前じゃ俺は止められねえよ」
「そんな大物ぶられても困るな。お前はしょせんエネドの犬だろう?」
「なかなか言うようになったじゃねえか。だが、お前はその犬以下だということを覚えておきな。俺はナイトのこと嫌いじゃないぜ。だが、まだ力を出し切れてねえ。今のお前は、ちょっと強い半端者ってだけだ。それなのによくここまで来たよ。俺はそれだけでも称賛に値するね。この世に暴力なんてものがなければ、俺はお前らのだれにも勝てねえよ」
 だが、こいつは相変わらず憎めないな。正直、なぜ敵になっているのかはよく分からない。ボスやフェイドは宿命だというが、何をもって宿命であるかは俺には分からない。
「お前はどうして俺たちに立ちはだかる」
「言い飽きたが宿命だね。それ以上でもそれ以下でもない」
「宿命とはいったいなんなんだ? 謎解きは苦手なんだがな」
「分からない方がいいぜ。こんなもの伝えていくべきじゃないんだ。決して人に自慢できるようなもんじゃねえよ」
「……」
 結局、分からずじまいだ。だが、それはとてつもなく悲しいものなのだろう。何千年と生きてきたデッドもフェイドもそこから抜け出せていない。おかしなものだな。同じ境遇を持ち合わせる二人は拳をかわしあう敵同士だ。
「だからお前じゃ俺を止められねえ」
「そうだな。レッドが止めるべきはお前じゃなく、その先にいる」
「ロンド……」
「あれっ、それじゃあ俺はスルーってことかな? 一応、お前らの足止めでここにいるんだけど」
「お前の相手は俺がしてやる。宿命に縛られた者は、縛られた者同士で決着をつければいい。そもそも、お前の目的は俺だろ?」
 そう言って、ボスはフェイドの前に立ちはだかる。数千年の時を経た決着をつけられることに喜びを感じているのか、フェイドのにたにたにさらに拍車がかかる。まるで、この展開を待っていたかのようだ。
「レッド、サラ。お前たちは先へ行け。アオイと……そして、ヴェルを頼む」
「絶対に生きて……また私と遊んでね? 約束だよ」
「あぁ。約束だ。娘の約束を破れるほど強くできていないさ」
 サラがボスを優しく抱擁する。サラも相当怖いだろう。こんな強者と闘うボスの目の前からいなくならなければならないんだ。
 だが、そんな不安な気持ちを、約束という形で無理やり消化する。見えない細い糸でつなぎとめる安心というものはとてつもないほどに不安定だが、あるとないのでは大いに意味が変わってくる。
 俺はアオイにそんな細い糸をつかませてあげられているだろうか。いや、そう信じよう。アオイが掴んでくれていても、俺が離していては意味をなさないからな。
「……行くよお兄ちゃん。私たちでお姉ちゃんを救いだそうね!」
 俺とサラは前を向いてフェイドの横を通り過ぎる。これで、俺たちの相手はエネドに絞られた。

「ナイト。餞別だぜ。こいつを持っていきな」
 そう言うと、フェイドが俺に何かを投げ渡す。これは……
「……ナイフか」
「そうさ。大事に使えよ。俺の思いがこもったナイフだ。雑に使われると泣くぜ」
「エネドはお前のボスじゃないのか? これは、敵に塩を送るのと同じ行為だぞ」
「さてね。ひとつだけ言えるのは、俺はエネドの野郎をぶっ殺したいってことさ。これは宿命じゃなく本気でな」
 本当、どこまでもつかめない男だ。何を考えているか分かったものではないが、エネドを殺したいと言うフェイドの言葉には何か説得力のようなものを感じた。もしかすると、ただのナイフではないのかもしれないな。俺でもエネドを打ち倒す手助けができるくらいのきっかけになってくれるとありがたい。
「……さてと、決着付けようぜデッド。俺は今日で宿命を終える」
「最後まで宿命か。お前らしいといえばらしいが、そうはさせん。俺だけの問題ではないのでな」
 その瞬間、ボスとフェイドの目つきが変わる。正直、ボスのことが気にならないのかと言われればそんなことはない。だが、俺はここで歩みを止めるわけにはいかない。俺は前へ進む。そして、エネドを打ち倒し、アオイを救う。
 最後の戦いだ。ここが暗い空の最終地点だ。空はいつもここを乗り越えている。俺も、乗り越えてみせるさ。



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14.宿命の決着 

「さて、ようやく二人きりになれたな。恋人でもねえのにうれしい気分だぜ」
「あぁ。今から行われることは、感動の再会でもなんでもなく、血生臭い殴り合いだがな」
「俺のこの、お前を殺すってどうしようもなく不本意な感情も今日で終わるんだな。そう思えば、十分感動の再会なんだぜ?」
「自分の精神で終わらそうと考えたことはなかったのか?」
「考えても無理なものは無理なのさ。俺はそんなに強くねえよ。みんながみんな、そんなヒーローみたいな精神を持っていると思うな? 俺はお前を殺すしかねえんだ。それが最善の策だと、俺は結論を出したんだよ」
 フェイドは最後まで現実を見ようとはしないようだ。それも仕方ないことか。フェイドの言うとおり、みんながみんな前を向けるわけじゃない。だがなフェイド。俺は決して強いわけじゃないんだ。俺だって一度諦めた。ララの優しさに甘えて、俺は宿命から逃げたんだ。
 お前は、俺を強いと決めつけて逃げているだけだ。だが、それをいくら口で言っても無駄なことだろう。ならば、俺は拳を交えるしかない。結局これだ。俺はだれかを救えるほど強くなどない。ヴェルもお前も、俺は救えなかった。また、俺は拳で傷つけようとしている。
 だめだと感じたなら終わらせるしかない。空しいな。俺たちは無限に生きることができる。だが、何も成し遂げられていない。きっと、人間の一生程度では強くなることなどできないのだろう。だが、それが羨ましい。強くなることはできなくても、心の方から、弱い俺たちに最後を迎えさせてくれようと手を差し伸べてくれるのだから。
「フェイド。お前は、その選択に後悔はないか? 納得して俺を殺せるか?」
「……納得するんじゃねえ。するしかねえんだ。俺はそれもひとつの決断だと思うね。生き方くらい選ばせろよ。そんな何でも納得して……自信を持ってやってけたら、お前に牙なんて向けてるわけねえだろうが!! そろそろ分かれよ。お前の目にはどう映ってるか知らねえが、これでも覚悟してきてんだ」
 そうだな。お前はお前なりに自分と向き合って戦ってきたんだな。どうも、俺はきれいごとが好きらしい。自分に酔えるような、かっこつけられる道ばかり選んで、それを糧にして頑張って、希望の炎を消しきらずに結局こうしてここにいる。
 だが、お前はお前で泥にまみれて、宿命を受け入れることで希望の炎を消さずにこうしてここにいるんだな。
「すまなかった。生き方と死に方は自分で選ぶしかないからな。なら、俺も言っておこう。俺は簡単には死ねない身だが死に場所くらいは選びたい。そして、それはここじゃないんだ。だから、簡単には死なんぞ。その覚悟、全力で打ち破ろう」
「そうだよ。それでいいんだよ。俺は、そんなデッドを殺して自由になるんだ!!」
 フェイドが少しだけ笑みを見せた。それは、いつもの不器用な笑みではなく、本心からこぼれた笑みだろう。俺が言うのもおかしな話だが、それは俺を殺せるからではない。初めて俺がフェイドと真正面から向き合ったとフェイドは感じ取ったのだと思う。
 その気持ちはよく分かる。しょせん他人同士の俺たちだが、少しでも近づけたと思うとうれしいものだ。さらには、数千年も生きているこの身体だ。共有できる存在がいなかったのだろうな。フェイド。それは俺も同じだ。そういう意味では確かに感動の再会なのかもしれないな。

「……武器か」
「そう、拳銃だ。俺は自由だ。ちゃんと現代にも適応してるんだぜ」
 死神と呼ばれた俺に拳銃は通用しない。それはフェイドも分かっていることだとは思うが、これもひとつのプライドということか。俺は人のプライドを踏みにじることは好きじゃないが、無下にはできないな。
「今から戦うのはフェイドじゃなくて賞金稼ぎのジェインだ。たった数年の……俺たちからすれば短すぎる時間だけどよ、俺は今までの一生分以上にジェインとしての生活が好きだったんだ。だけど置いていく。そのためにちょっと意地張らせてくれよ」
 その言葉と同時に拳銃をぶっ放すフェイド。だが、俺には拳銃から発射される銃弾など止まっているように見える速度だ。しかし、この銃弾にはフェイドのジェインとしての思いが詰まっている。俺も、約束から逃げてサラやファミリーと過ごした人生は楽しかった。ヴェルのことに諦めがつくほどにな。だから、全力で付き合おう。
 銃弾をつかんで、フェイドに向けて思いっきり投げつける。拳銃から放たれた銃弾とは比べ物にならないほどの威力がある。
「いいねえ!」
 俺が投げつけた銃弾を、数発の拳銃から放たれた銃弾で弾いてかわす。俺はその隙に間合いを詰める。
「まだ終わんねえぜ!」
 俺が間合いを詰めると同時に素早く剣を取り出す。フェイドの剣の腕がどれほどのものかは知らないが、無駄なことに変わりはない。だが、それでもフェイドはジェインとして剣を振るってくるのだろう。敵同士ではあるが、なんと気持ちのいい。
「いくぜ。これが俺の、ジェインの、魂こめた一撃だ!!」
「ジェインの魂、存分に受け取らせてもらった」
「ありがてえ。ジェインも喜んでるぜ」
 フェイドの斬撃と俺の拳が交わりあう。フェイドの剣は、俺の拳に剣の強度が勝ることはなく、無残に砕け散った。だが、そんな状況に立ってもフェイドは満足そうだ。
 フェイドの中で気持ちの整理がついたのだろう。フェイドは、見事にジェインとして戦った。
「ジェインは弱かったかい?」
「いや、まさしく強敵だった」
「そうかい。そりゃ、うれしいね」
 その瞬間。フェイドの目付きが著しく変化する。この威圧を感じるのは久しぶりだな。だが、あの時の血走った目ではなく、真正面から俺を狙う強者の目だ。
 ここからが本当の勝負だな。ジェインではなくフェイドが相手となると、俺も油断してはいられない。あの時よりも数段強くなっているだろうしな。

「久しぶりデッド。ここからはフェイドが相手をするぜ」
「あぁ。久しぶりだな。その拳、鈍ってないか?」
「むしろ、さらに研ぎ澄まされてるぜ。ただ、お前を殺すためだけに磨いた拳だ。興奮するだろ?」
 その言葉と同時に間合いを詰められる。フェイドも間合いの詰めが鋭くなったな。これだけでも成長していることが分かる。
 そう考えると、俺とヴェルとフェイドの中で、一番努力しているのはフェイドなのかもしれないな。俺は宿命から逃げ、曲がりなりにも人間としての生活を過ごした。ヴェルは感情と感情がぶつかり合って深い眠りについた。だが、そんなときにもフェイドは俺を殺すという宿命を果たすために武を磨き続けた。本当、飽きずによくやるやつだ。
「ぐっ……」
 だめだ。戦闘に集中しないと流れを持っていかれる。それにしてもいい拳を放つようになったな。もう、迷いはないということか。
「どうした、俺が先制ヒットってのも気持ち悪い話だな」
「そうでもない。それだけお前が強くなったということだ」
「そんじゃ、この戦闘でもっともっと強くなってやるよ。そんでデッドを超えるんだ。俺はもう、お前をつかめる位置にいる!」
 俺たちは互いに一進一退の攻防を続けた。本当に真っすぐな気持ちだ。フェイドの拳ひとつひとつが重たいが、嫌な気は不思議としないな。
「……」
「……」
 俺たちは全身全霊で拳を交えた。俺はフェイドの拳を受けて、不思議な昂揚感を覚えた。全身からエネルギーがあふれてくるような感覚に陥っている。
 フェイドの拳は最後まで真っすぐだった。それが大きいのだと思う。俺の拳もフェイドに届いていただろうか。気持ちを乗せ合った殴り合いは、フェイドの宿命という名の心の闇を少しでも軽くすることはできただろうか。
 どちらにせよ、今、ここで立っているのは俺だ。身体の殴り合いは俺が制した。だが、これではヴェルの時とまるで同じだ。また、俺は傷つけてしまうだけで終わってしまうのだろうか。いつの時も、血に塗れた拳というものは切ないな。

「決着はついた。俺はエネドを倒しに行く」
 ここは、これ以上何も言わずに去ろう。勝負はついた。俺はもう、これ以上の血は見たくない。
 ……だが、簡単にはそうはさせてくれないようだ。まだ、フェイドの目は死んでいない。
「待てよ死神。まだあいつが足掻いてんだ。お前はまだお呼びじゃねえんだよ。行かせるわけにはいかねえな」
「……」
 ここで反応してしまえば、また俺はフェイドを傷つけなければならないことになる。ここは無視して先へ進むべきだな。フェイドの気持ちを踏みにじるようで悪いが、俺には守らなければならないものがある。
「待てって……弟がよ、足掻いてんだ。足りねえ力を振り絞って怪物に立ち向かってんだよ。そんなとこに水なんて差させてたまるか!」
「!?」
 フェイドが立ち上がり拳を構える。まだ、そんな力があるというのか。それに、これは宿命に呑まれた男の顔じゃない。何かを守るために拳を振るような、立派な男の顔だ。
「まだ行かせねえぞ。もう宿命なんて関係ねえ。どっかいっちまったよそんなもん。俺は今、生まれて初めて俺として拳を振るう。無視できるもんなら無視してみろ。死ぬまで立ちはだかってやるよ」
 温かい威圧だ。そうか。フェイドは今、宿命を乗り越えたんだな。きっかけが何であるかは俺には分からない。だが、実際に宿命を乗り越えたフェイドがここにいる。
 ならば、それに答えないわけにはいかないな。みんな、すまない。俺はまだそっちに行くことができないようだ。
「そうだ。俺の方を向け。そんで、もう少し俺に付き合えよ。なぁ、ナイト。半端者の意地を見せてやろうぜ」
「お前の気持ち、全力で受け止め、そして、全力で迎え撃とう」
 どこからその力があふれてくるのだろうか。今のフェイドの攻撃は、さっき全力で殴りあったそれと同等、いや、それ以上だ。一撃一撃に強く温かい思いがこもっている。自分のために振る拳ではなく、だれかのために振るう拳だということが伝わってくる。
「まだだ。まだいけるぜ。俺みたいな半端者にだって意地があんだよ!!」
「ぐっ……」
「俺は今、俺を超えたぜ。さぁ、次はお前の番だ。意地見せてみやがれ」
 今の攻撃は捉えることができなかった。強いな。俺が今まで戦っただれよりも強い。だが、それ以上に心地いい。だが、俺は負けるわけにはいかない。フェイドにも意地があるように俺にも守らなければならないものがある。こんなところで立ち止まるわけにはいかん!!

「……やっぱり死神は強えや。もう身体も動かねえ。さぁ、ひと思いに殺してくれ」
 地に倒れたフェイドが俺にそう告げる。殺すしか道はないのだろうか。俺はまた同じ過ちを繰り返すのか。救えないものは殺めるしかない。それは俺の自己満足でしかないのではないか。しょせん、きれいごとなのかもしれないが、俺はそんなきれいごとが通用する可能性も探したい。
「本当にそれしか道はないのか? お前はもう宿命を超えたんだ。また立ち上がることはできないのか?」
「……馬鹿野郎。死神のくせに弱えな」
 呆れたようにそう言うフェイド。立ち上がれると感じた男に立ち上がることはできないのかと聞くことは余計なお節介なのだろうか。
「お前さぁ、死ぬとしたらいつ死にたい?」
 唐突な質問だな。死ぬ時か……俺はたくさんの死を見てきた。だが、自分自身が死ぬことを考えてはいなかったな。それは、俺が不死だったせいもあるだろう。俺は長い時を生き過ぎて死の実感がなくなってしまった。
 俺は、ヴェルを失ったと感じたあのときから少しも成長していない。あれからの俺は、ララに、サラに、レッドに、ファミリーたちに……数えきれない仲間たちに支えられて生きてきた。そう、俺は頼り切っていたんだ。
 死ねなくなるということは成長が止まるということなのだろう。生物には寿命があるから、それまでにたくさんのことを学び、経験の糧とするのだろう。そして、それまでの学んできた経験を振り返って満足に死ぬのだろう……満足に、満足にか。
「……ここが消失地点だと決めたときだ。今さっき出た結論ではあるが、俺はそう答える」
「そうだろうが。お前自身が『死に場所くらいは自分で選びたい』とか言ってたんだ。もしかして、俺に言葉を返すために軽く言ってみたか?」
「……」
 そうなのかもしれない。死に場所を選びたいと言いながら死に場所を考えていなかった。簡単には死ねない身だからということに気を取られすぎて、大事なことを忘れていたな。
「分かってくれよ。俺は今なんだよ。だれよりも気を許せるお前を殺さなきゃならねえ羽目になって、それすら乗り越えて……そんで、だれよりも気を許せるお前にこうやって倒されたんだ」
 フェイドの熱い気持ちが伝わってくる。俺は、俺の示した道をフェイドに押し付けているのかもしれないな。
「俺は俺なりに真っすぐな気持ちで立ち向かったんだ。それくらい真っすぐに拳を振れたんだ。俺は今、初めて俺が好きなんだよ。俺だってただ死にたいわけじゃねえ。普通には死ねねえから、最後くらい葬られたいやつに身を預けたいんだ。俺の死に場所はここなんだよ」
 俺の死に場所か……ララからも同じことを言われたな。やはり俺は成長していない。また同じ過ちを繰り返そうとしていた。ここで起き上がれと手を差し伸べることは決して救うことじゃない。救うにもいろいろな形があるんだな。ここで俺がフェイドの命を奪うことでフェイドが救われるのなら、俺はいくらでもこの手を真っ赤に染めよう。それが俺の役目だ。

「ようやく決心固めたか。てかよ、どんだけ弱いんだよお前。ヒーローが俺みたいな半端者殺すためなんかに、涙なんか流すなよな。なんだよ。お前だって弱いんじゃねえか。もっと早く気付くべきだったな」
 俺は今泣いているのか。気付かなかったな。どうして泣いているのだろう。こんなときにララを思い出したからか、覚悟を決めたフェイドに心を揺さぶられているからか、フェイドを殺さなければならないという完全にしまい込むことができない気持ちか……自分ですら分からないが、俺は今泣いているのだろう。こういうときに相応しくないのかもしれないが許してほしい。俺は、涙の止め方を知らないんだ。
「俺はいつも言っていただろう。全力で自己暗示をかけているだけだとな」
「そんな言い方されても分かんねえって」
 フェイドの目の前にたどり着いた。俺は今から、この血まみれの男の心臓に拳を振りかざし、生命を奪う。これがフェイドのためだと分かっていても、手は震えてしまうものだ。もしかすると、俺は怖いのかもしれないな。自分の手で生命を奪ってしまうことが怖くて泣いているのかもしれない。
 やはり俺は弱いな。数千年も生きていながら、ひとつの生命を奪うことに怯えている。やはり、長生きするだけの人生に意味などないということか。
「敵同士だぜ俺たち? そういう湿っぽいのは止めようぜ。でも、そういうわけにもいかないみたいだから一言だけ別れの挨拶しとくよ。じゃあな……さよなら」
 さよならか。確かに今の段階ではそうなるのかもしれない。だが、広い目で見ればそれは違うかもしれない。
「お前はただあの世に行くだけだ。俺もそのうちそっちに行く。だから、厳密にはさよならじゃない」
「相変わらずまどろっこしいなぁ。じゃあ、なんて言うんだ?」
「さよならじゃない、『またな』だ。あの世でまた会おう。そして、そのときはここでのことは水に流して、静かに寄り添おう。そんなアフターストーリーも悪くないだろう?」
 フェイドは俺を殺す宿命に無理やり納得して覚悟を決めた。そして、それすらも乗り越えて俺に向けて拳を構えた。
 それに比べ、俺は何も覚悟ができていなかった。お前を救うことも、お前を殺すことも、すべて俺は自己暗示に逃げていて、自分自身の気持ちと向き合っていなかった。だが、ようやく覚悟ができたぞ。これが俺の、俺自身としての最大の答えだ。これで、ようやく俺もお前に向き合える。
「フェイド……またな」
 俺は拳の狙いをフェイドの心臓に定める。こんな状況だというのに今の俺なら寸分狂わず本気で振り下ろせる。これが、向き合えたということなら、俺は満足だ。

『うん……またな』

 この世からフェイドは去った。だが、俺は最後に見せたフェイドの笑みを忘れないだろう。フェイドの最後は、いつもの不器用な笑みではなく、満足感に満ちた、きれいな笑顔だった。
「次は俺の番だな。フェイド、お前のおかげで俺も決心がついた。俺も覚悟を決めて、けりをつけてくる」
 俺に休んでいる暇はない。まだこれで終わりじゃないんだ。この先ではサラとレッドが戦っている。あのエネドのことだ。ただでやられることはないだろう。もしも、サラとレッドに何かあったらと思うと、止まってはいられない。



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15.最終決戦 

「来ましたか。おやっ、一人足りませんね。そうですか。デッドはフェイドが請け負ったということですね。それは残念だなぁ。世界の王たる僕の最高の力を死神にお見せしようと思ったのですが、そのご本人は不在。まぁ、いいでしょう。ウォーミングアップには丁度いい」
 俺はエネドとアオイのいる場へたどりついた。そこはいかにも権力者が座っていそうな椅子がよく目立つ広い場所で、エネドは堂々とその椅子に座っていた。そんなエネドの隣で横たわっているアオイもいる。相変わらずいけ好かない野郎だ。セリフといい態度といい、明らかに俺たちを暇つぶしの材料のように捉えている。
 しかし、これがあのエネドだとはな。今にでも襲い掛かってきそうなほどに血走り尖った目をしている。初めて出会ったときは冷たい目だと感じたものだが、今はまるで正反対だ。これがヴェルを取り込んだという証というわけか。
「アオイは無事か?」
「ええ。少し体力を消耗してはいますが無事ですよ。僕がヒカリを殺めるわけないじゃないですか。子を死に追いやる親がどこにいるというのです」
「レッド! こいつの言うことなんかに耳を傾けちゃだめよ。私のことは気にせず集中して!」
「あらあら、まだ言葉を発する体力があるとは……さすが僕の娘だ」
 ……娘? ヒカリ? 俺には事情が呑み込めん。だが、アオイはエネドに何かを知らされている。これくらいは俺にでも予想がつく。今はそれに集中している場合じゃないか。さまざまな事実は戦いの後に聞けばいい。そんな事実すら笑えるくらいの最後にな。
 俺はエネドに向けて拳を構える。俺は今から、怪物を取り込んだ怪物と対峙する。ただの中和剤の俺が、怪物に挑む。だが、俺には不思議と怖さがない。ここにはアオイもサラもいる。俺の後押しをしてくれる仲間がいる。そう簡単に屈してなどやらんぞ。
「あらあら、血の気の多いことで。ですが、正直僕の相手としてあなたは役不足なのですよ。いくら有能な僕の血が混ざっているとはいえど、あなたの素体は、フェイドの組織を使って生み出した半端の半端です。元々の母体が半端者のフェイドじゃあ、僕の相手にはなりそうもありませんねえ」
 余裕の笑みを浮かべてそう言うエネド。俺がフェイドから生み出された……か。普通なら驚くところなんだろうが、不思議と気持ちは落ち着いている。むしろ、やはりそうかという気分だ。
 だから、俺はフェイドを不思議と憎むことができなかったのだな。親を憎める子はいないか……だが、今はそんなことはどうでもいい。俺の敵は目の前にいるエネドだ。奇しくもフェイドは敵だしな。助けるつもりも毛頭ない。
「お前はヴェルを取り込んでおしゃべりがしたかったのか?」
「あまり驚かないようで。少しつまらないですね」
「そんなことでいちいち驚いている暇はないからな」
 エネドの目がまた冷たくなる。空気も重苦しくなってきたな。
「分かりました。お望み通り僕の力を見せてあげましょう。光栄に思ってくださいよ。本来ならば、あなたごときに見せるような強さじゃない。その代償として、あなたが戦闘不能になった時点で、ここにいるお嬢さん方を血祭りにあげます」
 これはますます負けられなくなったな。サラにもアオイにも傷なんてつけさせん。
「私は大丈夫だよお兄ちゃん。あんなやつ……倒しちゃえ!!」
「ええ。私も信じているわ。不思議と怖さもないの。私のナイト様が側にいるかもしれないわね」
 サラ、アオイ。お前たちの後押しは俺の力のもっとも大きな原動力だ。その後押し、全力で受けるぞ。
「行くぞ、エネド!!」

「これはこれは……安い茶番をお見せくださいまして。無能の咆哮ほど醜いものはありませんねえ。それでは、見せてあげましょう。どれだけ手をつないだって敵わない力というものをね」
 エネドがそう言葉を発したその瞬間、エネドの手に光りのオーラのような物が集まり、それが収縮して一本の剣となった。なんだこれは。フェイドが持っているような現存物じゃないな。それよりももっとおぞましい何かだ。
「エナジーブレード……怪物の力に僕の知力。そして、この自然の塊があなたを切り刻む。自然の型その一……風の太刀」
「!?」
 エネドが剣を一振りしたかと思えば、そこを発信源として大きな風圧が俺たちを襲う。しかし、なんて風圧だ。建物を揺らし、遠くに離れているサラまで吹き飛ばされそうになっている。
「風のように軽やかに。疾風の剣」
 エネドの剣が無数の刃に見えるほどに軽やかな太刀で襲ってくる。なんだこれは、剣技というレベルじゃないぞ。かわすどころか受けきることすら……
「がはっ……」
「自然の型その二……炎の太刀」
 もう、次の攻撃に移っている? 早すぎるぞくそったれめ。体制を立て直す時間もない。動け俺の身体。こいつは食らってはいけない匂いがする。
「炎のように力強く。業火の剣」
「舐めるなよ!」
「甘いですよ」
「……ごはっ」
 エネドの力強い一太刀をなんとかかわす。だが、なんて力だ。かわしたはずなのに、その風圧だけでダメージを受けてしまった。
「自然の型その三……水の太刀」
「これで決めます。水のように柔軟に。流水の剣」
「か……はっ」
 しなやかな一撃が俺を襲い、その場に倒れる。エネド、怪物を食った怪物か……まさかこれほどとはな。
「他愛もない。半端者がどれだけ吠えても、しょせんは無能の遠吠えでしかありません。さて、次はどちらが僕に立ち向かってくるのですか?」
「……」
 俺は何をしている。サラとアオイの後押しをもらって、ボスも俺にエネド討伐を託してくれた。力がないから立てませんなんて、そんな言い訳が今さら通用するか。
 俺だって……ここにいるんだ。いろいろなものを背負ってここにいる。なのに、俺は立てそうもない。俺の決意なんてものはしょせんこの程度だったということか? サラとアオイが危機にさらされている今、俺が倒れていていいはずがない。だが、身体はいうことを聞いてくれない。
 それはきっと、身体のダメージ以上にエネドに恐怖を感じているからだ。確かに世界の王を自負するだけの力がある。あまりに圧倒的だ。俺は、エネドに勝てない……

『諦めんのはまだ早すぎるだろうが。ナイトだったら責任もってお姫様を守り通せ』 

 なんだ。頭の中に声が流れてくる。今、ボスと対峙しているはずの、不思議と憎むことができないあの声が。
「やっぱりお前じゃエネドは止められねえか? お姫様を守るなんて荷が重すぎたか?」
 どういう原理だ。俺の頭にフェイドの声が響く。そして、不思議と俺に語りかけている。しかも、どうやら俺は鼓舞されているようだ。本当、敵かどうか分からない男だな。
 正直、俺はエネドを止められないと感じ始めている。サラとアオイを守りたい。だが、力の差はどうにもならないものだ。どれだけ意気込んでも埋まらない差というものはある。守りたいが守れないというのは無力感が増すな。
「なら寝ちまいな。そうすりゃ、もうお前は何も背負う必要なんてねえ。楽になれるぜ」
 楽にか。そうかもしれないな。ここで眠ってしまえば俺は楽になれる。だが、俺が寝てしまえば……
「そうさ。二人のお姫様は守れねえだろうな。でも、見てみろよ。二人とも目は死んでねえ。お前がエネドから目を背けてる間も、愛しのお姫様はお前を信じてるぜ」
 ……俺を、信じてる? こんな弱い俺をか?
「ほんと、ナイトはヒーローじゃねえってのにな。期待されるってのは半端者からしたらつらいよな。そんな力ねえってのに」
 サラもアオイも俺を信じて悲鳴すらあげない。怖いはずなのにそんな素振りすら見せない。なのに、なぜ俺が怖がっている。一番力のあるはずの俺が、なぜ一番怖がっている。
 俺を信じて後押ししてくれる手を俺が振り払って、地に倒れて弱音を吐いて。それでいいはずがない。そうだ。俺はまだ意識がある。ということはまだ戦える。そんなチャンスを、俺は放棄しようとしてしまっていた。
「俺たち半端者は、ヒーローみてえにかっこよくはなれねえよ。でも、意地は平等にはれるんだぜ。なら、とことん足掻いてやろうじゃねえか。ヒーローが引くくらいみっともなく足掻いてよ、一泡吹かせてやろうぜ」
 俺はまだ立てる。サラとアオイを傷つけさせてたまるか。俺は最高のハッピーエンドを迎える。空を青くするために希望の炎を胸に宿して……このまま諦めて迎えられるはずがないだろう。
「そうだぜナイト。行ってこい。お前はあんなやつには負けねえよ」

「まだ僕に立ち向かいますか。しかし、あなたは何もできない。あなたはしょせん中和剤だ。死神でも怪物でも死神殺しでもない。しょせんはデッドがここにたどり着くまでの余興でしかないのですよ。そういえば、そろそろ決着がついたころですかねえ。フェイドが倒れ、デッドがここまで来ることでしょう。ぼろぼろに傷ついた身体でね。まさにラストに相応しい。初めからこうなるべきだったんですよ! そのための余興にはさっさと死んでいただきましょうか。くくくっ……はははははは!!!!」
 エネドの高笑いが建物の中に響き渡る。確かにそうかもしれんな。これだけの力に俺が対抗できる術はない。だが、それでも俺は拳を振るうしかない。これは俺だけの問題ではない。俺の背にはサラもアオイもいる……フェイドもな。それだけの後押しを受けて、このまま終わってなどいられるか。
 半端者の意地か。確かに俺はそれほど強くない。ボスのように、かっこよくだれかを守れそうもない。だが、それでも拳を振るうしかない。それが真実だ。そう考えれば、頭がすっきりしてきた。もう、余計なことを考える必要はない。ただ、目の前にいる憎くてたまらない怪物に向けて、俺の拳を振るう。
「まったく無駄な足掻きを。無能がいくら向かってきて……がはっ!?」
 届いた。俺は今、どれだけの力を込めているかも分からないし、どれだけの力がでているかも分からない。だが、無我夢中で放った俺の拳は、確実にエネドの心臓を捉えた。
「これは一体……」
 まだだ。こんなものではエネドを倒すことなど敵わない。俺の意識が続くまで拳を振るい続けよう。みっともないがむしゃらな攻撃だが、俺には丁度いいだろう?
「ぐっ」
 一発。
「がっ」
 二発。
「ぐがっ」
 三発。
「……舐めるな無能が!!」
 エナジーブレードを振るわれたことで、一度距離を置く。
 だが、だいぶ効いたようだな。初めて焦ったエネドを見たぞ。ようやく俺は、エネドの手の上から逃れることができたようだな。
「……この世に生を受けて、もういくつになるのでしょう。僕自身も数えきれないほどの時を生きてきた。ですが、僕は今ほどの屈辱を味わったことはありません。無能だからといって侮り過ぎました。見せてあげましょう。久しぶりに僕は必死だ!!」
「なんだこれは……」
 エネドのエナジーブレードから黒い闇のようなものが覆われ始める。俺にはそれが真っ暗な空に見えた。これが最後の壁なのだろうと俺の直感が告げる。
「エナジーアグネゲート……終末の剣!!」
「……」
 かわせない。受けきることもできない。この闇は俺を包むには十分すぎた。俺の意識が持っていかれる。
「……やはり僕は最強だ。僕は負けない。あなたはしょせん無能な半端者だ! 僕とあなたでは生きてきた歴史が違うのですよ。そんな短い時間で守れるものなんてたかが知れている。でも、僕をこれほど傷つけた罪は大きいですよ。ご褒美として葬って差し上げましょう。有能な僕に葬られるんだ。光栄に思いなさい」
 俺は殺されるのか。いや、そういうわけにはいかない。俺は半端者だ。できることといえばヴェルの落ち着かせる中和剤となることくらいだ。だが、そんな俺が何かを守ろうとしている。世界の王となった怪物を倒そうとしている。
 まだ何かあるはずだ。考えろ。最後まで諦めずに、足掻きながら意地をはれる術を。
「さて、最後です。あなたには最後のお祈りをする時間も与えません。それでは、さようなら!」

「……させないわ。束縛!!」
 声がする。俺が守らなければならないはずのお姫様の声が。そして、その声は確かに束縛といった。禁術であるはずのその魔術の名前を唱えた。
「なっ……ヒカリ! あなた、禁術を……」
「これでも、私は有能な魔術師様であるあんたの娘よ。今、私に魔力の流れが見えたわ。そして、その魔力は私に力を貸してくれた」
「どこに魔力が……僕が感知できない魔力が発現しているとでもいうのですか。さすがはヒカリだ。やってくれますね」
「確かに私はあんたの娘かもしれないわ。不死の血も流れているかもしれない。でもね、私はヒカリじゃなくてアオイよ! 自分でつけたアオイっていう立派な名前があるの。赤色の瞳をしてるからっていう安易なネーミングだけどね、私はそんな名前を存分に気に入っているのよ。だから人違いね。私はあんたの子になった覚えなんてないわ!!」
 チャンスだ。アオイが俺にチャンスをくれた。今、エネドは動くことができない。今しかない。なのに、打つ手もないぞ。
「レッド! 魔力の発現点はあなたからよ! あなたから魔力が流れてるわ」
 俺から魔力が流れている? 俺は魔術なんて使えない。なら、どこから魔力が……

『神経を研ぎ澄ませ。お前は、俺の組織とエネドの血から造られたんだぜ? お前にも魔力の流れが読めるはずだ。それに、忘れんなよ。悲しいじゃねえか』

 またフェイドの声が聞こえる。いや、今回は声だけではない。姿もはっきりと見える。本当、どういう原理か分からないな。
 魔力の流れ……思考をすべて魔力の脈をたどるのに使おう。神経を研ぎ澄まし、魔力の脈を探す。
「……」
 俺の身体のどこかから強大な魔力の脈を感じる。温かく冷たい脈だ。希望から絶望まで、すべての感情が入り混じったようなその脈は、まだ流れを読み始めた俺ですら感付けるほどだった。
 俺は、その流れに身を任せるように手を動かす。すると、ひとつの答えにたどり着いた。
「……ナイフ」
 その正体はフェイドから受け取ったナイフだった。そうか、フェイドはナイフに魔力を溜めていた。そりゃ、エネドは感付けないはずだ。一番憎いと感じている相手だからな。そして、そんなナイフをフェイドは俺に託した。つまり、これをエネドに刺すことができれば何かが起こるということだな。
 だが、さっきの一撃で身体が動かん。後少しで青い空を掴める。そのはずなのに、その少しが限りなく遠い……。
「半端者ってやつはどこまでも半端だな。こんなところでお前は終わっちまうのか?」
 憎たらしい顔で、フェイドが俺に語りかける。
 俺も動きたいさ。だが、動かん。俺の身体が言うことを聞いてくれん。
「動かねえなら動かすしかねえだろ。ヒーローってやつは一見華やかに見えるが、逆境からの逆転を何度も繰り返して立ち上がってきた。だからこそヒーローって呼ばれるんだぜ?」
 動かすしかない……か。
「そうさ。半端者同士足掻きまくってよ、一度くらいはヒーローになってやろうじゃねえか」
 ヒーローか。そうだな。俺が一番してはいけない選択は諦めることだ。諦めると空は黒く染まり、希望の炎は消える。つまり、ハッピーエンドは見られない。悪いことづくしだな。
 だが、それを俺が足掻くことで変えることができるのなら、全力で足掻こう。どれだけ醜くてもいい。それで結末を変えることができるのなら、世界一かっこ悪い、泥にまみれたヒーローになってやろうじゃないか。
「おぅ。泥にまみれたヒーローってのも悪くねえ。なってやろうぜ兄弟」
 そうと決まれば動くしかないな。動け。ここで動けん足など俺にはいらん。何度でも繰り返す。動けえぇぇぇぇ!!

『やればできるじゃねえか。さぁ、反撃開始だ。まずはお前のヒーローショーを見せてみろ』

 やるじゃないか俺の足。だが、動きは安定しないな。目の先にエネドはいるというのに、そこに近づくだけでも一苦労だ。だが、この一歩は大事な一歩だ。俺の一歩はフェイドの思いを乗せている。
 フェイド。お前は本気でエネドを殺したいと言ったな。その思いをナイフに込めたといったな。今、その思いをエネドに届けるぞ。今ある力のすべてをつかってナイフを刺しこもう。これが俺の最後の足掻きだ。半端者の意地を見せてやる。
 エネド。確かに俺はただの中和剤かもしれない。無能な半端者かもしれない。だが、お前の周りには強い敵がたくさんいるぞ。最強になる前に仁徳を磨くべきだったな!!
「そんな小賢しい真似でこの僕……が……どうしてです。どうして動けない! 魔術で右に出るものはいないこの僕が、魔術に縛られるなど!!」
「させないわ。意地でも縛り続けてやるわよ」
 アオイも必死だ。サラもこんな怪物を目の当たりにしても、力強い声援を俺に送り続けてくれている。
 俺のヒーローショーは手伝ってもらってばかりだな。一人じゃ何もできない無能なくそったれ野郎だ。だが、それでいい。それで空が青くなるのなら。希望の炎が灯るのなら。ハッピーエンドを迎えられるのなら。それ以上に望むものはない!
「いくぞフェイド。ここからはお前のヒーローショーだ!」
「かはっ……」
 俺が突き出したナイフは、見事にエネドの心臓を捉えた。思いは届けたぞ。フェイド、後はお前に賭ける……。

『やるじゃねえか。後は俺に任せな。見とけ。これが俺の、最初で最後のヒーローショーだ』

「これは予想外ですねえ……しかし、こんなナイフごときで僕が……これは!?」
 エネドが苦痛の表情を見せる。これは相当効いているようだな。フェイド、何かとてつもないものを仕込んだようだな。
「……フェイド。あなたも驚異の怪物だったということですか。まさか調律を覚えていたとは……。これが調律……自らのすべてをかけて僕を……」

『言ったろ。俺はいつかお前を殺すってよ。でも、お前は死んでもあの世に来るな。あの世だってお前みたいなやつは歓迎しないぜ。だが、俺とお前の仲だ。だから、最後に一言だけ残してやるよ。何よりも悲しい言葉だぜ。「さよならだ。じゃあな」』

「……いい顔をするようになりましたね。まさか、あなたに足元をすくわれるとは思ってもみなかった」
 ナイフから光が発される。それと同時に、エネドが青ざめた顔で震え始めた。
 フェイドの思いは確実に届いたぞ。最高のヒーローショーを見せてもらった……いや、様子がおかしい。エネドはまだ諦めた表情をしていない。
「ですが……僕は世界でもっとも有能な世界の王だ。こんなところで無能な半端者どもに負けるなんて、僕のプライドが許さない!」
 なんという威圧だ。諦めが悪すぎるぞくそったれ。
「呑まれてなんてやりませんよ。今、僕は耐えるだなんて惨めな行為を強いらされている。屈辱だなぁ。でも、最後に笑うのは僕だ。今はもう、それで構わない。舐めるなよ無能ども。こんなことで世界の王を倒そうだなんて……そんな考えは甘いのですよ!!」
 光が弱まってきた。エネドの精神にフェイドの調律が押され始めているということなのか。どうする、ヒーローならこんなとき、どう行動して切り抜ける……いや、俺たちはしょせん半端者だ。今、俺たちはヒーロー気分を味わっているに過ぎん。
 なら、半端者らしく足掻くしかないだろう。一人でなんとかできないのなら、後押しするしかないだろう。
 フェイド。これが最後のヒーローショーだ。このヒーローショーは俺でもお前でもない。俺たち兄弟のヒーローショーだ。気休めの後押しを受け取れ!
「これは何の真似ですか? ナイフをつかんで何の意味があるというのです」
「ただの気休めの後押しだ。だが、そんな気休めが力になることもある」
「やはり、あなたは無能な半端者だ。得意気にそんな意味もないことを!」

『そうでもねえぜ。無駄に長く生きたけどよ、だれかから力をもらったのは初めてだ。案外、悪いもんじゃねえぞ。少なくとも、俺は力がみなぎるね』

「そんなふざけた力で、この僕を……ぐっ!?」
 調律が発する光が増す。いくぞフェイド。俺たちで怪物を超えてやろうじゃないか!
『なら、俺たちで証明してやる。そんなふざけた力で怪物を超えることもあるってことをな!!』
 その瞬間、建物を包み込むほどの光があふれだした。見たかエネド。これが、俺たち半端者の意地だ。
「そんな……世界の王に相応しいこの僕が、こんな無能な半端者どもに……。ですが、まだ終わっていません。僕は世界を牛耳るべき生物だ。世界でもっとも有能な世界の王だ。またいつかどこかで……僕はきっと……」
 ……光の先にあったのは、地に倒れ、息絶えたエネドと、虚ろな表情をしている青い瞳をした少女だった。これはつまり……調律を使用したことにより、ヴェルを取り込んだエネドからヴェルが取り出されたということか。
 終わりだ。空が……暗い空が青く溶け込んでいく。
「最後にいい土産になったな。最高のヒーローショーだったぜ」
 最後の土産か。魔力の流れを読んだときに気付いたが、フェイドは魔力に思念を送っていたんだな。だが、その魔力も調律で尽きた。つまり、フェイドは消える。せっかく手を取りあえたのに、切ないものだな。
「そんなことねえよ。こいつは受け売りだが、この世ではさよならでも、あの世でまた会える。そんときにゆっくり話そうぜ」
 そうだな。そのときは料理でも作ってやる。俺の料理は美味いぞ。お姫様たちのお墨付きだ。
「そいつは楽しみだ。だが、まだ料理作ってる暇はねえぜ。まだ終わりじゃねえ。怪物を倒したらまた怪物ってやつだ。ヒーローってのは大変なもんだな」
 そうか。まだ終わっていない。ヴェルがいた。血に飢えた怪物がまだ……。
「おぅ。だから、俺はもう行くぜ。満足するまで生きて、満足して死んで……あの世で土産話でも頼むわ」
 あぁ。用意しておこう。それじゃあ……さよならだな。
「ちげえよ。こういうときは『またな』って言うんだ。あの世でまた会うんだからな」
 そうだな。またなフェイド。あの世でまた会おう。
「おぅ。またな兄弟」
 そう言ってフェイドは消えていった。しかし、いつもにたにたしていたくせに、あんなきれいな笑顔もできるんじゃないか。満足して死ねてよかったな……兄弟。

 さぁ、怪物を倒したらまた怪物か。本当、ヒーローというものは大変だな。だが、様子が変だ。虚ろな瞳からは涙が流れ出ている。いつものヴェルの様子とは違う。
「早く、僕殺して……じゃないと、また僕迷惑かけちゃう」
 なんだこの感じは。なんだこの気持ちは。俺はヴェルの前に足を進めた。今のヴェルは無防備な少女の姿だ。あまり強さも感じない。これはきっと宿命というやつだろう。そして、ヴェルはその宿命から一時的に逃れている。そんなぎりぎりの場所から、俺に「殺して」と語りかけている。
 俺はこのまま殺していいのだろうか。このままヴェルの命を殺めて、俺はハッピーエンドを迎えられるのだろうか。
「レッド。ヴェルを宿命から解放してあげて」
 躊躇している俺に語りかけるアオイ。
「アオイ……だが、ヴェル自体は悪いやつじゃないんだろ? なら、そんなヴェルを殺していいのか?」
「私はエネドから事の真相を聞いたわ。ヴェルは、エネドに宿命をかけられてからずっと戦っている。私がこんなこと言うのはお門違いかもしれないけど、ヴェルを楽にしてあげて欲しい」
 宿命か。すべてを狂わせたのはこの宿命というやつだ。ボスもフェイドもヴェルも……そんな宿命に人生を狂わされた。そうかもしれないな。狂わされた人生ならば早く終わらせてやるべきなのかもしれない。だが、それを終わらせる役というのは、とてつもない虚無感に襲われるだろう。
 ならば、俺がそれを担おう。俺はヴェルの中和剤だ。これでヴェルの苦しみが中和されるのならば、最後の中和をしようじゃないか。俺の手で。俺の拳を真っ赤に染めてでも。
「ヴェル。今、楽にしてやるからな」
「近づいてくる……懐かしい匂い、近づいてくる」

「お前ら、無事か!」
「ロンド!」
 俺がヴェルに拳を打つ前にボスが現れた。間がいいのか悪いのか分からないタイミングだな。
「レッド、状況は?」
 俺は今までの状況を詳しく話した。しかし、こんなにゆっくりしている暇はないのだが……ボスは落ち着きすぎではないだろうか。
「……そうか。間に合ったか」
 そう言うと、ボスはサラの下へ駆け寄る。
「……パパ?」
「傷はないようだな。よかった」
「うん。お兄ちゃんとお姉ちゃんが守ってくれたの。私は、何もできなかった……」
「いいんだ。仲間にとって重要なのは戦果ではなく、意志だ。サラは最後までみんなの仲間として戦ったさ」
「パパ……」
「俺も、サラを見習って戦ってくる。俺の最後を、見届けてくれ」
「最後……?」
「あぁ、俺は今から命を懸けて約束を果たそうと思う」
 そう言うと、ボスはサラの側を離れようとする。俺は、今からボスが何をしようというのかが分かってしまった。これは、俺が口をはさめる問題ではない。
 だが、サラからすれば不自然な話だろう。これで納得できるはずなどない。ボスも不器用な男だ。
「なんで!? パパも私を置いていくの? だめだよ……いかないでよパパ。パパは私の最後の家族だよ? パパがいなくなっちゃったら、私、家族がだれもいなくなっちゃうんだよ? それに、パパは落ち着いたらたくさん遊んでくれるっていったじゃない……パパはその約束を破っちゃうの?」
 サラの気持ちが建物内に響き渡る。その瞬間、ボスはサラの下を離れるのを止め、頭をそっと撫でた。
「すまんな。俺はどうしようもない親だな。だが、今のお前にはレッドもアオイもいる。ファミリーたちも一緒に遊んでくれるだろう」
「だからって!」
「パパな、昔にヴェルと約束をしたんだ。『俺はお前を見捨てん。最後は一緒に笑うんだ』とな。俺は、その約束を守りたいんだ。数千年越しの約束になってしまったが、今はその最後のチャンスなんだと思う。こんな俺を止めてくれてありがとう。俺は、自慢の娘を持った」
 頭を撫でながら笑顔でサラに語りかけるボスに、サラは涙を流しながらボスを抱きしめる。
「そんなこと言われたら引き止めることなんてできないじゃない。私、次にパパに会うときに全力で甘えちゃうんだから。今から甘えられない時間を取り戻せるくらい遊んでもらうんだからね。もう、約束破らないでね。約束だよ?」
「あぁ……そのときはママも一緒だ。じゃあ、またな」
「うん……またね。私、パパとママがびっくりするくらいきれいになってやるんだから……」
 ボスがサラの頬にキスをしてその場を去る。向かうはヴェルの下、ボスの、最後の大仕事だ。

「久しぶりだなヴェル」
「……デッド?」
「久しぶり過ぎて忘れてしまったか?」
「ううん。デッド分かる。僕、殺しに来た?」
「いや、そうじゃない」
「なんでだ。僕、また悪いことする。だから殺す。デッドに殺されるなら僕はうれしい」
「大丈夫だ。今、悪いことができなくしてやる。俺の生命と引き換えにな」
 ボスのその言葉にヴェルは驚いて否定する。虚ろな瞳だったヴェルはどこへ行ったのだろうか。おそらく、ボスの出現で宿命が引っ込んでいるのだろう。今のヴェルは、とても悪いことをするようには見えない。
「言っただろ。俺はお前を見捨てん」
「でも、僕笑顔なれないよ。デッドが消えちゃったら、僕、笑顔なれない」
「それは困るな。俺は最後にヴェルを笑顔にしたいんだ。でも、俺は頭がよくないからこんなことくらいしか思いつかなくてな。最後はお前を宿命から解放して終わりを迎えたい」
「それならヴェルも一緒に行く。デッドと一緒なら怖くない」
「お前はもう少し人生を楽しんで来い。ここにはいいやつらがたくさんいる。大丈夫、どうせ長くても百年だ。たったそれだけの時間のお別れだ」
「……また、会える?」
「あぁ」
「絶対?」
「あぁ」
「デッドは笑える? 最後に、笑える?」
「当たり前だ。だれを救いたいがためにここまで生きてきたと思ってる」
「でも、今は僕笑えない。デッドが僕のため死ぬのに、笑顔なんて作れない」
「今は、だろ? 忘れてるぞ。笑顔は?」
「……最後」
「そうだ。最後に笑ってこっちにこい。そのときは俺も笑って出迎えてやる」
「ありがとう。デッド……大好き」
「ありがたい言葉だ。じゃあ……いくぞ」
「うん……」
 会話が終わると、ボスの身体が黄金の輝きを帯びる。それはまるで、生命を燃やしているようだった。
「精神を研ぎ澄まし、生命を媒体に……俺の無駄に長く生きた生命だ。まだまだこんなものじゃない」
「……」
「ララ、フェイド。俺も死に場所に満足しているぞ。俺の死に場所はここだと胸を張って言える。調律!! ヴェルの束縛を取り除き、人間に構築せん」
 輝きが輝度を増し、視界が光に包まれる。だが、俺はその輝きの中にボスの姿を見た。

『レッド。サラを、ヴェルを、アオイを……みんなを頼んだぞ。俺は一足先に待ってる……またな』

 ボスの言葉が聞こえた。俺は、ボスにみんなを任された。全力でその役目を果たそう。こいつらの最後を笑顔で終わらせてやると、今、この場で誓おう。
 光が消えると、そこにボスの姿はなかった。これですべては終わった。希望の炎は尽きることなく、暗い空は青くなった。

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